私の大好きな演劇マンガの金字塔『ガラスの仮面』に、こんな場面があります。
ラーメン屋の住み込み従業員の母親に育てられた北島マヤは、TVドラマの物真似が得意な凡庸とした中学生です。
しかし、往年の大女優、月影千草に演技の才能を見込まれ、千草の主催する劇団に入団します。
「お前みたいでノロマで、何の取り柄もない貧乏人の娘が、女優になどなれるわけがない」と反対する母親の制止を振り切って、マヤは劇団の寄宿舎に転がり込みます。母親は娘の後を追い、千草に「娘を返せ」と食ってかかります。
しかし、千草は、娘の可能性を潰すつもりか、と母親を説き伏せ、マヤを庇います。その後、考えを改めた母親は「娘をよろしくお願いします」と、苦しい心情を綴った手紙を送りますが、千草はそれをマヤには渡さず、破り捨ててしまいます。
今時、こんな根性ものは流行らないかもしれませんが、「帰る場所がないからこそ、発揮できる馬鹿力」が存在するのは確かです。
たとえば、仕事が辛い時、「そんな会社、辞めればいいじゃない。お金のことは心配しなくていいから、家でゆっくりしなさい」と面倒みてくれる親がいれば、子どもにとっては天国ですが、下手すれば、それきりになってしまいますよね。
結婚生活が辛い時、「そんな夫、別れたらいいじゃない。子供のことも、生活も、全部面倒みてあげるから、家に帰ってきなさい」と言ってくれる親がいれば、子どもにとっては天国ですが、下手すれば、それきりになってしまいますよね。
勉強、クラブ活動、人間関係、全てにおいて同様です。
どんな時も理解があって、一から十まで面倒みてくれる親は、子どもにとって非常に有り難い存在ですか、同時に、無限の避難所になり、子どもから闘志や忍耐を奪ってしまうリスクも有しています。
むしろ帰る場所のない子どもの方が、「もう前に進むしかない!」とエベレスト登山隊みたいな知恵や馬力を発揮して、人生の難所をくぐり抜ける事もあるので、何が災いし、何が幸いするかは、最後まで見てみないと分かりません。優しくて頼りになる親の方がメリットが大きいというだけで、ダメ親だからといって、人生の決定的なバツになるわけでもないのです。
実際、親が亡くなったからといって、パニックになる人もないでしょう。でも、世の中には、あまりにも多くのことを親に依存したが為に、生活も立ち行かなくなって、人生の後半になってから絶望する人もあるのですよ。そういう意味では、プラスマイナス・ゼロ、理想の親に頼れない分、他にはない知恵や強さを身に付けられるメリットもあると思います。
「窮鼠猫を噛む」「背水の陣」という格言もあるように、不利もまた成功や勝利の原動力に違いありません。