映画『エイリアン』(1979年) が描く生殖とエロティシズム

エイリアンの造形に秘められた性と生殖のシンボルを読み解く映画コラム。H・R・ギーガーのデザインを中心に、異物としての異星人を描く。

性的コンテンツを含みます。18歳未満の方はご注意下さい。

目次 🏃

生殖とエロティシズム 映画『エイリアン』

作品の概要

エイリアン(1979年) - Alien 

監督 : リドリー・スコット
主演 : シガニー・ウィーバー(二等航海士リプリー)、イアン・ホルム(アッシュ)、ジョン・ハート(お腹からエイリアンの幼生が出てくる人)、ヴェロニカ・カートライト(最後にエイリアンに襲われる女性操縦士ランバート)

エイリアン (字幕版)
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(1)劇場公開版本編:フジテレビ「ゴールデン洋画劇場」版吹替音声 野際陽子/前田昌明
(2)劇場公開版本編:テレビ朝日「日曜洋画劇場」版吹替音声 戸田恵子/大塚明夫
(3)劇場公開版本編:LD版吹替音声 田島令子/西沢利明
(4)劇場公開版本編:VHS/DVD版吹替音声 幸田直子/富山敬
(5)ディレクターズ・カット版本編: BD/DVD版吹替音声 幸田直子/郷田ほづみ

あらすじ

宇宙船ノストロモ号は地球へ帰還する途中、会社命令により、謎の信号を発信する小惑星(LV-426)の調査を依頼される。船長ダラス、女性操縦士ランバート、ケイン(ジョン・ハート)の三人が調査に向かうが、ケインは巨大な卵から飛び出したカブトガニのような生物に顔を覆われ、失神する。ダラスとランバートは、ケインを船内に連れ帰るが、ケインの顔面にはフェイスハガーと呼ばれる生物が強固に張り付き、その血液は強酸性であった。
数日後、ケインは奇跡的に意識を取り戻し、生物もどこかに姿を消すが、全員で食事中、突然、ケインが暴れ出し、お腹からエイリアンの幼生が飛び出す。
船員らはエイリアンを処分しようとするが、一人、また一人と、エイリアンの餌食になり、ついには、リプリー(シガニー・ウィーバー)、ランバート、機関長デニスの三人だけになる。
三人はノストロモ号を爆破し、小型シャトルに乗り込もうとするが、そこにもエイリアンの姿があった。
果たしてリプリー達は無事に地球に生還できるのか――。

見どころ

今となっては、マザーコンピュータや宇宙船施設など、古さは否めないが、かえってH・G・ギーガーの世界観にマッチし、SFゴシックホラーの様相を呈している。
悪夢のようなエイリアンの造形は観る者の五感を揺さぶり、永遠のアイコンとして語り継がれるだろう。
エイリアンの前にエイリアンなく、エイリアンの後にエイリアンなし。
シガニー・ウィーバーの迫真の演技と相成って、空前絶後のSFホラーに仕上がっている。

異星人という名の異物 ~生殖とエロティシズム

エイリアンとは、人間の悪夢――恐怖、疑念、絶望、死といった、生物的感情を具象化したもの。

恐怖を増幅するフラッシュ(照明)

私が初めて『エイリアン』を見たのは、映画館ではなく、TV朝日の『日曜洋画劇場』だ。

映画館で鑑賞した友人が、「めっちゃ怖かった」と脅かすので、「どうせ着ぐるみみたいなクリーチャー”うぉ~”と叫びながら追いかけてくる、しょっぼーい特撮映画とちゃうん?」と高をくくっていたら、フェイスハガーが襲いかかる場面で絶句し、クルーの食事中、エイリアンの幼生『チェスト・バスター』が腹を食い破って出てくるシーンで完全にフリーズして、ブラウン管の前に釘付けになった。

ちなみに夜も眠れないほど怖かったのは『エクソシスト』以来である。
(参考 悪魔は嘘に巧妙に真実を織り交ぜる / 映画『エクソシスト』

まず、本作の見どころは、「光」(特にフラッシュ)の使い方が非常に上手い点だ。

同じリドリー・スコット監督の代表作である『ブレードランナー』もそうだが、青みがかった閃光、フラッシュの間隔、どれをとっても斬新で美しく、CGをしのぐ迫力がある。
(参考 美しい生命のSF叙情詩 『ブレードランナー』(1982年) 私は何もので、人生はいつ終わるのか?

