数年前、看護婦のMarieさんは、自分の部署に52名の患者を抱えていた。
頭痛を訴える患者さんに、水とお薬を持っていった。
「いや~、すんませんなあ。
お忙しいのに、お手を取らせて、ほんまにスンマセン。
我慢しよう思ってたんやけど、やっぱり我慢しきらんかった。
ありがとう。スンマセン。ほんまに申し訳ない」
ある患者さんに、いつもの定期薬を持っていった。
「オイ、お前。***剤の効能知ってるか?
副作用知ってるか?
え? 知らんの?
お前、それでも看護婦か!
ようそんなんで看護婦やってるなあ。呆れるわ。
俺の所に来るときは、もっと勉強してから来い。ばかやろう」
***
「患者さん、医療機器の誤作動を防ぐため、病院内での携帯電話の使用は控えていただけませんか」と言った時……
・厚生省に抗議の電話をかけた人 ← 今も語りぐさ
・「あ、これは失礼」とスイッチを切って、カバンに直す人
・「医療機器って、そんなに頼りないものなのか。
いったい何の根拠があって、そんなことを言うんだ。
携帯電話が使えなかったら、オレはどうやって会社と連絡を取ればいいんだ。
どれだけオレが忙しいか、解っているのか!」
と怒り出す人
……いろいろだ。
***
「王様は裸だ!」と言った時……
・「王様は裸だ」と叫んだ子供をブン殴る王様
・「王様が裸なのには訳があるのだ」と自己弁護を始める王様
・嘘を付いた仕立て屋を処刑する王様
・家来に「オレはどうすれば良いんだ?!」とうろたえる王様
・「どうして騙されちゃったんだろう」と考える王様
・自分の裸を見た国中の人間を牢屋に入れる王様
・
「世界に一つしかない着物が見えないのか!」とムキになる王様
・もう二度と人前に顔を出せなくなる王様
……いろいろだ。
***
「A子ちゃん、今度、結婚するらしいよ~」と聞いて……、
・「わあ、良かったねえ。幸せにね」と喜べる人
・「どんな男? @@の会社員? 大したことないな」とケチつける人
・「マンション買って4000万のローン? 姑と同居? うわ、ヒサン」
と先々の不幸を期待する人
・「仕事辞めれて、いいなあ」と羨む人
・無関心を装う人
……いろいろだ。
***
「この指、と~まれ」と自分が指を差し出した時、
止まらなかった人を見て……
・止まった仲間と一緒に悪口を言う人
・「気が向いたら、おいでね」と声をかける人
・「オレには人気が無いのか……」と一人悶々とする人
・「オレを無視しやがって」と恨む人
・「どうして止まらなかったのかな」と考える人
……いろいろだ
***
「本日の@@先生の診察は、2時間~3時間待ちになります」
と聞いて……
・「なんじゃー、それは! 2時間も3時間も待てるかい!
お前んとこのシステムはどうなっとるんじゃ!
院長呼べ、院長!」
と怒り出す人。
・「@@先生って、要領が悪いんとちゃうか」と陰口を言う人
・「自分がゆっくり診て欲しいように、他の人もゆっくり診て欲しいんやから、待つのはしょうがないなあ」と考える人
・「よっしゃ、次から朝の5時に来て、順番とるでえ」と張り切る人
・「早く診て欲しかったら、++先生の方がええで。
え? 心臓が悪いの? ほな@@先生やな。
##大学の医学部出身や」
やたらと病院事情に詳しくて、見知らぬ患者に説明したがる人
(あちこちの病院を渡り歩いている高齢者に多い)
……いろいだ
***
採血を失敗した新米看護婦に……
・「ほほ、私の血管は採血しにくいと有名なの。婦長さんしか出来ないのよ」
と自慢げに言う人
・ 「頑張って、もう一回やってごらん。ボクは大丈夫だから」
と逆に看護婦を励ましてくれる人。
・「他の奴に変われ! お前は二度と来なくていい!」
と怒る人
・「悪いわね~。私の血管細くって、採血しにくいでしょ。
申し訳ないぐらいよ」
と苦笑いしながら自分で自分で腕を叩く人
……いろいろだ
***
道端で石ころにつまずいて、こけた時……
・「なんでお前がここにいるんだ!」と石ころに怒鳴る人
