エロスとプシュケの寓話 ~愛と疑いは一緒にいられない

恋の神エロスはプシュケに恋をし、姿形を隠して幸せに暮らしますが、夫を疑うプシュケは明かりをかざして、神であるエロスの姿を盗み見てしまいます。エロスは「愛と疑いは一緒に居られない」と言って飛び去りますが、プシュケは数々の困難を乗り越え、神の一員として迎えられます。蝶のように美しく生まれ変わる、人間の魂の変容を描いた傑作です。【詩】愛の姿は見えないもの、と併せて。

目次 🏃

エロスとプシュケの寓意 ~ギリシャ神話より

ある国の王と女王の間に三人の娘がありました。

皆、それぞれに美しい娘でしたが、わけても末娘プシュケの美しさは、美の女神アフロディーテにも引けをとらぬほどでした。

ところが、プシュケの思い上がりに腹を立てた美の女神アフロディーテ(ヴィーナス)は息子エロスを呼び出し、プシュケに下賎でつまらない男に恋させるよう命じます。

エロスはさっそく甘い水と苦い水を琥珀の瓶に汲み分け、矢筒の先に下げて、眠るプシュケの側に舞い降りますが、プシュケの美しい寝顔をみるうちに、エロスは悪戯するのが気の毒になってしまいます。

そうして、ふとプシュケが目を開いた瞬間、エロスは誤って恋の矢で自分を傷つけてしまいます。

一方、王と女王は、プシュケに一向に花婿が現れないのを案じ、アポロンに神託を伺います。

しかし、そのお告げは、『プシュケは人間の花嫁にはなれない。未来の夫は、山上に住む、神でも人間でもない怪物だ』という恐ろしいものでした(プシュケを渡したくないエロスがアポロンに頼んで、偽の神託を告げさせたと言われています)

王と女王は神託に従い、泣く泣くプシュケを山に置き去りにします。

すると、西風ゼピュロスがプシュケを優しく抱き上げ、山の上の美しい宮殿へと運んでいきました。

【クピドの庭に入るプシュケ -Psyche entering Cupid's Garden- ジョン・W・ウォーターハウス J.W.Waterhouse

【クピドの庭に入るプシュケ -Psyche entering Cupid's Garden- ジョン・W・ウォーターハウス J.W.Waterhouse

夫は夜になるとプシュケの前に現れ、明けないうちに去って行きました。

夫は決して姿を見せませんでしたが、とても優しく可愛がってくれるので、プシュケも心から慕うようになりました。

しかし、プシュケは、一目夫の姿が見たくてたまりません。

「どうかお姿を見せて下さい」と夫に懇願すると、夫は答えます。

「僕の愛に疑いでもあるのかい? 僕はただお前が愛してくれさえすればいいのだ。僕にとっては神と崇めてもらうより、お前と同じものとして愛してもらいたいのだ」

そんな、ある日、プシュケの姉たちがやって来て、プシュケに言います。

「お前の夫はきっと恐ろしい怪物で、いつかお前を食べてしまうつもりなのよ。夫がすっかり寝入ったら、明かりを点けて、その姿を確かめるの。もし怪物だったら、その頭をすぐに切り落としなさい」