当時はそこまで特撮技術も発達してなかったので、昔ながらの『照明器具(ライト)』に頼らざるをえなかったわけだが、それがかえって、ブラックアウト寸前のリアリティを醸し出している。フラッシュの中に、ちらちらとしか見えないエイリアンの姿もいっそう不気味で、なまじCGで鮮明に描くより、はるかに効果的だったのではないだろうか。

80年代の『闘う女』 リプリー二等航海士

また、本作は、大スターを起用せず(それだけの予算もなかったのかもしれないが)、「いつ誰が死んでもおかしくない」という状況を醸し出している点も大きい。

もし、本作に、シルベスター・スタローンやトム・クルーズのようなスターが出演していたら、「とりあえず彼とヒロインは生き残る」と丸わかり。いつ襲ってくるか分からないエイリアンの恐怖も半減する。

「まあ、船長は生き残るだろう」と思っていたら、船長までやられてしまうので、もしかしたら、全員皆殺し? というシナリオも頭に浮かぶのが本作のポイントだ。いつ誰が死んでもおかしくないので、余計で恐怖が増幅する。

私がTVロードショーの解説で聞いた話では、シナリオは幾通りもあって、「全員皆殺し。エイリアンは猫に寄生して、そのまま地球に帰還する」「リプリーと船長が生き残る」「リプリーだけが生き残る」等々、最後まで協議が続いたそうだ。さすがに皆殺しはないだろう、という結論から、リプリーが生き残るエンディングになったが、もし皆殺し+猫に寄生なら、どんなエンディングになっていたのか。そちらも見てみたい気がする。

ともあれ、皆殺しの緊張感を最後まで引っ張っる演出は見事という他ないし、一人生き残ったリプリー二等航海士 = シガニー・ウィーバーが、従来のヒロイン像を大きく書き換え、80年代を代表する『強い女』『自立した女』のアイコンとなったのも興味深い。今、私たちが、「ワンダーウーマン」や「ハンガーゲーム」のような『闘うヒロイン』を親しめるのも、リプリー二等航海士(シガニー)が「エイリアンとの死闘」を全力で演じてくれたからに他ならない。
(参考 女は強く、賢く ヒロインの源泉 ~リプリーからワンダーウーマンまで

悪夢のような造形 ~H・G・ギーガーの美術

また忘れてはならないのは、スイス出身のヴィジュアル・アーティスト、H・R・ギーガーが作り出した悪夢のような造形だ。

http://www.hrgiger.com/
エイリアンの造形

エイリアンは言うに及ばず、さながら無機質の胎内のような宇宙船、砲台に取り残された別の異星人の遺骸、水滴の滴る機関室、臓器のように絡み合う配管や配線など、全てが異彩を放っている。ドキュメンタリー映画『H・G・ギーガーの世界』オフィシャルサイトでも、氏の世界観を垣間見ることができるが、氏の描く作品は、まさに子供時代の悪夢そのもの。暗闇にうごめく、得体の知れない霊魂や、人に踏み潰されて、粘り着くような肉塊となった爬虫類の死骸、納屋の隅に大量に産み付けられた気味の悪い卵など、生物のダークな部分を煮詰めたような造形だ。

また、ギーガー氏の最大のモチーフは『性』と『生殖』であり、映画『エイリアン』でも、人間の体内に寄生し、腹を食い破って出てくる『チェストバスター』のデザインは、男性器、もしくは胎児を模しているらしい(ファンの間では有名な話)。

※ ショッキングな場面を含みます。視聴にはご注意下さい。
Alien (1979) – Chestburster Scene (2/5) | Movieclips

女性から見たエイリアン

それを前提に本作を見ると、『女性に胎内に侵入する異物』としてのエイリアンの本性が見えてくる。

なぜなら、『エイリアンの寄生』とは、女性器への侵入に他ならないからだ。

物語の終盤、乗組員が次々に絶命する中、二等航海士リプリーは、やっとの思いで宇宙船ノストロモ号を脱出し、小型シャトルで一息つく。

ところが、すでにシャトルにはエイリアンが乗り込んでおり、着替えを済ませたリプリーに容赦なく襲いかかる。

※ ネタバレ画像です。未見の方はご注意下さい。

この場面、当初は全裸の予定だったが、最低限の下着は身につける演出になったそうだ(TVロードショーでの解説)。

しかし、わずかな下着を身につけることで、かえって女性の無防備が強調され、恐怖も倍増する。

この場面、男性にとっては、単なるホラーかもしれないが、女性の立場から見れば、二種類の恐怖がある。

一つは、生物としての身の危険。

もう一つは、性的に侵入される恐怖だ。

上述の通り、エイリアンは人間の体内に幼虫を植え付け、幼虫は人間の胃の中で成長してチェストバスターとなり、最後には人の腹を食い破って誕生する。

この過程は、人間の生殖と変わりない。

すなわち、男性器の侵入 → 射精 → 妊娠 → 出産である。

リプリーにとって、エイリアンに襲われることは、性的に侵入されることに他ならない。

だから全力で闘うし、ついには勝利して、宇宙船のブースターで吹っ飛ばすリプリーの姿に、女性ファンは歓喜する。

80年代、リプリー(=シガニー)が闘う女のアイコンとして世界中から支持された所以だ。

大人になってから見返すと、リプリーの寝所となる小型シャトルに忍び込んだエイリアンは、まるで下心丸出しの男性そのものだし、機械の隙間から、「こんばんは、お嬢さ~ん」とばかり、ぬめぬめした頭を覗かせる姿は、どう見ても痴漢だろう。

