『雨の街を』 ~誰かやさしく肩を抱いてくれる人に出会ったら
一人ぼっちの不安
社会がどれほど発達して、女性が権利や自由を得たとしても、きっと永遠に変わらないものがある。
それは「女のコの気持ち」だ。
荒井由実の代表曲『雨の街を』には、こんなフレーズがある。
誰かやさしくわたしの肩を抱いてくれたら
どこまでも遠いところへ 歩いてゆけそう
「女のコの気持ち」は、ほんと、この一言に尽きる。
突っ撥ねたり、意気がったり、精一杯、自分を主張して見せるけど、心の奥底ではいつも不安に震えている。
このまま誰にも愛されなかったらどうしよう。
一生、一人で終ったらどうしよう。
美貌も、才能も、確かな何かを約束してくれるわけじゃない。
本当に欲しいのは、誰かの限りない愛。
どんな時も、自分のことを分かってくれて、やさしく見守ってくれる人があるならば、どこまでも遠くに歩いて行けるのだけど……。
居場所のない女たち
宮尾登美子『天璋院篤姫』~与えられた運命の中で生き抜くでも書いているが、女性というのは、オギャアと生まれた瞬間から、本当の意味で「自分の居場所」というのは無いものだ。
独身時代は「いつお嫁に行くの?」と無言の圧力をかけられ、結婚すれば、「嫁」と呼ばれる。
年を取り、うるさい姑からやっと解放されたと思ったら、成長した子供には疎まれ、「別々に暮らそう」と絶縁状を突きつけられる。
『女、三界に家なし』というが、本当にその通りだろう。
結婚しようと、しよまいと、生まれた家でずっと暮らすことが許される男性には、女性の不安は決して理解できないだろう。
愛よりも『力』を欲しがる時
現代の女性が、自分の居場所をもっと確かにする為に、愛よりも『力』を欲しがるのは当然だ。
お金。地位。安定した仕事。名声。
愛は裏切られることもあるけれど、自分で得た仕事や学歴は決して努力を裏切らない。
「誰かにやさしく肩を抱いて欲しい」と望む一方で、そこに人生を懸けたくない気持ちは、現代の女性なら、誰しも同じではないだろうか。
それでも女性であることは止められない
だからといって、女性が『女性であること』を止めることは出来ない。
女性であることは、時に、男が男であり続けることより難しい。
女性は、「人間』と『女性』、二つの人生を同時に生きねばならないからだ。
そのDNAには、何十億年と受け継がれてきた生命複製の遺伝子が組み込まれ、地上で最も強い本能に支えられている。
女性がMANではなく、W=オッパイと、O=子宮をもったWOMANと呼ばれる所以である。(男性より役割が二つ多い)
自分を女のコの気持ちに委ねる
だから、時には、自然な「女のコの気持ち」に自分を委ねることが大切だ。
意地を張ったり、突っ撥ねるのではなく、ココロと体の空白に正直になる。
それは決して敗北ではないし、頭であれこれ考えるより、ずっと強くてナチュラルな生き方だ。
ユーミンの『雨の街を』は、そんな女のコの不安な気持ちをやさしく受け止めてくれる。
淋しさを口にしたり、愛を求めることは、決して恥ずかしいことでじゃないと教えてくれる。
だって、私たちは、自分の住処さえ持てない「女」じゃないか。
不安に思うのは当然だと。
*
そうして、いつか、やさしく肩を抱いてくれる人に出会ったら、一人で淋しかった夜のことを話したい。
どれほど不安な気持ちで生きてきたか。
どれほど遠い道程だったか。
それが夢でも、夢見ていたい。
一人で生きていくには、この世はあまりに重いから。
荒井由実『雨の街を』について
『雨の街を』は、ユーミンのデビューアルバム『ひこうき雲』に収録されています。
1973年にリリースされ、バック・バンドは、未来の夫となる松任谷正隆氏をはじめ、YMOの細野晴臣、はっぴいえんどの鈴木茂、ドラマーで音楽プロデューサーの林立夫氏など、レジェンド級のミュージシャンが名を連ねています。
アルバム『ひこうき雲』は、アコースティックで、シンプルな作りながら、胸が痛くなるほどの映像美にあふれ、彼女の歌に自分の青春を重ね見る人も多いのではないでしょうか。
ほっとしたい時、優しい気持ちになりたい時に聞きたいアルバムです。
同時収録の『曇り空』に関するレビューはこちら。
荒井由実『曇り空』 ~誰かに心を惹かれても、背中を向けたくなることがある
初稿 2010年3月9日