三好徹の『チェ・ゲバラ伝』より
ゲバラの生涯とポートレート
チェ・ゲバラ(エルネスト・ゲバラ)は、1928年にアルゼンチンの裕福な家庭に生まれ、自身も優れた医師であったが、南米の独裁政権に義憤を感じ、社会主義にのめりこむ。
反体制派キューバ人、フィデル・カストロとの出会いを通じて、本格的に武装革命を志し、1959年、キューバ革命を達成するが、1967年10月、アンデス山脈でボリビアの政府軍に捕らえられ、射殺される。
遺体はそれと分からぬよう地中に埋められたが、20年後の1997年、キューバとボリビアの合同捜索隊により、ボリビア空港の滑走路下で発見され、一時、騒然となった。
その劇的な人生と熱い生き様から、20世紀最大のアイコンとなり、ゲバラの名前は知らなくても、ポートレートやイラストを目にした人は多いのではないだろうか。
バイオグラフィーに関しては、すでにWikiなどで詳しく紹介されているので、ここでは、三好徹氏の著書『チェ・ゲバラ伝』から印象的な箇所を幾つか紹介したい。
Wikiはこちら https://w.wiki/58g6
偉大な思想も実践しなければ意味がない
チェ・ゲバラ伝の『まえがき』より。
人が革命家になるのは決して容易ではないが、必ずしも不可能ではない。しかし、革命家であり続けることは、歴史の上に革命として現れながらも暴君として消えた多くの例に徴するまでもなく、きわめて困難なことであり、さらにいえば革命家として純粋に死ぬことはよりいっそう困難なことである。
エルネスト・チェ・ゲバラの生涯は、このもっとも困難な主題に挑み、退くことを知らなかった希有の例であった。革命かには勝利か死かしかないというおのれの、あえていうならばロマンティックな心情の命ずるままに自分の行動を律して生涯を終えた。革命にもしロマンティシズムがあるならば、「チェ」は文字通りその体現者だったのである。
≪中略≫
たしかに、革命家が死を怖れていては何もなしえないことは事実である。人類の歴史がもった多くの革命家たちは、みな、死の危険をもいとわなかった点では、かれに劣らないだろう。しかしまた同時に、歴史は、革命がいったんひとつの国家、ひとつの民族の中で達成されるやいなや、革命家であったものがいつしか権力の中枢にある政治家として変身し、戦いの場から遠ざかるか、もしくは同志の血であがなった体制を守ることのみに汲々としたことを教えている。
それどころか、かれらの中には、かつての同志といえども、自己の権力を守るために容赦なく粛清したものも少なくない。
あるいは、ほかの国や民族が助けを求めているからといって、自分を投げ出すことはしない。なぜなら、革命につきものの反革命を抑えるという常識的かつ当然の理由が用意されている。なにも新しい危険に身をさらす必要はない。革命に到達するまで生き残り得たことだけでも幸運なのであり、そして幸運とは何度も訪れることを期待できぬものである。
このような原則に、チェは挑戦した。それはフィデル・カストロの言葉を借りれば、”意志の力、英雄的な精神、そして人間の偉大さが何をなしうるかの崇高な証”であるようにわたしには思われる。
どこの世界もそうだが、どんな偉大な思想も実行しなければ意味がない。
愛も、正義も、立派なことはいくらでも言えるが、いざ実行するとなると、尻込みしたり、逃げ出したり。
言行一致で実践する人は少数だし、身に危険が迫れば、主義信条を覆すこともある。
それほど思想に生きることはハードルが高い。
理想なら小学生でも宣言できるが、実行するのは命がけなのだ。
だからといって、何もしなかったら、世界は一寸も変わらないし、悲惨な暮らしもそのままだ。
相手が聞く耳持たぬなら、武力をもって現実を変えるしかない。
それには賛否あろうが、実際に善良な庶民が飢え、虐待され、人権も踏みにじられる姿を見れば、武装革命もやむなしと考える人々の気持ちも分からないでもない。
その時、その場に居た者にしか分からぬ感情があり、チェ・ゲバラの場合は、文字通り、“黙って見ていられなかった”のだろう。
