「恐れること」を恐れるのは、時間の無駄
わたしたちは、日々生活していくうえで、ときどき何かを恐れます。
たとえば、新しいことを始めようとする時、上手くいくかどうかを恐れたり。
理由もなく漠然と怖れを感じることもあります。
また、一生懸命に努力したことが報われなかったときは無力感を覚えるし、突然、理不尽とも思える災難がふりかかったときなどは、打ちのめされてしまいます。
そんなとき、ほとんどの人は、自分の恐れや無力感をなんとかとりはらおうとします。
そんなことをするかわりに、いっそそのままにしておいたらどうでしょうか。
恐れは生活の一部です。誰でもときどき何かを恐れるのです。
恐れること自体は何も悪いことではありません。
たいていは、「恐れること」を恐れるのが問題なのであって、恐れること自体が問題ではありません。
同じように、無力であるがゆえに無力感を感じることがよくあります。実際、人生のほとんどのことに対してわたしたちは無力なのです。
この無力感を認識するのが早ければ早いほど順調な人生が歩めます。
そのとき、初めて人生を悟ることができるでしょう。
【コラム】 自分でコントロールできない事の方が多い
子供の頃から頑張り屋さんで、成績も優秀だった人ほど、全ての物事は自分の努力でコントロールできると思いがちです。
確かに、受験や就職、仕事などは、努力に依るところが大きいし、資格試験も比較的、努力が報われやすい世界です。
しかし、人間関係、恋愛関係、天災、病気、交通事故など、自分の努力ではどうにも出来ないことの方が圧倒的に多いですし、自分は真面目にやっていても、素行の悪い親戚や非常識な同僚、信号無視のドライバーや無責任な施工会社などによって、思いも寄らぬ損害を被ることもあります。
災害だって、いつ自分の身に降りかかるか分かりません。
30年間、必死に努力して、ようやく手に入れたマイホームが地震や洪水でダメージを受けて、借金だけが残ったという例も少なくありません。
確かに、安全運転を心掛けたり、入念に下調べしたり、努力で防げる事もあるかもしれませんが、多くの場合は、「災難」としか言いようがないトラブルによって、不幸のどん底に突き落とされるものです。
その一つ一つについて、自分を責めていては、到底、生きていかれませんし、天災みたいに、本人の能力や魅力とはまったく無関係な不幸もあります。
自分一人の力ではどうにも出来ないことを、何とか修正しようとすれば、余計で心が苦しくなるばかりか、いっそう事態を悪化させてしまうのではないでしょうか。
問題が多いからといって、駄目な人生というわけではないし、時が来れば、自ずと解決することもあります。
もうダメだと思ったら、「そのままにしておく」というのも、一つの知恵ではないでしょうか。
人ひとりの努力など、たかが知れています。
努力によって、何でも自分の思い通りに修正できると考えるのは、その人の傲慢かもしれません。