松本清張の『疑惑』について
映画 『疑惑』 (1982年)
原作 : 松本清張
監督 : 野村芳太郎
主演 : 桃井かおり(白河球磨子・旧姓 鬼塚)、仲谷昇(白河福太郎・白河酒造の社長)、岩下志麻(佐原律子。球磨子の国選弁護士)
あらすじ
一台の車が埠頭から海に突っ込み、助手席に座っていた鬼塚球磨子は救助されるが、運転席に取り残された夫の白河福太郎は水死する。
「前科四犯の毒婦」「元ホステス」「派手な容姿と生意気な言動」といった先入観から、世間は球磨子が犯人と決めつけ、警察も有罪を前提で捜査を進めるが、彼女の弁護を引き受けた国選弁護人の佐原律子の調査により、思いがけない事実が明らかになる。
映画『疑惑』 野村芳太郎・監督
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見どころ
現代メディアもそうだが、その人の属性や容貌、SNSの書き込みなどから、「こいつが犯人だ」と決めつけ、暴走するケースは少なくない。
松本清張の『疑惑』でも、白河福太郎氏に巨額の保険金がかけられていたことから、後妻の球磨子は殺人容疑で逮捕され、不利な状況に追い込まれる。
本作の見どころは、まったく無実の人間が、「怪しい」というイメージだけで犯人と疑われ、最悪、冤罪によって死刑や無期懲役になりかねない恐ろしさを描いている点だ。
裁判は開かれるが、検察が証人として連れてくる人物は、みな球磨子に悪感情を持っており、見てないものまで「見た」と証言したりする。
そんな球磨子の弁護に立つのが、国選弁護人の佐原律子(岩下志麻)だ。
素行の悪い球磨子に愛想を尽かしながらも、律子はプロとして無罪を勝ち取る為に奔走する。
球磨子と律子は、女性としても対照的で、男好きのする球磨子に対して、キャリアウーマンの律子は離婚歴あり、元夫との関係は修復不可能で、ついには一人娘と二度と会わないで欲しいと突き放される。
いわば底辺の球磨子が、高キャリアの律子をチクチク刺激するところにドラマの醍醐味があり、本作は法廷劇であると同時に、女の意地と生き様を懸けたドラマでもある。
果たして、人生を楽しんでいるのは、どちらなのか。
推理ものに興味のない方でも、二人の名女優が火花を散らす姿に圧倒されるはずだ。
女二人の生き様が激突する 映画『疑惑』
後述にもあるように、野村芳太郎監督の映画『疑惑』は、女優・桃井かおりに焦点を当て、悪女とキャリアウーマンの葛藤を描いた生々しい人間ドラマに仕上がっている。
『富山の毒婦』と言われる鬼塚球磨子を演じるのは、「湯上がり卵肌」の桃井お姉さま。
国選弁護士として球磨子の弁護に立つのは、「あんたら覚悟しいや」の岩下志麻姉御。
日本演劇界の両雌が並び立って、ただのサスペンスで終わるわけがない。
桃井お姉さまは、自分の弁護に立ってくれる律子に対しても我が儘で礼儀知らず、志麻姐は、そんな被告人に嫌悪感を抱きながらも、職業人として事件に取り組み、無罪の突破口を探る。
しかし、女としてどちらが幸福か……といえば、簡単にジャッジできないのが、この作品の面白いところ。
*
深夜、一台の車が埠頭から海に飛び込み、一人の女が助け出される。女性の名は鬼塚球磨子。前科四犯の悪名高い女だ。同乗して死亡した、彼女の夫・白河福太郎は、富山の有名な白河酒造の社長で大金持ち、しかも多額の生命保険がかけられていたことから、球磨子に殺人の容疑がかけられる。
捜査メンバーはいつもの皆さん♪
鬼塚球磨子は記者会見を開き、「車を運転していたのは、夫の白河福太郎。自分は無実だ」と主張するが、誰も信じない。
とりわけ、新聞記者(=柄本明)はこの事件の全貌を暴こうと、執拗に球磨子を責め立てる。
Shall We ダンスの頃からちっとも変わってないわ……って、Shall Weの方が後なんですね^^;