どんな偉大な思想も実践しなければ、ただの日記であり、私的な日記に物事を変える力はない。
まして、生涯、貫くのは、どれほどの大業だろう。
だが、ゲバラには、当たり前の生き方だった。
疑うことさえなかった。
そうした姿に若者が共感し、20世紀最大のアイコンになったのだろう。
フィデル・カストロへの手紙 ~祖国か死か
キューバ革命達成の後、ゲバラはカストロと力を合わせて、キューバ社会の発展に務めるが、1965年になると、さらなる革命を目指して、キューバを去る決意をする。
1965年3月下旬、盟友カストロに宛てた手紙は次のようなものだ。
フィデル
いまこの瞬間に、ぼくは多くのことを思い出している。マリア・アントニアの家で初めてきみに逢ったときのこと、ぼくに一緒にこないかと誘ってくれたときのこと、そして準備をすすめているときのあの緊張の全てを。
ある日、死んだ場合には、誰に報せたらよいか、と訊かれたことがあった。そして、そういう現実の可能性に、ぼくらはみな打ちのめされてしまった。その後ぼくらは、それがあり得たことで、革命においては――それが真の革命であれば――人は勝利を得るか死ぬかだということを学んだのだ。多くの同志が勝利にいたる道程で倒れてしまった。
今日ではあらゆることがさほど劇的には感じられないが、それはぼくらが成熟したからで、現実は繰り返されているのだ。ぼくはキューバ革命において、その地でぼくに課せられた義務の一部を果たしたとおもう。で、きみに、同志に、そしてきみの、いまはぼくのものである国民に、別れを告げる。
≪中略≫
過去をかえりみると、革命の勝利を不動のものとするために、僕は誠実かつ献身的にこれまで働いてきたと信じている。ぼくになんらかの誤りがあったとするなら、それはシエラ・前ストらの初期のころ、きみに十分な信頼を置かなかったことと、指導者ならびに革命家としてのきみの資質をさほど早く理解しなかったことだ。ぼくは素晴らしいヒビを生きてきた。そしてカリブの危機の輝かしくも苦しい日々に、きみのかたわらにあって、わが国の国民であることを誇らしく感じたものだ。
あのころのきみよりも優れた政治家なんていないだろう。そしてまた、ぼくはきみに躊躇なく従い、きみの考え方を身につけ、ぼくらが置かれていた危険や原則を理解し評価したことを誇りにしている。
いま世界のほかの国が、ぼくのささやかな力添えを望んでいる。きみはキューバの責任者だからできないが、ぼくにはそれができる。別れの時がきてしまったのだ。
喜びと悲しみのいりまじった気持で、こんなことをするのだ、と察してほしい。ぼくはこの地に、建設者としての希望のもっとも純粋なもの、そしてぼくがもっとも愛している人々を残して行く……またぼくを息子のように受け入れた国民からも去って行く、それはぼくをとても悲しい気持にするのだが、ぼくは、新しい職場に、きみが教えてくれた信念、わが国民の革命精神、もっとも神聖な義務を遂行するという気持をたずさえて行こう。帝国主義のあるところならどこでも戦うために、だ。それがぼくを慰め、深い心の傷を癒やしてくれる。
≪中略≫
ぼくは、わが革命の外交政策にいつだって自分を同化してきたし、これからもそうであり続けるだろう。どこにいようとも、ぼくはキューバの革命家たる責任を自覚するだろう。そのように行動するだろう。ぼくは妻子には何も残さなかった。それを後悔するどころか、むしろ満足している。国家がかれらの必要とするものや教育をあたえてくれるだろうから、ぼくがかれらのために求めるものは何もない。
きみやわが国民にいいたいことは尽きないのだが、その必要はないようだ。言葉はぼくのいわんとすることを表現できないし、これ以上は紙をよごすに値しない。
永遠の勝利まで。祖国か死か。
ありったけの革命的情熱をこめてきみを抱擁する。
– チェ
ゲバラが若者に熱狂的に支持されるのも、彼が本質的に詩人であり、究極のロマンチストだからだろう。
