恋は“するもの”ではなく、“してしまう”もの
「私は恋などしません」という人の理由として、
仕事が忙しい、
男性に興味がない、
他に生き甲斐があるから、等々。
しかし、人間が恋をする時は、
戦時中だろうが、
貧乏だろうが、
明日が面接試験だろうが、
相手が大統領だろうが、
恋をします。
恋をする、というよりは、“してしまう”のです。
人が人を恋するのに、理由などありません。
たまたま、そこにお相手がいて、胸がときめいてしまう。
それだけのことです。
旅行みたいに、何年も前から計画することもなければ、パンフレットを見比べることもありません。
ある日突然、頭上に隕石が落ちてくるみたいに恋をするから、誰にとっても劇的な出来事なのです。
恋はこういうものと決め付けず、もっと心を開いてみませんか。
恋人候補でなくても、素敵な人はいっぱいいます。
日々出会うもの、自分自身に対しても、優しい目を向けてみませんか。
心を開けば、恋はすぐ隣にあるもの。
頑なな心には、恋の足音さえ聞こえません。
恋と女性の魅力はあまり関係ない
恋は不可思議なものです。
なんで、あんな人と? みいたいに、
予期せぬ時に、予期せぬ相手と、予期せぬシチューエーションで恋に落ちるから、感動的なのであって、最初から分かりきっている恋など、どこにも存在しません。
たとえば、お洒落なレストランで美人と食事したからといって、必ずしも恋するとは限らないですね。
職場に長身のイケメンが転属されたからといって、誰もが恋に落ちるわけでもないと思います。
そうかと思えば、学生時代はまるで眼中になかった人を突然好きになったり。
相手が一回りも年下なのに、好きになってしまったり。
それも必ずしも美男美女とは限りません。
なんで、あんな人? と思うような人に、ドキンとときめいてしまうから、恋の醍醐味があるのです。
ところが、世間は評判はそうではありません。
「美人だから、好きになる」
「エリートだから、夢中になる」
恋愛といえば、美男美女でエリートのものというイメージがある為に、「自分が縁遠いのは、美しくないからだ」と無理なダイエットに励んだり、どうせ私なんかと卑屈になったり、良い風に考えられない人も少なくないのではないかと思います。
また、こうした先入観があると、せっかく立派な人に出会っても、「見た目がイヤ」とか「条件がいまいち」とかいう理由で敬遠してしまいます。
「出会い」とは、外に向かって心が開かれていることにも書いているように、本当に意味のある出会いは、心が開いてなければできません。
いい恋がしたければ、
「恋はこういうもの」
「恋人はこういう人でなければ」
という先入観は捨てましょう。
どんな美人だろうが、エリートだろうが、計画的に恋愛して、計画的に結婚する人はありません。
人を愛し、人生を楽しむ余裕が、素敵な恋を運んでくるものです。