幾多の危機を乗り越え、睡眠ポッドの中で、すやすやと眠るリプリーの姿は、さながら白雪姫のようだ。

それはまた処女性の象徴でもある。

自分の身は自分で守るしかないことを、身をもって教えてくれたリプリーに、女性ファンはいつまでも感謝と尊敬の念を抱かずにいられないのである。

安らかな眠りに就く、白雪姫のようなリプリー

【コラム】 生殖とエロティシズム

人間のエロティシズムには二つある。

一つは、性愛や官能としてのエロティシズム。

もう一つは、生殖に根ざしたエロティシズムだ。

H・G・ギーガーの描くエロティシズムは、『生殖』に根ざしたものであり、命の根源から湧き出すような力強いエネルギーを感じる。

形状はもちろん、ぬめぬめした粘液のような質感も、どこか性行為や分娩を想起させ、いやらしいを通り越して、どこか神々しいほどだ。

本作でも、乗組員を監視する為に送り込まれたアンドロイドのアッシュ(イアン・ホルム)は、エイリアンのことを、慈悲も、情愛も持たない、『完璧な生命体』と褒め称え、人間に生き残る術はない、と説く。

ロボットのアッシュ

すなわち、生命の本質は『自己複製』であり、自らが生き延びるためなら、他の生物を犠牲にすることも厭わない、それが自然の本性だ。

我々、人間だって、自らが生きるために、牛や豚を屠って食糧とするように、エイリアンも人間に寄生し、宿主の命を犠牲にして、自ら生まれ出る。

つまり、「生物が生きる」ということは、それほどに荒々しく、利己的なものなのだ。

かろうじて獣と人間を区別するものは、他人に対する思いやりであり、本物の人間は、たとえ飢えた極限下でも、同胞同士で食い合うことはない。

それは生殖においても同様で、愛のある性行為はロマンティックで、美しいものだ。

そこに暴力や恐怖は微塵も感じない。

だが、エイリアンのような獣は、己の欲求を満たすためなら、相手を傷つけることも厭わない。

それはどこまでも利己的で、感謝や自省とも無縁である。

映画『エイリアン』に漂うエロティシズムは、獣のような生殖の本能であり、宇宙船ノストロモ号は女性の胎内の象徴ともいえる。

リプリーの戦いは、母胎への侵入者に対する抵抗であり、真に守られたのは、彼女の生命ではなく、操である。

「愛なき侵入者」は最後にはブースターに吹っ飛ばされ、宇宙の藻屑と化した。

この爽快感は、女性にしか分からないだろう。

エイリアン以後、女性はいっそう強くなることを己に課し、幾多のものを勝ち取ってきた。

その陰で、宇宙の彼方に吹っ飛ばされた男性も数知れず。

女性の胎内への侵入に失敗した男性諸君は、生身の生殖にも興味をなくし、ヴァーチャルに舵を切りつつある。

果たして、人類はエイリアンのように逞しく生き延びることができるのか。

その答えは、少子化に悩むエイリアンと話し合った方が良さそうだ。

【コラム】 生命の本質は複製と増殖

細菌もエイリアンと同じ。
日に日に進化して、だんだん抗生物質も効かなくなる。

Aが効いたと思ったら、必ずそれに対抗して、Bという新種が出てくる。細菌とはいえ、
生き延びようとする本能は、人間より強い。
奴らは自死することもなければ、絶望することもない。Aという薬に壊滅したら、自らの機能を変えて、必ず生き延びる術を探し出す。

だから、地球の海がドロドロの湯船みたいだった時代も、全球凍結で全てが死に絶えたような時代も、じっと生きながらえて、この世に植物や、魚や、軟体動物など、多種多様な生物を生み出してきたのだ。

人間というと、『一つの身体に一つの心』というイメージがあるが、実体は、何十億だかの細胞の塊だし、心でさえ脳の電気信号に過ぎない。
実際に意思をもって生きているのは、心の方ではなく、DNAの方ではないかと思うほどだ。
人がいかに強い意思を持とうと、DNAが死ねば、“我々”も死ぬからである。

ある意味、人は、DNAの本能に突き動かされて生きているようなものだ。

恋人を求めるのも、ステーキに舌鼓を打つのも、現実社会でより優位に立とうとするのも、みな、DNAの本能。

誰よりも強く、誰よりも長く生き延びて、自分の複製(コピー)を残す。

それが生命の本質だ。

いわば、私たちは40億年の歳月を営々と生き続けてきたミトコンドリアの奴隷であり、実際に“生きている”のは、DNAの方なのである。

生命は道を探し出す スピルバーグの映画『ジュラシック・パーク』でも書いたように、生命とは恐ろしく強靱で、エゴイスティックなものだ。

地球が凍結しようが、ディープインパクト(隕石衝突)で森が消滅しようが、DNAは複製に複製を重ね、最後まで生きようとする。

生命の本質は、複製と増殖。

人間の強さとは腕力ではなく、生き延びようとする逞しさにある。

2014年7月14日

誰かにこっそり教えたい 👂
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