自分の思想に酔うナルシスト……と言われたら、そういう面もあるかもしれないが、それだけで銃弾の前に身を投げ出せるものではない。
思想以上に、人が、社会が、大切であったから、身を賭して実行できたのだろう。
一方、詩人としての能力が大衆を酔わせ、同志を奮い立たせたことも大きい。
寡黙でも立派な人は少なくないが、大衆を動かすとなると、第一に、言葉の能力が何よりも重要だ。
どれほど善人で、素晴らしい思想と実行力を持っていても、数万の聴衆を相手に、ぼーっと突っ立って、「いや、私なんか、とてもとても……」と謙遜するようなタイプは、とてもじゃないがリーダーは務まらない。
そこに一種の自己陶酔や、もはや宗教に近い主義信条があって、初めて言葉も生きてくる。
ゲバラは、詩人の能力と獅子の豪胆さの両方を兼ね備えた希有な人で、カストロ一人であったら、ここまで人は動かなかっただろう(それが分かっているから、互いに役割を分担して、偉業を成し遂げたのだが)
では、詩人の魂とは何か……と問われたら、自身の全てを詩に歌い上げる強さと思う。
人は、優しさや希望のみならず、怒り、憎しみ、疑念、悲哀、絶望といった暗い感情も経験するが、多くの人は後者に否定的で、そうした感情をすぐに打ち消そうとする。
だが、詩人は自己のありのままを見つめ、美しい作品に昇華する強さがある。
詩人にとっては、書かれた詩のみならず、人生そのものが『作品』であり、彼が本物の詩人であるなら、作品とかけ離れた人生など有り得ない。
ゲバラの生涯がドラマティックに語られるのも、存在自体が詩であり、権力にも武力にも汚されることがなかったからだろう。
フィデル・カストロに宛てた手紙も、照れくさいほどロマンチックだし、革命家を主人公にした短編として成り立つほど叙情性に溢れている。
彼の真情に一点の曇りもなく、別れの時でさえ、これほど美しい文章が書けるなら、実物はどれほど魅力的であったか、想像に難くない。
時代や思想を超えて、伝説的に語られるのも納得である。
両親への手紙 ~信念を証明する
フィデル・カストロに続いて、両親に宛てた手紙も、また詩情溢れる作品(?)となっている。
もう一度わたしは足の下にロシナンテの肋骨を感じています。盾をたずさえて、再びわたしは旅をはじめるのです。(ロシナンテは、ドン・キホーテの愛馬)
十年ほど前、わたしはもうひとつの別れの手紙を書きました。想い出すけれど、わたしは自分が立派な兵士でもよい医師でもないことを残念がっていました。いまはよい医師になろうとは決して考えていませんが、兵士としては悪い方ではありません。
≪中略≫
多くの人は、わたしのことを冒険家というでしょう。わたしはそうなのです。しかし、違った種類の――自分の信念を証明するために命をも賭ける人間なのです。もしかすると、これが最後になるかもしれません。自分で望んでいるわけではないが、論理的にはそうなる可能性があります。もしそうなら、あなた方に最後の抱擁をおくります。
チェがキューバを去った理由について、三好氏は次のように述べている。
それらの全ては間違っている。理由は、はっきりしているのだ。チェの「別れの手紙」におすべてがいいつくされている。かれは自分の心を偽って文章を書く人間ではなかった。カストロあての手紙と、両親あての、そして愛児たちにあてた手紙を読み返してみればよい。これほどに無垢な、読むものの心を惹きつける手紙があるだろうか。
そしてまた、かれは口先だけのロマンチストではなかった。フィデル・カストロとメキシコで連隊したときの、理想のためならば異国の空の下で死んでも悔いはないという、あのロマンティシズムこそが、この革命家の生涯を貫いた主題であり、かれはただそれに従って行動したまでなのである。
たとえ、一時の感情の高ぶりで書いたとしても、普通の人間なら、「ついセンチメンタルになってしまった」と前言撤回し、「あの時は、ああ言ってたが、やはり気が変わった」と自分の言説もなかったことにするだろう。
