映画『フロスト×ニクソン』
作品の概要
フロスト×ニクソン (2008年) - Frost/Nixon (ニクソンはウォーターゲート事件がきっかけで現職中に辞職した初めての大統領)
監督 : ロン・ハワード
主演 : フランク・ランジェラ(ニクソン元大統領)、マイケル・シーン(人気司会者フロスト)、ケヴィン・ベーコン(ニクソン側のブレーン)
だが、ニクソンはフロストの追及をのらりくらりとかわし、決して自分の不利になる発言はしない。それどころか、一方的に話を進め、フロストの思惑から大きくかけ離れていく。
このままではニクソンのワンマンショーになってしまうと危惧したフロストは、最終日、ある賭けに出る……。
大統領の替え玉を主人公にしたコメディ映画『デーヴ』では、意地の悪い大統領特別補佐官を演じたフランク・ランジェラが、本作では老獪な大物政治家を体当たりで演じ、アカデミー主演男優賞を受賞した。本物と見まごう迫力は一見の価値あり。
元大統領の謝罪はあるのか? 世紀のインタビュー
ウォーターゲート事件が起きた時、私は幼かったので、ほとんど内容は理解できなかったが、日本でも連日報道されていたのを覚えている。
当時のインパクトは、トランプ大統領の失言やクリントン大統領の「不適切な関係」(ホワイトハウス実習生・モニカ・ルインスキー女史との不倫騒動)どころではない。
日本のTV番組でも、キッシンジャーの名前と共に、繰り返し、事件の詳細が報じられ、ついには現職大統領が辞任したのだから、事の重大性がお分かりいただけると思う。トランプ大統領も、クリントン大統領も、あれほどワイドショーで騒がれても、ついに現職辞任はなかった。(恐らく昭和の方が政治家の汚職に敏感だったと思う。今は皆が慣れっこ)
本作は、現職中に政権を去ったニクソン元大統領に対し、イギリスの人気司会者デービッド・フロストが対談を試み、ついには世紀の発言を導き出した、伝説のインタビュー番組を忠実に再現したものだ。
番組自体はもちろん、裏側でのスタッフの奮闘や焦りを如実に描きだし、ウォーターゲート事件を知らない人でも、十分に楽しめる内容に仕上がっている。
作中のニクソンは、ひと言で言えば『怪物』だ。
策士。
傲岸。
二枚舌。
政治家に必要な資質は全て備えている、プロの政治家である。
己の地位や権力を守るためなら、敵を踏みにじり、法を犯すことも厭わない。
その怪物が、バラエティ番組の司会者に過ぎないフロストの申し出を受けたのは、インタビューを通して、政治家としての健在ぶりや自身の潔白をアピールできると考えたからだ。
上手くいけば、再び表舞台に立てるかもしれない。
政治の何たるかも知らないフロストとの対談など、ニクソンにとっては、赤子の手を捻るより簡単だったろう。
一方、フロストは、このインタビューを成功させて、アメリカ進出への足がかりとしたい
その為に、私財をなげうって、番組制作に取りかかる。
だが、果たして、フロストはアメリカ進出の為”だけ”にインタビューを思い立ったのだろうか。
答えは否。
それを物語るワンショットが映画の冒頭にある。
ニクソンが大統領官邸を去る際、あたかも「濡れ衣を着せられ、政治的責任をとって、潔く現職を去る大統領」を強く印象づけるように、専用機の前でにこやかに手を振るニクソンの顔に、一瞬、苦渋の色が浮かぶのを、フロストは見逃さなかった。
フロストは、司会者として、また一人の市民として、ニクソンという男に興味をもち、インタビューを試みる。
TVカメラの前に大物政治家を引きずり出し、土下座させようとか、恥をかかせてやろうとか、邪悪な企図は一切ない。
フロストが知りたいのは、「真実」の一点だ。
ニクソンが一人の人間として、あるいは、国に仕える政治家として、ウォーターゲート事件をどう思っているか、そのひと言である。
とはいえ、相手は百戦錬磨の策士。国をあげての捜査にも、ついに尻尾を出さなかった怪物である。
まともに太刀打ちできる相手ではない。
ニクソンが優秀なブレーンを抱え、全力でインタビューに挑むように、フロストも、ニクソンの不正に詳しいジャーナリストやノンフィクション作家とチームを組み、入念な下調べを行うが、のらりくらりとかわされて、まるでニクソンのワンマンショーである。(ちなみにニクソンのブレーンを演じるケヴィン・ベーコンが面白い。スタジオの外でガッツポーズしたり、アチャーと顔をしかめたり、ケヴィンを見るだけでも価値がある)
ニクソンの首根っこを押さえるはずだった、ベトナム戦争やカンボジアの話題さえ、まるでそうすることが大統領として正しい選択であったかのような印象を与え、番組制作スタッフにも、「今ならニクソンに投票する」と言わしめるほどである。
コメディアンあがりのフロストには、手のかけようがない鋼鉄の壁に思われた時、流れを変える一本の電話がかかってくる。
それは勝利を確信したニクソンの、いわば一方的な勝利宣言だった。
しかし、この電話によって、再び闘志に火が付いたフロストは、最後の大勝負に出る。
それは一般には公開されてない、側近との会話記録にあった。
そして最終日。
自信満々で、最後のインタビューに臨んだニクソンは、思いがけなく人間としての良心をつかれ、ぽろりと真情を口にしてしまう。
その過程は、さながら政治版『罪と罰』といったところ。
あらゆる策を通して逃げ切ったニクソンも、人間としての良心は誤魔化せなかったのだろう。
それはフロストの勝利というより、神と正義の勝利である。
ニクソンは「怪物」であっても、悪魔ではなかったのだ。
真実を語ることで、復帰の足がかりを永久に失ったニクソンは、政治家としては完全に終ったが、人間としては少し救われた。
そのことを、エンディングのやり取りで、控えめに描いている。
本作が舞台劇としても評価が高いのは、説教を持ち込まず、フロストの履く『イタリア製の女々しい革靴』というモチーフを通して、ニクソンの人間としての心の変化を軽妙なタッチで描いているからだろう。
この世には誰にも言えない秘密を墓場まで持っていく人も少なくない。
ニクソンもその最たるもので、真実はこの程度ではなかったはずだ。
そして、人間とはおかしなもので、秘密が大きければ大きいほど、誰かに喋らずにいられない。
ニクソンも、どれほど否定を貫き通しても、「誰かに話して楽になりたい」という思いは少なからずあったのではないだろうか。
また、その引導を渡したのが、アメリカ国民でもなく、司法関係者でもない、「コメディアンあがりのフロスト」というのも、人間社会の妙である。
ベトナム戦争が「メディア戦争」と呼ばれ、日夜送られてくる戦場の生々しい映像ゆえにアメリカの世論を動かしたように、ウォーターゲート事件も、政治家らにメディアの影響力を思い知らせるきっかけになったという。
本作は、議事堂からメディアへ戦場を移した歴史の転換期を知る上でも、大きな参考となるはずである。
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こちらは、実際のインタビューと映画の場面を比較したファンムービー。
実際のインタビューの要数を忠実に再現しているのが見て取れます。
また、フロストを演じたマイケル・シーンは、ダイアナ妃の葬儀とエリザベスⅡ世の葛藤を描く映画『クイーン』で、庶民の代表となるブレア首相を好演。フロストとはひと味違う演技を楽しめます。