美というものは、本来、何かを欠いたものです。完全な合理主義からは、美はおろかドラマも生まれてきません。
『完全な合理主義』というのは、『世間の定型』に置き換えても分かりやすい。
多くの場合、『美』は様々な形で定義され、理想として植え付けられる。
そこからはみ出したり、質の異なるものは、美とみなされず、多くの人は「世間でいわれるところの美」を目指すものだ。
だが、果たして、完璧なもの、好ましいものだけが美であろうか。
影を伴うもの、どこか欠けたもの、気味の悪いもの、アンバランスなもの、人を不安な気持ちにさせるものにも美は存在するのではないか。
見た目が完璧なものや好ましいものは、確かに美麗な印象を与えるが、真の美しさは、見る者の想像力によって生み出されるのではないだろうか。