患者さんの悩みはもちろん、同僚や先輩らの聞き役も務め、その中には「死にたい」という打ち明け話も何度かありました。
また自主的にカウンセリング講座を受講し、心理学(特に河合隼雄先生)の本もいろいろ読んで、臨床に役立ててきました。
その上で、子供が「死にたい」と言った時のヒントをここに記します。
皆様のお役に立てば幸いです。
子供が「死にたい」と言った時の覚え書き
大人の自殺と子供の自殺は違う
「大人の自殺」と「子供の自殺」は根本的に異なります。
大人の自殺は、「お金がない」「仕事がない」「頼れる家族もない」「入院や治療もできない」など、社会生活に根ざした部分が大きく、生活への絶望感から自死を考えるようになりますが、子供の場合、「友だちに無視される」「勉強が分からない」「学校でいじめられる」のように、精神的な理由が大きく、環境を変えることで、劇的に救われる可能性があるからです。
たとえば、大人の場合、仕事や暮らしの問題を解決しようと思ったら、ケースワーカーや法律の専門家、行政の窓口や支援団体など、様々な分野の連携が必要ですが、子供の場合、「転校する」「退部する」「補習クラスに通う」といった身内の働きかけで改善できることがたくさんあります。
大人の自殺は社会の事情が絡むため、解決が非常に難しいですが、子供の自殺は、十分な心のケアと、生活環境の改善で、いくらでも良い方向に持っていけるので、身近な大人の理解と強力が非常に大事なわけですね。多くの場合、親と教師だと思います。
子供はなぜ「死にたい」と言うのか
そこで考えて欲しいのが、大人の「死にたい」と、子供の「死にたい」は微妙にニャアンスが違う、ということです。
大人の自殺顔貌は、社会生活に深く根ざしており、離婚、失業、病気、倒産など、自分の努力ではどうにも改善できない現実の中で、生きる気力と希望をなくし、自分自身に限界を感じて、死を考えるようになります。
対して、子供の「死にたい」は、「今すぐ何とかしてくれ」という心の叫びに近いです。
まず、目の前に、「いじめ」や「成績不振」といった苦痛の原因があり、自信をなくしたり、心が傷ついたりして、この場から逃げたいと思います。
しかし、子供は大人と違って、自分の感情や考えを言葉にする能力が乏しい為、「うざい」「ムカつく」「何でもない」「あっちに行け」みたいな投げやりな言い方しかできません。
自分の居場所も、家庭と学校くらいしかないので、どこにも逃げ場がありません。
まして、学校は好きに休めませんし、家庭も、どれほど居心地が悪くても、そこで暮らす以外にありません。
辛い気持ちを誰にも言えず、また、安心して休める場所もないので、「逃げたい」、「今すぐ何とかして欲しい」、「いっそこの世から消えてしまいたい」、「死にたい」となっていくわけですね。
子供が死にたいと思う原因は、たいてい、「友だち」「勉強」「親きょうだい」です。
仲のいい子が突然無視するようになった。
成績が悪いと親にぼろかす叱られる。
親が弟ばかりえこひいきする。
家庭環境が複雑で、友だちができない、勉強に集中できない、貧困に苦しんでいる、といった理由もあるでしょう。
それでも、大人の自死に比べたら、ピンポイントで対処できるので、早め早めに手を打てば、悲劇は防げるものです。
大人の場合、仕事が辛くて、すぐに辞めたくても、家族がいる、住宅ローンがある、そうそう転職先も見つからない、等々、非常に複雑で、これら一つ一つ解決しようと思ったら、親に相談するだけでは済みませんから。
子供が「死にたい」と言ったら、まずは「ありがとう」
それでも、ある日突然、子供に「死にたい」と打ち明けられたら、気が動転する人の方が圧倒多数と思います。
「何をバカなことを言ってるの」「生きたくても、生きられない人もいるのに」「命を粗末にしちゃダメ」、命の大切さをこんこんと説いて聞かせる大人もあるかもしれません。
しかし、子供が「死にたい」と言ったら、まずは「打ち明けてくれて、ありがとう」です。
子供とはいえ、死にたい気持ちを打ち明けるのは、大変勇気がいるものです。
それこそ死ぬような思いで、それを口にする子供あるでしょう。
だから、まずは、その勇気を褒める。
そして、自分を信頼して、打ち明けてくれたことに感謝します。
