恋愛は不安との戦いである。結婚は不満との戦いである
『恋人』は、家族でもなく、友人でもなく、まして社会的に認められた伴侶でもありません。
切ろうと思えば、いつでも切って捨てられる、中途半端な存在。それが『恋人』という立ち位置です。
そんな恋人の心情と結婚後の葛藤を、作家の唯川恵さんは「恋愛は不安との戦いである。結婚は不満との戦いである」という言葉で表現しました。(『瑠璃でもなく、玻璃でもなく(集英社文庫)』の扉ページより)
恋愛中の人が、常に不安に感じるのは、相手の好意だけが頼りで、社会的には何ものでもないからでしょう。
何年何ヶ月の繋がりがあろうと、相手が心変わりすれば、簡単に切って捨てられます。
だから女性も必死でしがみつき、結婚という安定を求めるのだと思います。
しかし、恋愛も結婚も、安全安心の保険証ではありません。
最初からそれを期待するのが間違いで、恋愛と結婚の意義は、一人の人間と正面から関わる点にあります。
『人は人に磨かれる』という言葉にあるように、自分一人の世界で閉じているよりは、人と心を擦り合わせて生きた方が、より多くの学びを得ることができます。
人との関わりを通して培った知恵や強さが、仕事や、社会生活にも活かされ、人生も円滑に運ぶようになっていくんですね。
どんな形に収まろうと、対人関係の悩みがゼロになることはありません。
それよりも、これほどの戦いに挑んだ自分自身を褒めてあげましょう。
居場所がない女性
昔から「女、三界に家なし」(大辞林の解説「女は三従といって、幼い時は親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないとされるから、一生の間、広い世界のどこにも安住の場所がない。女に定まる家なし」)と言われるように、親と同居の独身時代は「いつになったら、お嫁に行くの(この家を出て行くの)?」と迫られ、結婚してからは「旦那と別れたら、他に行く所がない」と途方に暮れ、子供が所帯を持ってからは「義母さんと同居? 冗談じゃないわよ」と疎まれ、どこにも安住の地が無いのは、現代も同じだと思います。
そんな女性の人生において、恋人という立場ほどあやふやなものはありません。
家族でもなく、友だちでもなく、社会的に認められた伴侶でもない。
切ろうと思えば、いつでも切って捨てられる、中途半端な存在。
それが『恋人』です。
「恋愛は不安との戦い」というのは、まさに至言で、将来への不安に負けた時、女性は自尊心も生き甲斐も失って、奈落に落ちるのかもしれません。
かといって、結婚すれば、今度は不満との戦い。
箸の上げ下ろしに始まって、靴の脱ぎ方、洗濯物のたたみ方、調味料の使いかた、ありとあらゆる出来事が不満の対象になります。
それなら恋愛も結婚もしなければいい、と思うかもしれませんが、それも淋しくないですか?
『独りもの』というステータスが悪いのではなく、独りでいると、誰とも心をすりあわせることなく、自由気ままな暮らしの中で、どんどん自己肥大するからです。
他人の些細な言動が許せなかったり、白か黒かでしか物事を判断できなかったり。
たとえ外では真面目な社会人で通っていても、他人と心をすりあわせることなく、自分一人の世界で生きていると、自分の感覚が全てになってしまいます。
キャリアを積もうと、物知りになろうと、人間としてのバランスを欠いてしまうんですね。
「人は人に磨かれる」というように、他人は煩わしい反面、譲歩、忍耐、許容、無視(いい意味で)など、様々な心のスキルを磨いてくれます。
こうした心のスキルは一人でマニュアルを読んでも決して身につきません。
どんな生き方をしようと、人や社会との関わりをなくして、一人で立つことはできないのです。
二人の交際がどんな道筋を辿るかは誰にも分かりません。
しかし、どのような結末に終わろうと、人と深く関わった経験は、後々、必ず生きてくるのではないでしょうか。