これを読んでいる子供の皆さんは、心の中で、こう思っていることでしょう。
「話せば、分かってくれる」「自分が期待するような親になってくれる」と。
残念ながら、親は死ぬまで変わりません。
あなたが何を訴えようと、「死ぬまで気が付かない」と諦めた方がいいです。
親子が手を取りあって、抱き合うのは、映画の中だけの話。
現実においては、親は子供の苦しみに気付かないし、何が間違いかも分からないものです。
多くの人間関係がそうであるように、変えられるのは自分だけ。
親に変わることを期待して、「こうなって欲しい」と望んでも、無駄な努力なんですね。
君が苦しむのは、「自分の親だから」「もしかしたら、いつかは理解して、愛してくれるのではないか」と期待するからでしょう。
飲んだくれの馬鹿親父でも、自分勝手な母親でも、子供は心のどこかで、「それでも自分の親はいい人だ、いつか気付いて、愛してくれる」と期待するもの。
でも、現実は違うから、心も傷つくし、自己無価値感や無力感に陥るのです。
では、どうすればいいか。
期待するのを、一切、やめることです。
「いつか分かってくれるだろう」とか、「いい親になって、助けてくれるだろう」とか、将来に幻想をもってはいけません。
今、自分の目に映る親の姿が全てです。
冷たい親は死ぬまで冷たいし、無神経な親は、死ぬまで無神経です。
ひとかけらの優しさにすがって、いつか変わってくれることを期待しても、自分が疲れて、苦しむだけです。
それよりは、親は親、自分は自分、と割り切りなさい。
あなたがどれほど望んでも、あなたの求める愛も理解も手に入らないし、ドラマみたいなハッピーエンドもありません。
それよりも、自分の人生に注力しなさい。
親が能なしの廃人でも、あなたは、あなたの努力次第で、いくらでも周囲の愛情や尊敬を勝ち取ることができるし、まともな仕事に就いて、充実した人生を送ることも可能です。
自分の求めるものを与えてくれない人に取りすがって、どんな未来があるでしょう。
一滴も出てこない蛇口の下で、じーっと口を開けて待っていても、疲れて、喉も渇くだけ。得るものなど、何一つありません。
それよりは、自分から湧き出る泉を求めて、一人立ちしましょう。
必死で探し求めれば、どこかには「これ」と思えるものが見つかるし、贅沢さえしなければ、自分らしい暮らしも手に入るものです。
期待して裏切られるよりは、少なくても、自分で何かを得た方がはるかに自信に繋がります。
親の死を願っても、人生は変わりません。
親が目の前から永久に消え去っても、親に愛されなかった自分はそのまんま。
恨みだけがつのり、みじめな人生が続くだけです。
一日も早く、経済的、社会的に自立して、臍の緒を引きちぎること。
それだけが唯一、あなたの人生を自由にします。
毒親の元に生まれ落ちた不運と、自分自身の可能性を、ごっしゃにしてはいけないのです。