子供でも、人を見ています。
その上で、「この人なら、分かってくれるはず」と判断して、死にたい気持ちを打ち明けてくれたのですから、その勇気の応えるためにも、まずは「ありがとう」。
そして、一緒に乗り越える意思表示をしましょう。
完璧でなくていいのです。
スタートラインに立ったばかりです。
子供は、教師や牧師を求めているのではなく、自分と一緒に戦ってくれる同志を求めています。
たとえ、今日明日に解決できなくても、一緒に戦ってくれる人がある限り、子供は強くなれます。
その為にも、常に「死にたい気持ち」に寄り添うことが何よりも大事です。
「死ぬな」と言うより、「好き」と言って欲しい
多くの大人は、死にたい子供を思い止まらせようとして、立派なことを言い聞かせたり、命の大切さを説いたりしますが、そんな事をすれば、子供はますます心が苦しくなるだけです。
命が大事なのは、幼児でも分かっています。
にもかかわらず、痛い、苦しい、この世から消えてなくなりたいと思う、そんな自分に嫌気が差すことがあります。
それなのに、辛い気持ちに共感するどころか、「命を大切にしろ」とか説教されたら、余計で責められているように感じますね。
『命が大切なんじゃない、君自身が大事なんだ』にも書いているように、今、この瞬間、大切にされたいのは、命ではなく、『わたし』だからです。
「死ぬな」と言うより、「好き」と言って欲しい
どれほど、いじめられても、
成績低下でバカ呼ばわりされても、
ありのままの自分を、こんなにも愛して、必要としてくれる人がいる。
それが実感できれば、心の持ち方も変わります。
「好き」という言葉には、100万回の癒やしや励ましをはるかに上回る、最強の力があります。
「生きろ」と励まされるより、「お父さんとお母さんは、○○ちゃんのことが大好きだよ」と言ってもらう方が、どれほど心の救いになるか。
死にたい子供に、立派なことを言い聞かせる必要はありません。
ただ、あなたがどれほど尊い存在で、いなくなったら淋しいか、人間としての好きな気持ちを素直に伝えればいいのです。
「好き」と言ってくれる人がある限り、希望も続きます。
理屈で人を救うことはできません。
死にたい子供は、優しい子
自殺顔貌など、一度も経験したことのない人から見れば、「死にたい」という子供は耐性がなく、弱虫だと思うかもしれません。
しかし、自分の欲求不満を解消する為に、級友を苛めたり、親きょうだいに八つ当たりする子供に比べたら、死にたい子供は感受性が豊かで、優しいと思います。
何かあっても、心が優しく、常に周りに気を遣うような人柄だから、自分の内側に苦しみをいっぱい抱え込んで、そして、ポッキリ折れてしまうのです。
しかし、そういう子どもは、死ぬほどの苦しみを克服し、良い方向にスイッチが入れば、人の痛みや苦しみが分かる、立派な大人に成長する可能性大です。
子供時代のトラウマを克服し、芸術やビジネスで、素晴らしい仕事を成し遂げた人もたくさんいます。
子供は、まだ人生のスタート地点に立ったばかり。
人生の意義も、生きる目的も、よく分かっていません。
その逆も然りで、死ぬということが、どういうことか、よく分からないまま、逃げたい、死にたい、と思っています。
だからこそ、『命』にフォーカスするのではなく、一人の人間としての魅力や存在価値を認めてあげるのが大事なのです。
「○○ちゃんの、そういう繊細なところが好きなのよ」みたいに。
一度でも乗り越えれば、次からは、鉄人になります。
優しい子供が鉄人になれば、いろんな意味で最強です。
「死にたい子供」にかける言葉
「生きろ」という言葉は荷が重い
医療現場では、患者さんが「死にたい」と打ち明けたら、次のように返します。
「誰でも、そういう時がありますよ。きっと今が一番辛い時なんですよ」
「誰でもそんな状況に陥ったら、死にたいと思いますよ。苦しくて当然です」
「自分のこと、弱い人間だとか思わないで下さいね」
「○○さん、今でも十分闘っておられますよ。すごいですよ」
「ここは誰もが弱音を吐いたり、挫けたりしていい場所です。立派な人間になろうなどと思わないで下さい」
等々。
生きろという言葉は、大人にも荷が重いです。
それよりも、「死にたい」と思う、その人自身を、ありのままに受け止めることが、何よりも大切です。
