拾いの神は捨てられた後にやって来る
誰にとっても、採用 / 不採用、入賞 / 落選、交際OK / ごめんなさい、等々。
選ばれない苦しみは計り知れないものがあります。
特に若い時分は、世の浮き沈み(あるいは運勢の上昇・下降)というものを長いスパンで経験することがないので、失恋しては落ち込み、不採用通知を受け取っては人生に失望し、「俺はもうダメだ」と白旗を揚げて、自分の中に閉じこもってしまうでしょう。
でも、世の中、「捨てる神あれば、拾う神あり」で、聖書にも「誰かが要らないと捨てた石が家の土台になる」という言葉があるように、そんなあなたを必要としている人間もいるんですよ、何処かには。
廃品回収のプロに言わせたら、ゴミ捨て場なんて宝の山だし、スポーツでも、戦力外通告された人が、コーチを変われば、奇跡の復活を遂げることもあります。
でも、拾いの神に見つけてもらうには、まず第一に、捨てられないといけません。
誰かにポイと捨てられ、地に叩き付けられて、初めて拾いの神の目に留まるわけですね。
なぜなら、拾いの神は、拾うのが仕事だから。
ところが、多くの人は、自分を捨てた神の裾にすがって、いつまでもしがみつくんですよ。
「どうしてですか。頑張りますから、もう一度、使って下さい」と。
捨てる神の裾にぶら下がって、完全に地に落ちないうちは、拾いの神も拾いようがないのに。
野球に喩えれば、「僕は絶対に巨人軍でプレーしたいんです! 巨人以外はダメなんです!」と無理にでも巨人軍に籍を置いているようなものです。阪神タイガースに行けば、六甲おろしが、あなたを歓迎してくれるというのに。
もちろん、拾ってくれるなら、誰でもいいわけではありません。
同じ拾われるなら、極上の神様に拾ってもらわないと。
その為には、ゴミ捨て場でもよく目立つように、自分をピカピカに磨いておかないといけない。
努力というのは、次の出会いの為にするものであって、自分を捨てた神を振り向かせる為にするものではないです。
世の中には、切れた方がいい縁もたくさんあります。
人や職場に捨てられる時は、実は大きなチャンスだったりします。
拾いの神と称される、アル・マクダエルに絡めて。
能力は現在の力、可能性は未来の力
今、目に見える実績や能力よりも、可能性の方がはるかに大きな力を持ちます。
何故なら、実績は過去の力、能力は現在の力、可能性は未来の力だからです。
人と仕事のマッチングは、未来への投資のようなもの。
上手く噛み合えば、実力以上の効果がありますが、そうでなければ、人も、職場も、疲弊するばかりです。
予算や設備をどれほど整えても、適性を備えた人材が集まらなければ、100人のエリートを雇っても、効果は出ないんですね。
仕事運とは、高収入の会社に就職することではなく、実力以上に自分を生かせる職場と縁が出来ることかもしれません。