「車は球磨子が運転していた」と主張する証人(電話ボックスの中から目撃した男)もおり、有罪は確定的。こんな難しい裁判を引き受ける弁護士は誰もいない。そんな中、国選弁護人として任命されたのが佐原律子。クールなキャリアウーマンで、早速、独自の調査を開始するが、私人としての暮らしは決して幸福ではなかった。
夫とは離婚して久しく、一人娘の“あや”は、夫と再婚相手の家に暮らしている。娘と会えるのは一ヶ月に一度だけ。胸に秘めた淋しさが、逆に、強い姿勢を作る。
律子とは対照的に、自由奔放に生きる球磨子。妻に先立たれて、独り身が長い金持ちの白河福太郎をたらし込み、白河家の妻に収まる。
福太郎は、中年になってから色恋に狂い、人生までふいにする男の典型。
当然、はすっぱな球磨子は白河家で大問題になり、福太郎は「離婚すべき」と親族一同に迫られる。それを知った球磨子は、福太郎の不甲斐なさを責め、「こんな家、出て行ってやる」と啖呵を切るが、心底、球磨子に惚れている福太郎は「捨てないでくれ、愛してるんだ」とすがりつく。このあたりが、真面目な女性には理解不能なところ。こんな我が儘で非常識な女に、何故そうまで……と首をひねりたくなるが、そこが男女の機微というやつで、こういう女性こそが男心を捉えて離さないんですよね。
「だったら、生命保険に入って。一億や二億じゃ駄目だからね、全部入って」。球磨子に詰られ、蹴られしても、球磨子を失うまいと、生命保険に加入する福太郎。しかし、こんな経緯を法廷で訴えたところで、誰も信じない。誰がどう見ても、福太郎は真面目な常識人で、こんな女の言いなりになるとは想像もつかないからだ。
そんな対照的な女二人が、立証不能な無実を勝ち取ろうというのだから、接見も殺伐として、言い合いばかり。
球磨子は裁判の仕組みも、証言の重大さも、何一つ真面目に理解しようとせず、ちゃらんぽらんな態度で律子をイライラさせる。
一方、球磨子の自由奔放な生き方に触れ、キャリア一筋できた律子の価値観も微妙に揺れ始める。
このあたり、単なる容疑者と弁護士ではなく、全く異なる価値観に生きる女二人の対決という構図で、相手の一言一言にムカっときたり、同情したり、心理的な掛け合いが面白い。
特に岩下志麻は、弁護士として無罪を勝ち取ろうとするが、反面、「やはり球磨子は黒ではないか」という疑惑も抱いており、その揺れ動く内面の演技が素晴らしい。
非常に面白いのは、検察側の証人として立った、クラブ経営者・堀内とき枝とのやり取り。
「証人(クラブ経営者の堀内とき枝)は、被告(=球磨子)が一方的に財産を狙って、福太郎氏に接近したと供述しています。しかし、事実はそうではなくて、証人は、当時、得意客である松井商事が山林売買の件で白河酒造との商談に難航しているのを知り、被告を福太郎氏に接近させることで、その商談を有利に運ぼうと画策した疑いがありますので、その点を明確にしたいと思います」
律子が主張すると、ママを演じる山田五十鈴が、すごい迫力で切り返す。
「馬鹿じゃないの、この人! 裁判長、なんとか言ってやってくれ。女が金目当てに男をたらすのは当たり前だろ。男だってそれを承知で遊びに来るんだよ。あたしゃね、30年、この商売をやってるんだよ。男と女のことだったらね、悪いけど、あんたなんかより、よっぽど泥水呑んでんだよ。騙すも騙されるも、紙一重。そんな事も知らないで、よく弁護士なんかやってられんねえ。うちに帰って、よく亭主に聞いてごらん。そんな調子じゃ、亭主に逃げられっちまうよ」
図星をつかれて、ヒクっとする演技が印象的。岩下志麻はこういう顔の演技が上手い。
一方、球磨子の元恋人で、仮釈放中の身でもある豊崎勝雄も、球磨子の実像を知る重要人物として検察側の証人に立つが、途中で、球磨子に同情し、今までの供述を全部ひっくり返して、法廷の流れを変える。
鹿賀丈史は、女にだらしないチンピラ役を演じたら天下一品。
後に勝雄は改心し、球磨子との過去を語る。
