恥ずかしくて、生きていくのも辛いほどなので、他の狐にも同じようにさせねばならぬと考えた。皆を同じ目に遭わせて、自分のぼろ隠しを図ったのだ。
こうして全員を集めると、こんなものは不細工なだけでなく、余計な重みをくっつけていることにもなると言って、尻尾を切るよう勧めた。
すると、中の一匹がさえぎって言うには、
「おいおい、そこの奴。もしそれがお前にとって都合の良いことでないのなら、我々には勧めはしなかったろうよ」
善意からではなく、自分の都合から他人に忠告を与える人に、この話は当てはまる。
イソップ寓話集(岩波文庫)
女の職場でよくある事だが、高齢独身のお局さまは、まだ右も左も分からぬ、若い女性社員を掴まえて、「結婚なんて、するだけ無駄」と説教したりするものだ。
同じように高齢独身の女性が増えた方が自分に都合がいいからである。
離婚経験者が「あんな生活、もうこりごり」と溜め息交じりに言って聞かせるならば、まだ耳を傾ける価値はあるが、結婚未経験者の「結婚なんて、するだけ無駄」という話ほど説得力のないものはなく、右も左も分からぬ若い女性が、そんな主張を鵜呑みにしていれば、後年、ほぼ確実に後悔することになるだろう。
同じ事は、不倫にも当てはまる。
どういう訳だか、不倫経験者ほど、不倫を正当化して、他人にも不倫を勧めるものだ。
万引きの後ろめたさのある子供が、他の子供にも「鉛筆一本ぐらい、いいじゃないか。万引きぐらい、皆、やってるよ」と勧めるのと同様で、不倫経験者も仲間が増えれば後ろめたさがなくなるからだろう。
人間のことだから、うっかり既婚者に恋をしたり、酒の勢いで過つこともあるだろう。
そのことについて心底恥じ入っているならば、それ以上、責めないのも、人情とは思う。
しかし、世間に対して後ろめたさがあるなら、そのように口をつぐんでおればいいのに、「別にいいじゃない、ね、ね、ね」と世間の同意を求めるような事を口にして、右も左も分からぬ若い女性を誘惑するから腹が立つのだ。
尻尾のない狐が、他の狐にも、「尻尾なんて、無い方がお洒落だよ」と勧めるように、不倫や、未婚や、詐欺師や、盗人の類いで、心の底に後ろめたさを隠し持っている人間ほど、他人にも同じことを勧めるものだ。
今はこういう考え方が最先端だよ。そんな生き方、時代遅れだよ、僕みたいになると成功するよ、エトセトラ。
人には、その人に合った生き方があり、成長のペースがあることなど、考えもしないだろう。
尻尾のない狐が、同じ事を他人に勧め、尻尾のある狐を全否定する時は要注意である。
その話は、誰の為であるかをよく考えよう。
失敗や恥の経験は、誰にでもある。
だが、自分を正当化する為に、対極にあるものを否定し、「君も同じようになれ」と言い出すのは、詐欺師の理屈である。