よく勘違いされますが、『自信』と『優越感』は異なります。
優越感は、「あの人より私の方が高収入」みたいに、比較する対象に感じるものですが、自信は、自分自身に対して芽生える信頼の気持ちです。
他より劣るところはあっても、一所懸命に頑張っている自分に『良し』と言える余裕があるから、周りの評価がどうあろうと、自分を貫くことができます。
また、そうした心ばえが、周りの目には巌のようにどっしりと落ち着いて見えるんですね。
一方、優越感は、勝つか負けるかのパワーゲームなので、心が落ち着くことがありません。
自分より優れたものが現れれば、たちまち心が沈んで、怒ったり、落ち込んだりします。
そして、本当の意味で自信のある人が、羨ましく、憎らしく見えたりするものです。
本物の自信は揺るぎません。
自分で自分の価値を見出すことができるからです。
標準より太めの体型でも、毎日決まった時間にトレーニングをこなし、食事にも気を遣っている人は、痩せて自信のない人より、生き生きと輝いて見えます。
それは、自己評価の基準が、体重や体型ではなく、毎日トレーニングをこなしている自分自身の心の強さにあるからです。
常に周りと優劣を競い、他より美しければ勝ったと自信を得る人は、どれほど綺麗になっても、自分に満足することがありません。自分より綺麗な人が現れる度にイライラし、自信をなくすからです。
自信とは内なる努力の積み重ねです。
ところで、自信とは何でしょう。自分が他より秀でているという確信でしょうか。
よく勘違いされますが、自信と優越感は異なります。
自信は、自分を恃みとする揺るぎない気持ちで、優劣とは無関係です。五番目だろうが、右に劣ろうが、一所懸命な自分に満足しているので、堂々と振る舞うことができます。
一方、優越感は、常に自分より劣るものを必要とします。勝つか負けるかのパワーゲームなので、心が落ち着くことがなく、自分より優れたものが現れれば、たちまち萎縮してしまいます。いつでも勝ったような気持ちがするだけで、心が強いわけではないのです。
自信のある人が堂々として見えるのは、他より秀でているからではありません。自分は自分、価値判断の基準が自分にあるので、五番目だろうが、右に劣ろうが、いつもマイペースです。たとえ過っても、ひどく落ち込んだりしません。自分なりに打ち克つ術を心の中に持っているからです。自分より劣るものを餌にすることで、強くなったような気分になる優越感とは大違いです。
では、どうすれば自分を信じることができるのでしょうか。
それは小さな成功体験の積み重ねです。
美容にたとえたら、毎日ストレッチ体操を続ける人と、他より豪華に着飾ることで美しく見せようとする人の違いです。
優越感を糧にする人は、皆が羨むような物を身に付けたり、周りに「すごい」と言ってもらうことで、自分の美しさを認識しようとします。常に競争に勝たねばならないので、周りの評価に敏感ですし、いつも誰かと比べられているような錯覚に陥ります。
一方、自分なりに美しい体型を維持しようと毎日ストレッチ体操をする人は、他より美人でなくても、かりかりに痩せなくても、全く気にしません。大半が挫折するストレッチ体操を毎日続けている事実が自信となり、努力そのものが誇りに思えるからです。そうした努力は仕事や人間関係にも生かされますし、他が上手くいけば、自信もいっそう深まります。自分はこれだけのことをやってきたという自信が、明るい笑顔や落ち着いた立ち居振る舞いに現れ、太めでも、ノーメイクでも、いつも堂々として見えるのです。
人より優れているから、自信がつくのではありません。
自信とは、自分の底力を信じる気持ちです。