わがままばかり言っている人へ
このページを開いたあなたは、「人生には、与えるときもあれば、与えられるときもある」ことを胸に刻んでください。
そしていまは、あなたにとって「相手のために何かをする」時期なのです。
人は誰でも、利己的でケチな部分を持っています。
「自分が損になるようなことはしたくない」
「いつでもプレゼントをもらう立場でいたい」
そんなふうに思っている人もあるでしょう。しかし、夫や恋人とうまくつきあっていくためには、この自分本位の態度を改めなければなりません。いつも相手から何をしてばかりで、相手が何かを求めてきてもそっぽを向いていると、そのうちに、相手はあなたに何かしてあげたいと思わなくなります。そして二人の信頼関係は崩れ、破綻を招くことにるのです。
いまは、彼のために何かをしてください。そのためには、いったい誰のために、何をすればいいのか、そしてどんな方法で実行すればいいのか、よく考えることが大切です。
「私はあの人にものすごく尽くしている」
そう思っている人も、そのやり方を見直しましょう。それがほんとうに相手のためになっているのかどうか、よくよく考えてみてください。
「時間を割いてくれないかな。二人でゆっくり話をして、のんびり過ごしたい」
「もっとやさしくしてほしい。疲れているボクをなぐさめ、励ましてもらいたい」と願っている相手に、あなたは気持ちよりも先にお金を与えてはいませんか?
反対に、お金が欲しいと思っている相手に、いくらやさしくしたところで、あまり感謝されません。相手が何を望んでいるのか、具体的に尋ねてみましょう。そして、それを喜んでできるかどうか、よく考えることです。
また、あなたは、自分が理解できること、自分が好きなことには心を広く持つことができるでしょうが、自分にはよくわからないこと、興味がないことにも寛大でいられますか?
たとえば、あなたがゴルフやサッカーにまるで興味がなくても、相手が夢中になっているのなら、たまの休日には彼をニッコリ送り出してあげましょう。寛容になることが大切です。
また、相手の気持ちを無視し、自分勝手によかれと思い込んでいることをして、自己満足に陥っている場合もよくあります。休日には山登りをして自然に触れたいと願っている相手を無理やりショッピングに連れ出し、高価なブランド品をプレゼントしたところで、彼はちっとも嬉しくないはずです。
「やさしくしてあげたり、贈り物をしたりするのって、なんだか損するみたいでもったいない」
などとケチなことを言っていると、やがてはそれがあなたの信念になります。
そして、その信念は普段の生活に反映され、真実になるのです。
誰にでも、精神面、物質面での余裕はあります。何といっても、私たちは豊かな時代に暮らしているのですから。
「私は豊かなんかじゃない。余裕なんてないわ」
と心を閉ざしているのは、単なる臆病にすぎません。あなたには相手に何かをするだけの余裕がちゃんとあるのです。
また、いつもあなたに尽くしてくれる相手には、
「そんなにしてくださらなくて結構よ」
とはっきり意思表示したほうがいいでしょう。そして、今度はあなたが相手に尽くすのです。
いまこそ、二人の間のバランスを変える時期なのです。
あなたが実際に相手に尽くし、何かをプレゼントするようになれば、結局はより多くのものが返ってきます。あなたが寛大になり、もとの自己中心的な人間に戻らないかぎり、返ってくるものは大きいのです。
出典 : 相手のために何かしよう ~わがままばかり言っている人へ 『恋に揺れるあなたへ 56の処方箋』より
先に与えたら「負け」と思っている
「与える」とは、ラーメンが食べたい人に、ラーメンを作ってあげることです。
何を当たり前のことを……と思われるかもしれませんが、ラーメンが食べたい人に、「ステーキの方がいいわよ」と無理に相手の口に押し込む人も少なくありません。
「ステーキの方が高級だから」「せっかく焼いたから」という自分の都合で、一方的に押しつけるのです。
その結果、相手がステーキを食べ残したら、「失礼な人」と腹を立て、自分は愛されてないと落ち込みます。
ラーメンが食べたい相手の気持ちをまったく見てない証しです。
恋人でも、友人でも、人間関係が長続きしない人は、与えるのが苦手です。