そうではなく、終始一貫して、自分の思想を貫いた点が、ゲバラの魅力であり、今なお人を惹きつける最大の理由と思う。
普通の人は、なかなかこうは生きられない。
それが我々とゲバラの違いだろう。
子供たちへ ~不正に敏感であれ
チェ・ゲバラはまた、五人の子供の父親でもあった。
父親として、彼は子供たちにも手紙を遺している。
愛するイルディタ、アレディタ、カミーロ、セリア、エルネスト。
おまえたちがいつかこの手紙を読むときには、わたしはおまえたちのそばにはいないでしょう。
わたしについて、ほとんど覚えていないだろうし、幼いものたちは何も想い出さないでしょう。
おまえたちの父は、自分が信じたように行動した人間だったし、また自分の信念に忠実だったとおもいます。立派な革命家に成長しなさい。自然を支配できる技術を身に付けるように、うんと勉強しなさい。革命は大切なもので、ひとりひとりがはなればなれでは何も値打ちがないことを覚えておきなさい。
世界のどこかでなにか不正が犯されたならば、いつでも強く感ずるようになりなさい。それが革命家の最上の特質なのです。
子供たちよ、いつまでも。いつか会いましょうね。大きなキスと方ようをおくります。
– パパ
寺山修司がこんな事を書いていた。いつもは定食屋にしか行かない人が、ある日、思い立って、エスカルゴを食べに行く。
そうした日常の冒険や試みも立派な革命だと。
チェ・ゲバラの場合、その対象がが国家という巨大な化け物だっただけで、庶民のささやかな革命にも、深い意義はあるし、実りはあるものだ。
エスカルゴの愛好家がまた一人増えれば、フランス料理店も儲かるし、フランス料理店が繁盛すれば、フランスの食文化もますます豊かになる。
今までエスカルゴの味を知らなかった人が、日常のささやかな革命によって、その美味を知るということは、それだけの可能性を孕んでいるのだと。
ゲバラのような巨星を仰ぎ見れば、日常のささやかな革命など、何の意味もないように感じるが、エスカルゴを食べてみた人の数が10万、20万と増えれば、フランス料理界もびっくりのビッグウェーブが起きるだろう。
そんな風に、個々の目覚めは、非常に大きなポテンシャルを秘めている。
有名人の行動に比べ、全体に波及するまで、ひどく時間がかかるが、世界を変える力を持つ。
だから、ゲバラは言う。
「世界のどこかでなにか不正が犯されたならば、いつでも強く感ずるようになりなさい」
鈍感と諦めこそが、真の社会悪と思う。
鈍感は不正をはびこらせ、諦めからは何も生まれないからだ。
誰もが武器を手に戦う必要はないけれど、両の目だけはしっかと見開いていよう。
機会があれば、ほんの少し、アクションを起こそう。
そうすれば、いつか巨像も足を滑らせて倒れる日も来るだろう。
現代の革命とは、そういうものだと思っている。
*
ちなみに、「自然を支配できる技術を身に付けるように」というのは、『本能的な欲求に抗えるように』という意味だろう。
寝たい、食べたい、ラクしたい、という欲求は、怠惰や鈍感に繋がりやすいので。
青春と革命は相性がいい
迷いには答えを
青春と革命は相性がいい。
大義があれば、生き道は正当化され、迷いには答えが与えられるからだ。
社会に対する疑問。
大人への不満。
報われぬ努力。
満たされぬ自我。
若いエネルギーを持て余し、答えを模索する過程で、人生を懸けるに値する思想、目的、人類共通の敵を見出せば、道筋は非常に明るいものになる。
迷いには、答えを。
全ての革命がルサンチマンを基盤にしているわけではないが、若いエネルギーと親和性が高いのは事実だろう。
信念を貫け
恐らく、チェ・ゲバラの生涯を知ったら、誰でも一度は訊きたくなるだろう。
「裕福なアルゼンチンの家に生まれ、喘息というハンディすらもつあなたが、なぜキューバやボリビアの為に命を懸けて革命運動を?」
実際、ゲバラがボリビアで捕らえられた時、亡命キューバ人のCIA隊員フェリクス・I・ロドリゲスは実際に問うている。