・「ああ、これだけのケガで済んだ。ありがたや」と思う人
・「オレはやっぱりついてない」と暗くなる人
・「痛いよー、誰か助けてくれよー」といつまでも泣いてる人
……いろいろだ
***
世の中、いろんな人がおる。
みな同じ人間と思って接すると、へとへとになって消耗する。
非常に残念なことだが、人がどんなに心を尽くしても、その心が分からない人っているものだ。
人と接する時は、よくよく相手を観察すること。
そして自分にとって誰が大切な人間かを見極めることだ。
Marieの最も好きな言葉。
【死は人生の集積(インテグレート)である】 “死に様”とは“生き様”のこと。
死の際には、その人の人生の全てが凝縮して現れる。
死に際が不幸なら――心満たされぬまま死んでいくなら、いくら生きている間に財産を築こうが、高い地位に上り詰めようが、まるで無意味なこと。
死に瀕して人が望むのは、自分の全存在と人生に対する『YES』の一言だから。
どんな悪しき行いにまみれた人も、最期には赦しを求める。
否定には肯定を、悲しみには慰めを、孤独には優しさを――
人間にとって、「死」という最も大事な瞬間に立ち会う医療スタッフは、その人の死が平和で、満ち足りたものになるよう、努めなければならない。
死の瞬間が幸福なら、それで全ての負が補われて余りあるから――。
*
正直、死ぬのは苦しい。
人間、そうカッコ良く死ねるものではない。
私が知る限り、ほとんどの人間は、苦しみながら死んでいった。
特に、意識が無くなる2~3日前が一番苦しそうだった。
あれは名状しがたい苦しさだ。
不思議なのは、亡くなる一週間ぐらい前から、ほとんどの人が幻覚を見ること。
それも大抵、あの世にいる自分の両親や配偶者が「見える」という。
「お迎えが来る」というのも、あながち嘘ではないような……。
そう信じる事で、気が安らぐのなら、
「ああ、そう。良かったねえ。心配して見に来てくれたのねえ」
ぐらいは言っておこう。
間違っても、「バカいって!」などと言わないように。
そして、その幻覚が終わった頃、不思議と静かになる。
「魂が抜ける」とでもいうのだろうか。
なんかもう、心は別世界、という感じになる。
死が近づくにつれ、『仏さま』のような顔になる人もあれば、まだ何か物欲しげ、物言いたそうに、顔を歪めている人もある。
修羅か般若のような顔つきの人もいる。いろいろだ。
*
が、いろいろ尽くしても、救いきれぬのが人の心。
どんな薬や技術を用いても、治せぬものが限りなくある。
最期になって、ジタバタしても、過ぎた時間は二度と返らない。
今日という日、今日出会う人を、大切にして下さい。
*
・「この世に神も仏もあるものか! いったいオレが何をした!」
と怒りながら死んでいく人
・「ああ……あの時あれをすれば良かった。これもしとけば良かった」
と後悔しながら死んでいく人
・「人生って不思議なもんやなあ」と神秘の思いに包まれながら死んでいく人
・まだ息があるのに、病室の外で、親族一同に、
「なあ、ちょっと、葬式はどこの寺でする?」
「財産の事とか、誰か聞いてたか?」
「ほんまにもー、明日、大事な商談があるんやけどなー」
と言われながら死んでいく人
・「いろいろ、ようしてくれて、ありがとうなあ」と家族や医療スタッフに感謝しながら死んでいく人
・「ああ、これでやっとお父ちゃんの所に行ける……
(壁を指差し) あっ、あそこにお父ちゃんが立ってはる、お父ちゃ~ん」
と亡夫(あるいは実父)にお迎えに来てもらって死んでいく人
・家族に体中をさすってもらって、
「しんどいやろ、苦しいやろ。
もう頑張らんでええから、早う逝き! 早う目ェ閉じ!
……(ようやく呼吸が止まって)ああ、よかった、
よう頑張ったなあ。しんどかったなあ。
もうゆっくり休みやあ」
と皆に介抱されながら死んでいく人
・家で倒れ、息子が救急車を呼びに行こうとした時、
「もうええ、呼ぶな! 寿命じゃ!