球磨子が出所した時、勝雄が迎えに行くのだが、ぽろぽろ涙を流しながら、勝雄にキスするシーンが本当に可愛い❤
その時のことを、勝雄は照れ照れしながら律子に語る。
「あの女はさ、あん時だけはただの娘みたいで、たまんなく可愛くてサ……。わからんよな、女って」
ここでもやっぱり愛されるのは球磨子で、律子のような女ではない。
裁判に勝利し、律子はまた一つ、輝かしいキャリアを積み上げるが、私生活には思わぬ不幸が待ち受けていた。
夫の後妻から、これ以上、娘のあやに会わないで欲しいと懇願されるのだ。
それは法律違反だと律子は言い返すが、新しくあやの母親となった”さきえ”の真摯な思いを知り、考えを改める。
娘に最後の微笑みを送る律子。娘の幸せを願うなら、自分が引き下がるしかないのだと。
一方、球磨子は何所吹く風。
再び夜の世界に舞い戻り、新たな金づるを物色中。
裁判には勝ったものの、福太郎の自殺が確定したことで生命保険金はおりず、律子に「何とかしろ」と迫るが、律子の返事は冷淡そのもの。
球磨子 「じゃあ、白河家から慰謝料とってくんない? だって、あたし、被害者なんだから。あいつら、ちょっと締めてやんなきゃいけないっショ」
律子 「何いってんのよ。お互い様じゃないの。向こうだって、あなたを恨んでるのよ。福太郎さんを自殺に追い込んだのは、あなたのせいよ」
球磨子 「自殺に追い込んじゃいけなかった? いいじゃない、男の一人や二人、死んだってねぇ なにが”愛してる”よ。あたしに逃げられるのがイヤで、つかまえておきたかっただけじゃないの。無理心中なんて、ふざけてもらっちゃ、困るのよ」
律子 「あなた、福太郎氏が無理心中しかけなかったら、どうしてた? やった? それとも殺せなかった? 度胸もないくせに、ジタバタすんのはおよしなさい、みっともない」
球磨子 「……そうねぇ……時間があったら、やってたね……。
この場面の桃井かおりの言いよう。他の誰にも真似できない、いやな女。でも、どこか憎めない.
球磨子 「あんたって、ホントに嫌な目つきしてるわね。いつでも人をモルモットみたいに見てんのね」
律子 「あたしね、あなたみたいにエゴイストで、自分に甘ったれてる人間って、大っきらいなの」
球磨子 「あたしだって、あんたみたいな女、きらいよ。あたしはね、どんな悪くったってね、みっともなくったってね、人なんか構ってらんないのよ。だけど、あたしは、あたしが好きよ。あんたさ、自分のこと、好きだって言える? 言えないっしょ。可哀想な人ね。あんたみたいな女、みんな大っきらいよ」
で、岩下志麻の高級スーツに赤ワインを浴びせる場面が最高。
お返しに、岩下志麻は桃井かおりの顔にグラスワインをぶっかける。
球磨子 「あんたって、最低ね。命が助かっただけでも、めっけもんでしょ」
律子 「あたし、懲りてるわけじゃないのよ。今度のことで、自信もっちゃってさ、あたし。あんたみたいな女にだけは、ほんと、ならなくて、良かったと思って。あたしは今まで通り、あたしのやり方で生きていくわよ。男たらして、死ぬまで、しっかり生き抜いてみせるわよ」
球磨子 「あなたは、それでしか生きられないでしょうね。あたしは、あたしの生き方で生きていくわ。ま、せいぜい頑張ってね。またしくじったら、弁護してあげるわよ」
これ、もしかして、本音で喋ってませんか^^; というぐらい、真に迫っています。
しかし、こうして見ると、女として、どっちが正しいのか。
”正しい”が不適切なら、「利口」「幸せ」に言い換えよう。
世間に蔑まれても、自分に正直に生き、男にもベタ惚れされる球磨子と、見た目は立派だが、中身は空疎で、お世辞にも愛されるタイプとは言えない律子。
前者に憧れても、結局は、社会の枠組みに沿って、律子的に生きる女性の方が圧倒多数だろう。
「女は我が侭」と言われるが、本当に我が侭に生きるのは難しい。