「ラーメンが食べたい人に、ラーメンを作ってあげる」という当たり前のことができません。
「ご馳走するならステーキね! と、一人で勝手に突っ走り、相手の口にぐいぐい押し込んで、自己満足してしまうんですね。
ラブ・ウィズダムが指摘する「いったい誰のために、何をすればいいのか、そしてどんな方法で実行すればいいのか」を考えることが愛です。
最高級のステーキを食べさせることが愛ではありません。
ラーメンが食べたい相手の気持ちに気づかないとしたら、相手のことより、自分の都合ばかり考えている証しです。
それでは誰と付き合っても上手くいきません。
「相手の気持ちに気がつく」ということは、想像力のたまものです。
たとえば、通勤電車で疲れて座っている時、目の前に、足腰の悪いおばあさんが乗ってきたら、自分はしんどくても、おばあさんに席を譲る人も少なくないでしょう。
それは、相手の痛み苦しみが想像できるからです。
自分も疲れてるけど、相手はもっとしんどいだろう、お年寄りだし、足腰も悪そうだ。
想像力が働くから、席を譲ることができるんですね。
目の前に足腰の悪いおばあさんがいても、何とも思わない人、周りがジロジロ見るから、仕方なく席を替わる人に、想像力はありません。
他人に対する想像力がなければ、目の前にお腹をすかせた人がいても、何も気付かないでしょう。
それどころか、「どうして言わないの!」と腹を立て、最高級のステーキを作ってあげたことを、いつまでも恩着せがましく言うでしょう。
どんな人も、自分が疲れている時、せっかく取れた席を他人に譲るのは、とても損した気分になります。
自分はステーキが食べたいのに、相手に合わせてラーメン屋に行くのも損した気分になります。
しかし、そのことで相手が感謝すれば、物事はすべて違ってきます。
気持ちよく席を譲るあなたは、周りの人から見て、立派な人に見えるし、もしかしたら、満員電車の中には、憧れの人がいて、「優しいコだな」と感動しているかもしれません。
また、今日は我慢してラーメン屋に付き合ってくれたあなたに、相手も感謝して、次はあなたの行きたいお店に連れて行ってくれるかもしれません。
自分の都合ばかり押しつけて、最高級のステーキハウスで舌鼓を打っても、嬉しいのはあなただけ、相手は心の中でシラけて、「二度と付き合うか」と思っていることでしょう。
その場では損したように見えても、長い目で見れば、倍になって返ってくることはたくさんあります。
損だの、得だの、腹の底で損得勘定ばかりしている人は、決して幸せになれないのです。
Giving 与えるとは「心」と「時間」を捧げること
英語には、一つの単語が複数の意味をもつ、「ダブルミーニング」がたくさん存在します。
たとえば、和製英語のように使われる「go」も、「行く」という意味だけでなく、「変化する」「動作する」「消え失せる」「逝く」といった、様々なニュアンスを持ちあわせます。
Givingの動詞である「give」も、「与える」の他、「関心を払う」「許す」「譲歩する」「示す(見せる)」といった多くのニュアンスをもち、この章のタイトルである、giving(giveの名詞)も、単純に「物を与える」というだけでなく、心配りや譲り合いの意味も兼ねています。
つまり、相手に「心」と「時間」を捧げることが、最大の愛の証しということですね。
育児の話になりますが、私の好きな言葉に、「子供に対する最大の贈り物は『時間』です」というものがあります。これは海外の人気番組スーパーナニーが著書の中で述べられたことですが、愛情を形に表せば、「時間」になるのは、大人の恋愛や人間関係も同じではないでしょうか。
誰しも自分の時間は大事ですし、他人のためにタダ働きはしたくないもの(たとえ家族であっても)
暇があれば、リビングでゴロゴロしながら、漫画でも読みたい気持ちは誰しも同じでしょう。
しかし、その気持ちを後ろに回して、まずは子供やパートナーの為に何かする。
それこそが愛です。
大きなことは必要ありません。
お茶をいれるだけでも、気づかいは十分に伝わります。
givingは、相手の言うなりになることでもなければ、自己犠牲でもありません。
相手のために、ほんの少し、手先を動かすことです。
愛はこんな小さなことの積み重ねです。