アキラとは、絶対的なエネルギー
サイバーパンクで有名な大友克洋のアニメ映画『AKIRA』の映画版にこんな台詞があります。
前にリュウが言ってたわ。アキラって、絶対のエネルギーなんだって。
人間ってさあ、一生の間にいろんな事をするでしょう。何かを発見したり、造ったり……。
家とかオートバイとか橋や街やロケット……
そんな知識とかエネルギーって、どこから来るのかしら?
猿みたいなものだったわけでしょう。人間って。 その前は爬虫類や魚――そのもっと前はプランクトンとかアメーバ。
そんな生物の中にもすごいエネルギーがあるってことでしょう。
そのもっと前の水や空気にも遺伝子はあるのかしら。宇宙のチリだってそうでしょう。
もしあるとしたら どんな記憶を秘めているのかしら
宇宙の始まりの そのもっと前の……
誰でもそんな記憶を持っているのかもしれないわね
もし何かの間違いで順番が狂って そんなアメーバーみたいなものが人間みたいな力を持つことになったら・・
暴走族の下っ端で、主人公・金田にもコンプレックスをもつ少年・鉄雄は、超能力者の老人坊や・タカシに衝突したことがきっかけで、強力なパワーを持つに至ります。
鉄雄の身を案じる金田は、謎を追う途中、軍に捕らえられ、反政府ゲリラのメンバーであるケイと留置所に高速されます。
鉄雄の幼馴染みで、暴走族のリーダーでもある金田は、その謎を追う途中、軍に捕らえられ、反政府ゲリラのメンバーであるケイと共に留置所に拘束されます。
上記の台詞は、留置所の一室で、「君はなぜ鉄雄を追っているんだ。あの不思議な力と関係があるのか? それに、何なんだ、『アキラ』って?」と問いかける金田に、ケイが答えるもの。
アキラとは、世界を創造する絶対的なエネルギー。
もし、何かの手違いで、アメーバーみたいな生き物が人間以上の力を持つようになれば、自分の周りの餌を食い尽くすモンスターと化します。
そして、ケイの不安は的中し、鉄雄は手の付けられない怪物に変貌していきます。
やがて巨大なエネルギーの塊となった鉄雄を金田は救うことができるのか――。
意外な最後を見れば、生命、宇宙、ビッグバンの連なりが理解できるのではないでしょうか。
当時のCMから、新手のサイバーパンクと軽く見ていた私も、この台詞で見る目が変わりました。宇宙の根源に問いかけるような、奥深い話だったんだな、と。
しかし、よくよく考えたら、ケイの言う通り、橋も、オートバイも、町並みも、最初からそこにあったわけではありません。
誰かが設計し、建材を組み立てたから、そこに形となって現われたのです。
そして、その建材だって、誰かの設計によるものです。
「無」から自然に生まれ出たわけではありません。
では、その源流は、どこから発生するのか。
人の頭の中――と言うよりほかありません。
ケイの言うとおり、人間にも、宇宙に匹敵する創造のエネルギーが備わっているといっても過言ではないでしょう。
大友克洋の『AKIRA』では、マッドな科学者や軍人たちが、その力をコントロールしようとして、東京を崩壊させた経緯が如実に描かれています。
怒りを爆発させ、制御不能に陥った鉄雄も、最後は宇宙的なエネルギーに還元し、無に帰っていきました。
その様を目の当たりにした老人子どものタカシとキヨコは、こんな風につぶやきます。
「今の僕たちには無理だったんだ」
「でも、いつか私たちも……」
「もう始まっているからね」
作品情報
AKIRA 1988年
原作・監督 : 大友克洋
声優 : 金田(岩田光央)、鉄雄(佐々木望)、ケイ(小山茉美)
あらすじ
舞台は2019年、第三次世界大戦から復興したネオ東京。ハイテクと繁栄を極めるメガロポリスの裏側で、最高機密・アキラをめぐって、アーミーとゲリラが激しい戦いを繰り広げていた。健康優良不良少年・金田とその仲間・鉄雄は、その戦いに巻き込まれていく…。
予告編
1988年公開時の予告編。
4Kリマスター版のCM。「時代がやっと追いついた」というのは、本当にその通り。
まさか二度目の東京オリンピックまで開かれるとは、公開時には夢にも思わず。
AKIRAとは、80年代サブカルの洗礼を受けたバブル世代にとって、何だったのか。
考えれば考えるほど、奥深い作品。
大友克洋氏自身が斜め上を行ってますからね(^_^;
AKIRAと80年代オタク
映画『AKIRA』は公開当時も話題になりましたが、「レジェンド」とまでいかなかったのは、当時、レベルの高いアニメが次々に封切られ(『幻夢大戦』や『コブラ』など)、目の肥えた80年代アニメ・ファンにとってAKIRAも「面白いSF」の一つでしかなかったからです。
もちろん、大友信者にとっては、「そのへんのSFと一緒にすんな」と思うかもしれません。でも、そこまでこだわりのない一般ファンにとって、AKIRAもまた「クールな新作」に過ぎず、物語も『コブラ』のように分かりやすい勧善懲悪ではありません。
ゆえに、ある人はスルーし、ある人は「分かったような、分からんような・・」と首をかしげる。
そして、そのまま、時間だけが過ぎた――というのが、大方の印象ではないでしょうか。
しかしながら、数十年の時を経て、見返してみれば、世界観のなんと斬新なこと。
設定といい、スピード感といい、30年以上も前に作られた作品とは到底思えません。
しかも、映画の未来予想に過ぎなかった二度目の東京オリンピックまで的中して、その次は、都市の荒廃、世界の崩壊――といったところでしょうか。
最後にキヨコが言う、「もう始まっているからね」のひと言は、公開当時も、到底希望の言葉には思えませんでした。
そして今も、暴走する鉄雄のように、自壊の道を辿っているのかもしれません。