ラストは、球磨子が特急に乗り込み、新たに旅立つ場面で終わる。座席に一人腰掛け、一瞬、良心が咎めるような表情を浮かべるが、すぐにいつもの不遜な自分に戻り、にっと薄笑いを浮かべなばらタバコの煙を吐き出す仕草が神レベルの名演。今後、誰が球磨子を演じても、この表情は絶対に真似できないと思う。
また、そんな球磨子を物陰から興味津々に覗き見る男たちの視線が面白い。どんな男性も「一生に一度は、カルメンみたいな悪女に振り回されてみたい」という願望があるのもしれない。
原作と映画の違い : 証人の心証と世間のイメージが捜査を狂わせる
原作と映画の違いを明確にしておきたい。
松本清張の原作『疑惑 (文春文庫) 』はの主人公は新聞記者・秋谷茂一(映画では柄本明)で、疑惑の主、鬼塚球磨子が前面に出ることはない、という点だ。
また映画で球磨子を擁護する国選弁護士・佐原律子(映画では岩下志麻)は、原作では、ぬーぼーとした男性弁護士・佐原卓吉に設定されている。
誰がどう考えても有罪確定の鬼塚球磨子の弁護を引き受ける者など、誰もいない。しかし、弁護士が付かなければ、いつまで経っても法廷は再開されない。そこで、地裁の刑事部長が懇請して佐原卓吉が選ばれるわけだが、佐原は民事を専門とする弁護士で、刑事事件はまるで経験がない。この事件の報道で、鬼塚球磨子・有罪説を説いてきた新聞記者の秋谷としては非常に都合のいい人選だった……というわけだ。
原作いわく「四二歳の佐原弁護士は、両頬がすぼんでいて、首が長く、肩が落ちていた。眼鏡の奥には引込んだ眼窩があり、鼻梁が高く、顎が尖っていた。その白い顔は、細長い三角形になっていた。ただ唇だけは病的なくらい赤かった。これが色白の顔色と撫で肩と共に女性的な印象を人に与えた」と、キャリアウーマンの映画版とは180度異なっている。
新聞記者の秋谷は、鬼塚敗訴を確信し、佐原弁護士に接近するが、これが意外にやり手で、誰も重視しなかった「車中のスパナ」から、鬼塚球磨子=無罪の立証を固めていく。
もし、裁判で球磨子の無罪が確定したら、新聞記者としての秋谷のキャリアは終わりだ。敗色が濃厚になると、弁護士の佐原に対して思いがけない行動に出る。この結末は原作を読んで頂くとして、映画と全く視点が異なるのは、映画が女二人の火花と、鬼塚球磨子=桃井かおりの悪女の魅力に焦点を当てているのと異なり、原作は、タイトルそのもの『疑惑』をテーマにしている点である。その疑惑とは、鬼塚球磨子に対する疑惑ではなく、「毒婦」「前科者」「おどろおどろしい名前」という先入観から、確かな証拠もないのに『鬼塚球磨子=有罪』と決めつけて、法廷も世間も突っ走っていく恐ろしさを描いたものである。
喩えるなら、「和歌山毒物カレー事件」が最たるものだろう。最終的には、証拠固めが進み、法的な手続きを経て立件されたけども、逮捕に至るまでの過程は、『元保険外交員の主婦』が絶対犯人という前提で世論形成がなされていった。松本サリン事件もそうだが、渦中の人物の第一印象や先入観、報道の口調から「こいつ、絶対に怪しいよね」と世間が一斉に疑惑の目を向けるのは小説に限った話ではない。現代なら、まだ罪状も確定してないのに、渦中の人物や関係者の個人情報がSNSなどで晒されることもある。
小説『疑惑』は、そうした世間の先入観から、証人までもが「『鬼塚球磨子=有罪」という前提で証言を行い、認識さえ歪めてしまう恐ろしさを描いている。
たとえば、死亡した白河福太郎の友人で、建築業を営む経営者が証人として登場するが、この証人は『鬼塚球磨子=有罪』という先入観を持っているから、白河福太郎の「あいつに殺される」という軽口を、あたかも球磨子に殺意があったかのように警察に供述している。
証人 そのとおりです
