親に変わることを期待してはいけない ~精神的・物理的距離を置く

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親に変わることを期待してはいけない

憎い、嫌いと思っても、心の底では、いつか親が自分を理解してくれるのではないか、理想の仲良し親子になれるのではないかと期待するのが子ども心です。

しかし、親はそう簡単に変わりません。世の中の人間がそう簡単に変わらないのと同じで、何をどう言い聞かせても、自分の望む通りにはなりません。

変えられるのは自分だけ、親も他人も、どうにもコントロールできないのが世の常です。

そうと気付いたら、自分の幸せと将来にフォーカスしましょう。

仕事を見つけるのもよし、本を読み漁るのもよし、独立資金を貯めるのもよし。

今はインターネットでいろんな人の体験談を読むことができますから、他の人はどんな風に克服したのか、参考にするのもいいですね。

生活はすぐには変わりませんが、考え方を変えることは今すぐにもできます。

考え方を変えれば行動が変わり、行動を変えれば結果が変わります。

それは周りにも伝わり、社会におけるあなたの評価や立ち位置も変わります。

それをきっかけとして、親と和解の糸口も見つかるかもしれません。

自身の内面とやるべき事にフォーカスするのは、復讐を企てるより、ずっと建設的です。

物理的・精神的に距離を置く

それでも、一つ屋根の下で毎日顔を合わせていれば、嫌なことも続くし、その度に気持ちを揺さぶられるものです。即効で心の負担を軽減するなら、物理的・精神的に距離をおく以外にありません。つまり、家を出て、自活することです。

河合隼雄氏も第十一章『家族のうち・そと』の『他人の飯』という節で次のように述べています。

自分の家、家族の在り方をよく知るためには、家の外からそれを眺めてみることが必要である。これは外国に行ってはじめて、日本のことがよく解るようなものである。誰しも幼い頃に親類に遊びにゆき、そこでの体験によって、自分の家では当然と思われていることが、実は他の家ではそうではないことを知って驚いた思い出をもっていることであろう。

昔から、人間が成長して大人になるためには、「他人の飯を食べる」経験が必要であると考えられていたのは、家族の保護から離れた生き方を味わうことの意味が認められていたからであろう。これは多くの場合、「奉公に出る」形をとるものであったが、他人の飯を食べ、他人の厳しいしつけに耐えてこそ一人前になれるという発想である。現在でも、大学に入学して下宿生活をして帰省してくる息子や娘に接して、急に大人になったような感じをもつ親もあることであろう。やはり、家庭の外に出てみることは、今でも意味を持っているようである。

家族関係を考える (講談社現代新書)

若い人の中には、「外に出て苦労しろ、ということか!」と反発されるかもしれません。

しかし、苦労うんぬんはさておき、物理的・精神的距離をおくことが、心の負担を軽減し、頭のクールダウンに非常に有効なのは確かです。

夫婦げんかでも、奥さんが実家に帰ったりするでしょう。あれも一つ屋根の下でいがみ合うより、いったん距離を置いて、頭を冷ました方が改善に向かいやすいからです。落ち着いて考えることで、自分や相手を顧みる余裕も生まれます。

親子もそれと同じで、一つ屋根の下を出て、別々に所帯をもった方が円滑にいくケースも多いと思います。

ただ今の日本では、子どもが家を出たくても、その手段は限られています。未成年でも、成人でも、賃貸を借りるにはまとまったお金や保証人が必要ですし、定期的な収入がなければ生活は立てられません。就職して職員寮に入る方法が一番確実ですが、そうした福利厚生を提供している職種は限られますし、将来の選択肢の幅も狭まるかもしれません。

近所に仲のいい祖父母や親族がいて、「一ヶ月ぐらい、うちで過ごせば」と申し出てくれるような関係ならいいですが、住宅事情などもあり、現代社会ではなかなか難しいでしょう。

それでも、親から独立し、物理的・精神的距離を置くことは、関係改善に効果的です。どんなに小さくても社会の中で役割を果たし、役に立つことを実感すれば、誇りと自信に繋がります。選択肢は少ないですが、絶対に不可能でもないので、住み込み可能な仕事を探してみるのも一考です。

ちなみに、私が知っている最年少の住み込み組は、自称『族上がり』のMちゃんです。中学時代はバイク仲間とつるみ、いっぱしの非行少女だったそうですが、卒業後「いつまでもこんなハンパなことはしてられへん」と一念発起、看護助手として職員寮に住み込みで働き始めました。その時、彼女は十五歳でした。私と出会った時は十七歳で、昼間働きながら夜間学校に通い、卒業資格を得たら、看護学校を受験するとのことでした。その後、どうなったか分かりませんが、働き者で、職場の信用も絶大だったMちゃんのこと、多分、志のようにされたと思います。

どこまで本気になれるかで、人生の明暗は分かれる

下記の記事にも書いていますが、もつれた親子関係をほぐすにはには「物理的に距離を置く」のが一番です。

話合いだの、個性の理解だの、精神療法でどうにかなるものではないし(上手くいくケースもあるかもしれないけれど)、心理的にこじれた相手とは物理的に距離を置いて、冷却期間を設けるのが最良の方法だったりするんですね。

もっとも、子供が未成年の場合、物理的距離を置くのは難しいですが、今は18歳になれば就職もできるし、銀行口座を開設したり、免許を取得したり、ほとんど成人と同様の権利や意思決定権を得ることができます。

本気で自立を目指すなら――親の影響下から抜け出して自由を手に入れたければ――さっと家を出て、自分の所帯を持つのが一番なんですね。

その際、「自分でご飯を作るのは面倒くさい」とか「六畳一間で暮らすのは格好悪い」とか「こんな仕事、恥ずかしくて人に言えない」とか、ぐだぐだ文句を並べないこと。

一年ぐらい、住み込みで働いて、お金を貯めて、その後、好きな勉強や好きな仕事をするぐらいの気概で出て行けば、誰にも、何も言われません。

むしろ、あなたの気持ちや立場を理解して、手を差し伸べてくれる人も現れます。

「親に対する不満はいっちょまえ、要求は人一倍」で、結局、何も出来ないままだから、周りにも馬鹿にされるし、無力感や無価値感から抜け出せなくなるのです。

自分の心の傷を分かってくれる人といつまでも頷き合っていても、人生なんて変わりません。
唯一、行動だけが、暮らしや能力や未来を変えていきます。

どこまで本気になれるかで、人生の明暗は分かれるものです。

距離を恐れない

海外に行くと、経済移民や紛争などで、家族が外国にばらばらに暮らすことも珍しくありません。十年、二十年と、肉親に会ってない人もたくさんいます。だからといって、皆が断絶しているわけではなく、いざとなれば遠くからでも支え、励まし、その絆は、一つ屋根の下に暮らす家族よりも強く感じることもあります。 

河合氏も、青井和夫氏の著書『家族とは何か』(講談社現代新書)を引き合いに出し、「濃密と親密という語を使い分けている」という風に説明されていますが、物理的な距離と心の距離は必ずしも一致しません。「会えない時間が愛を育む」という言葉にもあるように、間を置くことで、理解や情愛が深まる部分もあります。距離を置けば忘れ去られるというのはまったくの杞憂で、適切な『間』が逆に接着剤の役割を果たすのです。

物理的、あるいは精神的な距離を恐れてはいけません。 

真の愛情とは、状況を越えて、人と人を結びつけるものです。

誰かにこっそり教えたい 👂
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