わしはもう長いこと生きた。
ええ人生やった。このまま死なせえ」
と息子に抱かれながら息を引き取った、Marieの祖父。
→ 明治生まれの帝国軍人。男らしくて好きだった。
・「ああ~、ええお風呂やった。わし、もう寝るで」
そのまま布団の中で息を引き取った人。
・「@@のおじいちゃん、いつもこの時間に診察に来るのに、おかしいねえ」と、
警察と看護婦が仮設住宅に見に行ったら、テーブルに突っ伏したまま死んでいた人。
・大晦日の日、家族の都合で入院させられて、紅白が始まる頃、自分で点滴をひきちぎって、飛び降り自殺した人。
・「ああ、苦しい、助けてぇ~~~。
横になりた~い……
一分でもいいから、横になりたい……
息が苦しぃ……」
と、座ったまま死んでいった人。
呼吸器系のガンの末期は苦しい。
横になると気道が閉塞されて、呼吸困難におちいるので、寝る時も座ったままだ。お尻に褥創ができて辛い。
呼吸困難になって、座ったまま死ぬのがイヤなら、タバコはやめたほうがいい。肺ガンになる確立が高い。
・わけあって天涯孤独の身。
「最期の時ぐらい、誰かがついてやらないかん」と
主治医が2時間、付きっ切りで最期を看取った人。
・2歳半の女の子を横紋筋肉腫(悪性疾患)で亡くしたお母さん。
「この子が、私の人生の不幸をすべて背負って逝ってくれた」
子供はもう作らない、と。
・「私? もうすっかり元気になったわよ。大丈夫、大丈夫 」
夜中の見回り時、ベッドの中で手首を切っているのを発見された人
・「人生なんか、たいしたことないな」
ぼそっとつぶやいて死んでいった人
・生きながら、臓器や陰部の肉が腐って、体外に流れ出して、
「アタシ、臭い? 臭いのゴメンネ」といつも看護婦に言っていた
19歳の卵巣ガンの女の子。お母さんがいつも綺麗に髪をすき、
フリルのネグリジェに着替えさせて、病室中を花で飾っていた。
・「私はもう88年も生きた。素晴らしい人生だった」
と微笑みながら死んでいった人
・自宅でずっと、ばあさんが看病していたじいさん。
「お~い、ばあさんよ。しんどいぞ。口が渇くぞ」
「も~、さっき、お水をやったろうが。
ほんまにアンタは世話の焼けるお人やな。ちょっと待っとり」
「ばあさんよ、ばあさんよ……」
で、ばあさんがコップに水を汲んで戻ってきたら、
じいさんが静かになっている。
「なんや、人がせっかく水汲んできたのに。もう寝たんか。
ほんまにも~。アテも、もう寝よ」と横に布団を引いて寝た。
そして朝になって、じいさんが息をしていないのに気付き、
お嫁さんを呼んだ。ばあさんは泣きながら怒ってた。
「じいさんよ、あんたは死ぬ時も勝手やな!
アテが横に寝取ったのに、なんでアテを一緒に連れて行かんのや」
家族でじいさんの身体を拭き、綺麗な着物に着替えさせた。
亡骸を棺桶に入れるまで、
ばあさんは、ずっとじいさんの側から離れなかった。
……いろいろだ。
初稿:99/07/28 メールマガジン 【 Clair de Lune 】 より
上記の原稿を書いた時、私も若かったので、立派な死に際に拘ったけれども、たとえ無様で、孤独な死であっても、人間の死には変わりないし、それぞれ人間的でいいのではないかと最近思います。
どんな人も思う通りに生きられないのと同じように、死ぬことも、なかなか思う通りにはいかない。
最近、『終活』という言葉も耳にするけど、どちらかといえば、遺族や知人に迷惑をかけないよう、金銭や権利に関する事柄をきっちりやって、あまり自分の死に際には拘らない方がいいかもしれません。どう青写真を描いたところで、その通りにはなかなかならないし、あまりに「これが理想だ、こうするんだ」に拘ると、かえって医療者や家族への不信と不満に繋がって、余計で心の苦しみが増すこともあるので。
自分がどんな最後を迎えるかなど、自分にも、誰にも分かりません。
ただ一つ言えるのは、人生の真の価値は行動の中にある、ということ。
何を得たかよりも、何を為したかに重きを置く方が、結果的には魂の充足に繋がります。