弁護士 あなたの忠告を聞いた白河福太郎は「あの女には三千万や五千万の慰謝料ではだめだ。一億円以上出さないと承知しないだろう≪中略≫だが、いまあの女を離別しようとすれば、おれはあいつに殺されるのを覚悟しなけれbあならない」とあなたに語ったとありますが、そのとおりですか。
証人 福太郎はそういう意味のことをわたしに云いました
弁護士 白河福太郎が妻の球磨子に殺されるというのは具体的にはどういうことか、あなたは白河からそれを聞きましたか。
証人 いいえ。福太郎は具体的には云いませんでした。
≪中略≫
弁護士 殺すとか殺されるとか云う言葉は、日常の軽い冗談にもよく使われます。鬼塚球磨子には明確な実行計画がないのですから、彼女に殺意があったわけではありません。したがって白河福太郎は球磨子に殺意を感知したわけでもありません。白河があなたに「あいつ(球磨子)」に殺されるのを覚悟しなければならない」と云ったのは、なんら根拠のない、白河福太郎の軽口と考えられますが、どうですか。
証人 そう云われてみると、とくべつに根拠のある、深い意味の言葉ではなかったと思います。
つまり、証人に『鬼塚球磨子=有罪』という先入観があれば、「白河さんは、いつか球磨子に殺されると脅えていた。あの女には殺意があった」と印象づけることが可能で、それが法廷において有罪の証拠になってしまう、という危うさである。
次に、白河福太郎と鬼塚球磨子の乗った車が埠頭を突っ走るのを電話ボックスの中から目撃した男性が登場する。彼は許嫁者と電話中であったが、車を運転していたのは鬼塚球磨子で、彼女が故意に海に飛び込み、白河福太郎を殺害した……という前提で供述している。
しかし、「夜間」「強雨」「ハレーション」という条件から、佐原弁護士は供述の曖昧さを指摘する。
証人 いま思い返してみると、そういうところはあります。
弁護士 その心理状態から助手席の人物の顔も服装もはっきり見ずに、男のようだったという印象だけになったのではありませんか。
証人 云われてみると、そういう点はあります。
弁護士 あなたは七月二十一日夜に起こったA号岸壁からの転落事故を新聞で読みましたか。
証人 二十二日の朝刊で読みました。
弁護士 そしてその後に、この被告人席にいる鬼塚球磨子が運転し、死亡した白河福太郎が助手席にいたという推定による新聞記事や週刊誌の記事を読みましたか。
証人 読みました。
弁護士 あなたはそれらの記事の影響によって、助手席にいたのが「男性のようだった」という印象になったのではありませんか。
証人 そういう一面のあることを否定しません。
つまり、誰の証言にも「印象」が影響し、それが100%真実とは言い切れないのが疑惑の恐ろしさだ。
たとえば、痴漢えん罪で、女子高生は「このおじさんが触った」という。彼女の両隣に居たのが、「真面目なイケメン」と「キモそうなおじさん」なら、女子高生の印象はどうしたって「キモそうなおじさん」に傾く。どこをどう触られたのか、という話になると、彼女自身も記憶が曖昧になり、事実と異なる証言も出てくる恐れがある(本当は右のお尻を触られたのに、「左だった」みたいな話)。そして、それを100%真実と証明する手立てはどこにも無く、ひとたび冤罪が確定すれば、潔白を証明するのは容易ではない。
まして世間が一斉に疑惑の目を向ければ、理性のある人でも、男性を女性と思い込んだり、「白」に見えたものを「グレー」と言い張ったりする。
私も冤罪事件の詳細は分からないが、実際、こうした曖昧な証言で有罪に傾くことはあるのだろう。
そして、その片棒を担いでいるのが、スキャンダル大好きなマスコミやSNSだとしたら、我々はどのような事実に対しても、もう少し慎重になるべきだろう。
世間の決めつけは、証人の記憶も歪め、何の関わりもない人の人生をメチャクチャにしてしまうのだから。
※Kindle版より
実際、こんな曖昧な証言で、あなたの有罪が確定したら、どうします?
先走った報道が捜査の行方や関係者の心証を黒に変えてしまう……。