また蒸し返す、「ばか」って何?
はじめまして。いつも夜中に拝見して、一人「くくく」笑いしてます。
待望の「ガンダム」、きましたね。現物やら、パンフやら、とにかく見る度に建築素人の私でも「?」と思っていました。
問題提起? 建築素人なので素人的に言わせて頂くと、いくら自前の物件だからって、こんなにデカい問題提起していいんですかあ、と思います。隣りの瓦屋根にちょっと同情しますね。
池之端のホテルについての書き込みにもあったと思うんですが、隣りにこんな物たちがそびえ建ったら、いい気持ちするんでしょうか。
「建物がひとつ建つ」というのは、素人からすると、すごい大変な事だと思うのです。それが現実に建ってしまっているのですから、見た目で困る以上に、沢山の困った問題を抱えているのでは、という危機感を感じずにはいられません。
私はふだんは本やら雑誌やらのデザインをしているのですが、やはり書籍の世界にも「ばか」がはびこっています。大先生の自費出版豪華本とかにかぎって、「ばか」だったりします。やりやり、ゴテゴテのデザイン先行では飽きたらず、文章長々と書いて説明したりして。「ガンダム」と同じケースにあたると思います。
大量部数発行されている定期刊行物でも、かなりの勢いで「ばか」と「投げやり」が横行していると感じます。週間などの、発行スパンが短いものは、まさに「やり逃げ」です。自戒的な意味も含めて、強く危機感を感じます。本ならたかだか数百円だし(それもいけないと思うんですが)、占有面積も平積みでA4、棚なら厚さ数ミリ位、でも、でも、と思うんです。
ここで紹介されたばか建築は、わりに生活圏内なので、現物もいくつか見ることが出来ました。もし自分がその物件の近くに住んでいたら……と考える事によって、自分のデザインした書籍や雑誌を手に取る第三者の事を考える、良い契機になります。でも「ばかだね~」と笑ってる所に、このページの痛快さがあります。
うらやましいなあ。エディトリアル・デザインの世界で、こんなのやってみたいなあ。そしたら、仕事、ホされちゃうかなあ。
このトピックは『ばかけんちく探偵団』の掲示板より転載しています
建物が人を呼び、人が新たなサービスや施設を生み出す
「建物がひとつ建つ」というのは、素人からすると、すごい大変な事だと思うのです。
普段、建設現場も、改装中の建物も、何気なく目にしていますが、建物というのは非常に大きなインパクトを持ちます。規模が大きければ尚更に。
建物が一つ建てば、そこに出入りする顔ぶれも変わりますし(特に集合住宅や公共施設など)、顔ぶれが変われば、それらをを対象とした新たなサービスや施設が生まれ、町並みもがらりと変わります。集合住宅や新興住宅地などは、その典型ですね。それが旧来の町並みや住人と上手く調和すればいいですが、時には、デザイン的にも、心理的にも、ミスマッチを生じ、コミュニティを分断することもあります。
京都の町中も、住民の高齢化や商店の廃業に伴い、空き家が増え、ニューファミリー向けのモダンなアパートや、外国人観光客をターゲットにした民泊用の町屋が増えると、旧来の町内会は完全に形骸化し、近所づきあいも無くなりました。今では、何所で、どんな人が、どんな暮らしをしているかも分からず、観光客が入れ替わり立ち替わりに出入りして、事実上、空洞化している一画もあります。そしてまた、そうした区画のスーパーでは、地元住民が必要とする肉や野菜より、短期滞在・観光客向けの、レトルト食品や惣菜、スナック菓子や飲料水を置くようになり、人々の生活にいろんな形で影響を及ぼすようになるんですね。
こうした現象は、観光客というより、観光客を呼び寄せる建物、あるいは町作りに問題があり、建物が地元コミュニティまで変えてしまう典型例と言えるでしょう。
だからこそ、建てる前に、四方に与える影響をよくよく考えて、実作に取まなければならないのですが、やはり利益あっての計画、どうしても経済優先の考えになりがちです。それはそれで重要かもしれませんが、儲かるのは家主と事業主だけ、コミュニティを支える住民に還元されなければ意味がありません。
真新しい建物が、一時期、金の成る木になったとしても、後々に禍根や負債を残すようでは、美しいデザインなど何の意味も無いでしょう。
しかし、こうした問題は、作り手ばかりではなく、受け手にもあります。
明らかにコミュニティに問題を引き起こしているのに、便利だから、楽しいからと、利用者が引けを取らなければ、似たようなものは、また作られます。一部が問題視しても、その他の大多数が支持すれば、そのままずるずる存続して、どうにも歯止めがかからなくなるもの。
それは建築に限らず、書籍も、音楽も、漫画も、みな同じだと思います。
突き詰めれば、その世界で「最高」とされるものは、大衆の現し身であり、大衆が支持しなければ、愚かな王様も生まれようがありません。
大衆の無知・無関心は、我々が想像する以上に罪深いのかもしれません。
※ ちなみに、昔ながらのコミュニティの瓦解について、進歩(発展)と考えるか、崩壊(衰退)と捉えるかは、受け止める人や時代背景によって異なると思います。経済的に栄えても、一般住人には暮らしにくくなることもありますし、逆に、一般人の快適さ(多くは慣習)を優先すれば、抜本的な改革に手を入れても、物事が立ち行かなくなります。
全方位に幸福など、所詮は理想論で、誰かが笑えば、誰かが泣く。それが発展の本質に違いありませんが、だとしても、住民の暮らしや意向が尊重されるのと、まったく考慮されないのでは、受け止め方がまったく異なるし、一度、壊れたものは、二度と戻らないんですね……。