「私は、キューバ生まれのアメリカ人です。アメリカ留学時代にフィデルとあなたによる革命が起こり、キューバに戻れなくなったのです。ボリビア人でもないあなたが、どうしてここまでやるのですか?」
それに対してゲバラはこう答えたという。
「これはプロレタリアートの問題だ。私はアルゼンチン人であり、キューバ人であり、ボリビア人でもある。君には、多分理解できないだろうがな」(戸井十月 『チェ・ゲバラの遙かなる旅』)
*
どんな人も、ある時期、自分にこう問いかける。
わたしは何もので、何のために生まれてきたのか。
生きるとは、どういうことなのか。
それに対し、世の中には様々な回答が溢れている。
そのどれもが真実で、どれもが間違いに見えるが、一つだけ、確かなのは、正解は自分にしか分からない――ということだ。
チェ・ゲバラの人生も、最初から答えは一つであり、その答えに従って行動したまでのこと。
彼にしてみたら、怒濤の人生も、息をするように自然なものだったろう。
誰もがゲバラのような生き方が出来るわけではないが、市井の人にも革命的な生き方はできる。
青年期に感じた疑問や情熱をいつまでも持ち続けること。
その為に、勉強したり、行動したりすること。
今も図書館の片隅で、答えを求めて書物を紐解く人に、ゲバラは遠い空の上から、きっとこう呼びかけているはずだ。
「君の情熱を失うな。信念を貫け」と。
書籍と映画の案内
チェ・ゲバラの遥かな旅 (集英社文庫)
チェ・ゲバラの自伝は、戸井十月氏の伝記もロマンティックで親しみやすい。
三好氏の著書よりコンパクトで、エッセイのように読める。
かといって、お涙頂戴の五分で分かる系ではなく、時代考証もしっかりなされ、南米史やキューバ革命の背景も分かりやすく解説されている。
内容的には、三好氏の著書より、いっそう思い入れが深いので、人によっては甘ったるい印象を受けるかもしれないが、三好本のボリュームや硬派な文体に圧倒される方は、戸井さんの著書から入れば、さくさく読めると思う。
値段も手頃なので、興味もある方はぜひ。
伝記映画『チェ 28歳の革命』
フィデル・カストロとの出会いからキューバ革命まで。史実に忠実に描く伝記映画。
友情あり、戦闘アクションありのハリウッド・テイストの良作で、手っ取り早くゲバラの前半生を知りたい人におすすめ。
怒濤の青春ドラマとしても楽しめる。
主演のベニチオ・デル・トロの魂が乗り移ったような演技も秀逸。
それにしても、若い。28歳でこの偉業。
伝記映画『チェ 39歳別れの手紙』
対して、ボリビア戦から射殺までを描く後半はキツい。
やっても、やっても報われない感が、『28歳の革命編』と対称的で、全体的に暗く、重い話である。
キューバで上手く行ったことが、ボリビアでは上手く行かなかったのは、諸説あるが、やはり農耕的な国民気質や敵の戦略も大きいと思う。二度目になれば、相手も学習して、一筋縄でいかなくなるので。
そして、最後はやはりショックだ。
後年、遺骨が見つかって、フェデルとも再会できたのが何よりの救い。
終わりに ~勝ったのは誰?
社会正義とは相対的なもの ペルー日本大使館占拠事件と映画『ベル・カント とらわれのアリア』もそうだが、その時は否定されても、後年、見直され、彼らの行動にも一理あったことが証明されることがある。(あるいは、時の執政者が断罪される)
チェ・ゲバラも、死後、遺体がさらし者にされ、見せしめのように広報されたが、数十年経っても、彼の言説や行動に心動かされる人が多いことを思えば、勝ったのはどちらか明らかだろう。
ゲバラと敵対した執政者の名前は忘れ去られても、ゲバラの言葉と精神は末代まで語り継がれるからだ。
大衆も決して愚かではなく、何が正しくて、何がそうでないか、心の底では分かっているし、大衆の支持なくして、不滅の栄光は有り得ない。
(ゲバラのように表立って行動しないだけ)
そう考えると、最後に勝ったのは誰か、一目瞭然ではないだろうか。
初稿 2014年10月11日