どうしても、死にたい気持ちが抑えられないなら、とりあえず、今日一日だけ生きてみる。
今日一日生きたら、明日もう一日。
生きるとは、そうした日々の積み重ねです。
死にたいと思い詰めるからこそ、「今日」という一日が、大きな意味を持つのです。
死にたい子供に「そんなこと言うな」と言うのは、鼻と口を両手で押さえるのと同じこと
「僕、死にたい」
それぐらい、好きに言わせてあげましょう。
親にも、誰にも言えないとしたら、いったい、誰に、死ぬほど苦しい気持ちを打ち明ければいいのでしょう。
死にたい子供に、「そんなことを言うもんじゃない」と叱るのは、鼻と口を両手で押さえるのと同じこと。
辛い気持ちも行き場をなくして、心も死んでしまいます。
死にたい気持ちぐらい、自由に吐き出させましょう。
話を親身に聞いてもらううちに、死にたい気持ちも収まってくるかもしれません。
子供に生きる面白さなど分からない
子供がいつもケラケラ笑っているからといって、「毎日、楽しそうね」と思うのは間違いです。
人生の山も谷も経験してない子供に、生きる面白さなど、分かるはずがありません。
大人でさえ分からない人が大勢いるのに、まして子供に言って聞かせて、理解できるわけがありません。
死にたい時は、死にたい気持ちでいっぱい。
苦しい時は、苦しい以外、何も考えられない。
それが子供です。
その先に希望があると分かるのは、酸いも甘いも噛み分けた大人だけ。
無知で、想像力も及ばない子供に、何年、何十年後に訪れる、素晴らしい日々について説いても、理解できない方が圧倒多数なので、それよりも、一日一日を、楽しく過ごすのが一番の薬です。一緒に映画を見たり、タコ焼きを食べたり、些細なことが生きる力になります。
小動物や花を育てることが救いになることもある
大人もそうですが、小さな動物や花・果物などを育てることが救いになることもあります。
犬や猫は、容姿や成績で人を差別しませんし、花や果物は、手をかけた分だけ美しい花を咲かせます。
それが傷ついた心に何よりも薬になるのです。
こんな小さな生き物でも、自分を必要としてくれて、なおかつ、可愛く懐いてくれたら、死のうなどと思わなくなります。
餌をあげたり、土を入れ替えたり、必死で世話するうちに、責任感も学ぶでしょう。
大人があれこれ言って聞かせるより、はるかに効果的です。
「自分みたいな人間は居なくなっても構わない」という子供に
自分なんて、居ても、居なくても一緒。
自分みたいな人間は、居なくなっても構わない、と言うのは、求める愛と承認が得られないからです。
そんな時は、理屈で説明するより、その子にしか出来ない役割を与えて、感謝するのが一番です。
庭の草取りでもいいし、犬の散歩係でもいい。
料理の味見役や、パソコン機器のセットアップ係など、子供でも出来ることはたくさんあります。
どんな小さな役割でも、「あなたにしか出来ないこと」があり、それによって感謝と承認を得れば、子供も自信を深めます。
傷つき、卑小感に打ちひしがれているからこそ、役割を与え、なおかつ、評価することが、自信に繋がるのです。
終わりに
子供の場合は、やはり『いじめ』と『友人関係』が最大のネックだと思います。
私も覚えがありますが、クラスの顔ぶれによっては、学校生活も天国と地獄。
いくら努力しても、他のことで気を紛らわそうとしても、学校で級友と過ごす時間の方が、家でのんびり過ごす時間より長いので、牢獄に一人で置かれたような気分になるんですね。
それに、学校の人間関係は、親に相談したところでどうにもならないと分かってますから、ますます追い詰められてしまうのです。
それでも味方が一人いるか、いないかで、気の持ち方も大きく変わってきますし、学校でいじめられても、○○教室では一番とか、他に評価される場所があれば、強くなれるので、子供の異変に気づいた時には、あれこれ試して、一緒に乗り切って下さい。今はネットがあるので、支援団体の情報も得やすいです。
繰り返しになりますが、大人の自殺はもっと難しいです。
子供は、クラス替えで嫌いな子と離れたり、勉強法を変えたり、趣味に夢中になったり、身近な働きかけで改善する可能性が大きいので、諦めずに、乗り越えて頂きたいと思います。