夫を信じきっていたプシュケも、姉たちにいろいろ言われるうちに、だんだん疑うようになります。

ある晩、夫が寝入ると、プシュケは小刀を持って、夫の姿を明かりで照らします。

ところが、そこに眠っていたのは恐ろしい怪物などではなく、白い翼をもった、この上なく美しい神様でした。

プシュケが夫の姿をもっとよく見ようと、明かりを近づけると、彼の肩に蝋が滴り落ち、エロスは驚いて目を醒まします。

彼はじっとプシュケを見つめると、白い翼を広げて窓から飛び出しました。

エロスの後を追って、プシュケも窓の外に飛び出しますが、翼のないプシュケは地面に落ちてしまいます。

すると、エロスは飛ぶのを止めて、泣いて悲しむプシュケにエロスは言いました。

愛と疑いは一緒にいられないのだよ

エロスの寝姿を見てしまうプシュケ ジャコポ・ズッチ アモールとプシュケ

プシュケは昼も夜も夫を探し回ります。

そしてエロスの母であるアフロディテを訪ねると、女神は怒って彼女に言いました。

「あの子はお前に受けた痛手が元で、まだ病に臥せっているよ。お前がもう一度夫と一緒になりたいなら、私の言いつけを聞いて、うんと仕事をしなければならない」

アフロディテがプシュケに課した仕事は、どれも大変なものばかりでした。

プシュケは途方に暮れますが、他の神様たちが力を貸してくれたので、何とか片づけることができました。

それでもアフロディテの怒りは収まりません。女神は一つの箱を手渡して、彼女に言います。

「これを持って冥府の女王ペルセポネの所に行きなさい。病に伏せる夫のために、彼女の美しさを分けてもらってくるのです」

死を覚悟して冥府に向かったプシュケは、無事に務めを果たし、帰路につきます。

しかし、どうしても箱の中身が見たくなったプシュケは、言いつけに背いて箱を開けてしまいました。

箱に入っていたのは美しさではなく、冥府の眠りでした。

眠りに憑かれたプシュケは、道の真ん中に倒れてしまいます。

一方、すっかり傷が癒えたエロスは、女神の目を盗んで部屋の窓から飛び出すと、プシュケを探し求めます。

やがて眠りにつかれたプシュケを見つけると、エロスは眠りをかき集めて箱の中に閉じ込め、プシュケを軽く矢で突ついて目覚めさせました。

そして大神ゼウスの所に連れ立ち、二人を永遠に結び合せるよう嘆願します。

ゼウスは不老不死の霊酒をプシュケに授けると、言いました。

「これを飲んで神体となり、エロスと永久に結ばれるがよい」

神体となったプシュケには美しい蝶の羽根が生え、二人の間には「悦び」という名の娘が生まれました。

【プシュケとアモール】-Psyche and Amoir- フランソワ・ジェラール Baron François Gérard

【プシュケとアモール】-Psyche and Amoir- フランソワ・ジェラール Baron François Gérard

【コラム】 『蝶』は魂の昇華の象徴

エロスとプシュケの伝説は、「愛(エロス)が魂(プシュケ)を求め、永遠に結ばれる」という寓意を表わしたものです。

ギリシア語には、「愛」を表わす言葉が四つあります。

エロス(欲望の愛)、フィリア(友愛)、ストルゲー(親子の愛)、アガペー(神的な愛)です。

プラトンの説によれば、エロスとは「自己充足を求めて、自己を充たしてくれるものを無限に追求して行く情熱(パトス)」であり、「精神的な価値のあるイデア(価値、形相)を探求してやまない欲求的愛」とされています。

それは絶対的で無条件のアガペーと違い、自分にとって価値あるもののみを愛し、価値が無いものは愛さない、あくまで自己充足的な愛です。

エロスの愛(欲望)は、魂(プシュケ)と結びついて、初めて本物の悦びを得るということを、この寓話は説いています。

ギリシア語の「蝶」は「Psyche(プシュケ)」であり、「霊魂」を意味します。(英語のPsychic(精神的な)やPsychology(心理学)の語源。原義は“呼吸”、次に“魂”)

蝶がサナギから美しく変容するように、人間の魂も、蝶(プシュケ)のように、数々の困難で浄められた後、美しく生まれ変わって、永遠の幸福を得ます。

美術作品では、プシュケは蝶の翼がついた乙女で表現されています。

↓ この絵はプシュケがさらわれる場面を描いているので、白い翼の男性はエロスではなく、ゼピュロスです

【プシュケの誘拐】The Abduction of Psyche ウィリアム・ブーグロー William-Adolphe Bouguereau

【プシュケの誘拐】The Abduction of Psyche ウィリアム・ブーグロー William-Adolphe Bouguereau

参考文献 : ギリシア・ローマ神話 (岩波文庫)

愛の詩 ~愛の姿は見えないもの

エロス(愛)は、何処からともなく舞い下りて、
プシュケ(魂)を優しく抱く。
その姿は見えないけれど、愛はいつでもそこに在る。

ところが姿が見えないだけに、人は不安になる。
ついその存在を疑い、愛の姿を確かめたくなる。

そうして疑いの灯をかざし、その姿を確かめようとすれば、
愛はたちどころに飛び去ってしまう。



疑えば、愛は去り、
愛すれば、疑いは消える。

目には見えない愛を信じることの難しさ……

人はいつだって目に見える証が欲しい。

目で見て、手で触れて、
いつもその存在を確かめていたい。

目に見えないからこそ、心にしみるのだけれど

エロスとプシュケ

初稿: 1999/07/25  メールマガジン 【 Clair de Lune 】 より 

エロスとプシュケに関する書籍

ギリシャ神話の本はたくさん出ていますが、絵画と合わせて知りたいなら、こちらの本がオススメ。
学術書のように堅苦しくなく、マンガ感覚ですらすら読めます。
登場する神々のイラストも可愛いし、ピックアップされている絵画も、美術ファンなら是非とも抑えておきたい名画ばかり。
これを一冊読めば、ギリシャ神話はもちろん、美術鑑賞の基礎的な知識も身に付きます。

【amazonレビューより】
ギリシャ神話を中心に、北欧・ケルト神話の主なエピソードをシンプルなイラストや漫画で表現してあります。
特に西洋のルネサンス周辺の絵画ではこれらの神話をテーマにしているものが多いので、それらもあわせて取り扱っています。
「あの絵のこの人物はこういう人なのか!」
「この絵のこんな虫一匹がこんな意味を持っていたとは……」ということになります。
ルネサンスの絵を見て「??」となっていた人や、「ギリシャ神話って複雑で読む気がしない」と思っていた人に読んでほしい一冊です。

ヴィーナスの片思い―神話の名シーン集
ヴィーナスの片思い―神話の名シーン集

ギリシャ神話のエピソードを元に、西洋絵画の名画を紹介。
解説も一つのテーマに数百字程度で、学術的ながら、非常に読みやすい案内書に仕上がっています。

【amazonの解説】
本書ではギリシャ・ローマ神話をはじめ、伝説・歴史・文学にいたる絵画の主題を網羅、物語の主人公たちは何をしたのか、その主題を画家はどう表現しているか、を「名画」と「物語」と「解説」で一目で確認できるように展開。主題を通しての西洋美術の理解に、美術作品を通しての西洋文化の理解に、展覧会や海外旅行に、美術を愛する万人必携の1冊。

西洋絵画の主題物語〈2〉神話編
西洋絵画の主題物語〈2〉神話編

ウィリアム・ウォーターハウスをはじめ、ラファエル前派の絵画に興味をもったら、この本がおすすめ。
様々な神話や伝説に基づいた、幻想的で美しい大人の絵本です。

水の女 溟き水より From the Deep Waters (〓.T.Classics)
水の女 溟き水より From the Deep Waters (〓.T.Classics)

ギリシア神話の本も数ありますが、読むなら岩波文庫のトーマス・ブルフィンチがおすすめ。
訳文が古くさいというレビューもありますが、古典文学の素養があり、クラシックな文体に馴染んでいるなら、これがベストです。

初回公開日 1998年11月24日

誰かにこっそり教えたい 👂
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