あなたは幸せになろう
ギリシャ悲劇のオイディプスは、父親殺しと母との姦淫という二重の罪により、両目を潰して、死ぬまで荒れ地を彷徨い歩きます。
しかし、あなたは必要以上に自分を責めてはいけません。なぜなら、現実に親を殺したわけではないからです。
あなたが自分の人生を歩みだし、「親 死んでほしい」「親 殺したい」という衝動から解放されれば、親や人生に対する見方も変わります。あれほど憎かったものに憐憫を感じるようになれば、あなたの心の器もぐんと広がり、人間関係や社会生活も変えるでしょう。あなたから精神的緊張が消えれば、親にも余裕ができて、自分を省みるようになります。親子は互いの映し鏡ですから、どちらかが変われば、双方ともに変わるのです。
それでも、あなたが親に逆らい、己の道を行こうとすれば、「裏切り者」「二度と帰ってくるな」「どうせ失敗する」等々、さらなる呪いの言葉を浴びせられるかもしれません。自分自身も罪悪感に苦しみ、帰る場所も失うかもしれません。
だからといって、現状に閉じこもっていても、何も救われません。
心の持ちようで、まったく違った将来が開けるのに、「親 死んでほしい」「親 殺したい」という憎悪を抱えたまま、一生を終わりたいですか。
あなたは生きなければならない。
心の底から「生きた」と思える、素晴らしい人生です。
親にどんな呪いをかけられようと、あなたの実像はまったく別物です。
あなたにも、白鳥のように素晴らしい可能性と能力があるはずなのです。
河合氏の言うところの「内面的な親殺し」は、肉体的な暴力による断絶と復讐ではなく、心の革命と再生です。あなたは、あなたの心に巣くう強烈な呪文に打ち勝ち、自分の力で生きる方法を手に入れるだけです。
親に逆らうことに罪悪感を持ち続ける限り、あなたは生涯、呪いの囚われ人であり、「親 死んでほしい」「親 殺したい」という憎悪から解放されることもありません。あなたの心の中で、親は一生許しがたい悪魔として存在し、その毒は、あなたの人生も、あなたの周りの人も、めちゃくちゃにしてしまうでしょう。
だから、勇気をもって立ち向かって欲しい。
親の教えや価値観を疑い、人生に本当に大事なことを、自分の頭で考えて欲しいのです。
それは決して裏切りではありません。あなたはもう十分に成長し、一人の人間として考え始めたのですから、親と意見や価値観が食い違うのは当然です。西と東の指導者が対等に話し合うように、あなたにも意見を述べる権利があり、自由があります。もし、子どものくせにと見下されるなら、自分で稼いで、生活を立てればいいのです。親の扶養義務もそこで終わりです。これ以上、何を束縛されることがあるのでしょうか。六畳一間の住人でも構いません。社会に参加する一人の大人として、堂々と生きていけばいいのです。
呪いを解く為に、心の中で親の幻影と闘うことは罪悪でも何でもありません。