今の時代、「聖子が、明菜が」と言っても、誰の事か、ピンとこない人も多いでしょう。
でも、私たち、バブル世代にとって、二人の対決は非常に意義深いものでした。
単なるアイドルの人気競争ではない、己の全存在を懸けた闘いでした。
どちらが正しいとか、どちらが優れているとかいう話ではなく、例えるなら、『龍』と『虎』。
龍と虎は、決して争わない。
だけども、己を賭して、闘っている。
自分とは異なる才能を持つもの、
違う生き道を行く者に対して、
「私はこうよ」と主張して見せる。
世間が何と言おうと、一歩も引かず、媚びることもない。
そういう精神です。
そしてまた、若い多感な時期に、それを間近で見ていた私たち、女子に対する影響も計り知れず。
聖子派と明菜派が真っ向から意見を戦わせ、どちらが女として上等か、などと競っていたのは、むしろファンの方です。
聖子と明菜に自分たちの人生を重ね見て、ジャッジせずにいられなかった。
何故なら、二人の個性と生き様があまりに対照的で、聖子ちゃんのように「ぶりっ子」で周りに媚びて、守られながら生きていくか、明菜ちゃんのように、「私は私」と自己を主張して、たとえ周りに生意気と思われても自分を貫くか、というのは、自分たちの将来を考える上で、かなりシリアスな問題だったからです。
結局、どちらが上か決着がつかないまま、明菜ちゃんに不幸な出来事が起きて、私たちも気持ちの整理がつかないまま、場外トラックに放り出されました。
以後、答えを知ることも、選ぶことも出来ず、今に至ります。
そして、この話は禁忌かもしれないけど、聖子ちゃんにはあのような結末が待ち受けていて、当時、誰がそんな悲劇を想像し得たでしょう。
それだけに、年を経て、二人がまた、それぞれのやり方で、生き直しを試みている姿がなんとも胸を打つんですね。
ここまで来れば、ライバルも、優劣もないでしょう。
ただ歌と、アーティストとしての矜持があるのみです。
同時代を生きて、本当に幸せだったし、良いパフォーマンスを見せてもらったと、つくづく思わずにいられません。
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今は、アイドルが正面きって芸を競うことなど、まずなくて、それより、みんな、仲良く。
あの子より目立っちゃ駄目。
いつでも仲間を立てよう。
お互いの個性を認めよう。
時にヒリヒリするほど、気を遣っている印象です。
そういう時代だから仕方ないと思うけど、ここまで自分を抑えることを求められたら、女子も生き方に困るでしょう。
「そうじゃない人」もいっぱいいるわけだし。
私が80年代のサブカル大好きなのも、そういう所に理由があります。
典型的な美少女アイドルだった聖子ちゃんに対して、明菜のように強烈な歌い手がいたから、「自分らしく」の素晴らしさを実感することができたのです。
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中森明菜 YouTubeで公開された激変姿にファン歓喜「笑顔ピース可愛すぎ」
さすがに全盛期の高音を出すのは難しいけど、歌に向かう気持ちが感じられて良かったです。
それにしても、元歌が良いと、JAZZにもアレンジできるんですね。
歌詞も、メロディも、素晴らしいヒット曲でしした。
若い時分に人生を競い合うことの馬鹿馬鹿しさ ~聖子VS明菜の戦いに思う
私たち、バブル世代の女子一同は、聖子 VS 明菜の戦いに、二人の女の生き様を見ていました。
聖子と明菜。
どちらが先に、愛を掴むか。
どちらが先に、結婚するか。
どちらがより幸せで、世間に称えられるか。
それは言わば、男に愛され、守られて生きていくのが正解か、それとも女も強くあるべきなのか、みたいな、テンプレ間の争いでもあったような気がします。
もちろん、どちらも自立した立派なアーティストで、当人同士にそんな自覚はなかったと思いますが、世間がそういうイメージで売っていたので、私たちも比較せずにいられなかったのです。(ITに例えれば、天衣無縫のスティーブ・ジョブズか、優等生のビル・ゲイツか、みたいなイメージ)
しかし、明菜ちゃんには、あのような出来事があり、それから数十年後、聖子ちゃんにはあんな出来事がありました。
記者会見で憔悴しきった聖子ちゃんの姿を見た時、若い時分に優劣を競い合うことが、いかに無意味で、馬鹿馬鹿しいかということを、痛感せずにいられませんでした。
人生もここまで来たら、上も下もないし、昭和のベストテンでトップを走っていたからといって、それがどれほどのものかと思い知らされたからです。
もし、あの全盛期、神様が「お前は数年後、こうなるよ」「お前は数十年後、こういう目に遭うよ」と告げていたら、二人とも、到底、生きてはいかれなかったでしょう。
そういう意味でも、あの二人は、バブル生まれの女子をいろんな意味で啓蒙してくれたし、バブル期の異様な女の争いに終止符を打ってくれた、という気がしないでもないです。
また、そういう宿命の元に生まれた人たちなのかもしれません。
今も、それぞれのポジションでマイクに向かい、往年のヒット曲を新たなスタイルで熱唱している姿を見ていると、もはや聖子派、明菜派もなく、独身の子も、既婚の子も、キャリア組も、専業主婦も、「私たち、けっこう頑張ったよね」と心の底から思えるのではないでしょうか。
結局、渚に白いパラソルもなく、薔薇のTATOOのように熱烈に愛してくれる人もなく、平凡な一市民として、すでに棺桶に足半分を突っ込んでいる今、ただただ思うのは、青春時代のピュアな夢や情熱こそが、本当の意味で、人生を彩ってくれる……ということです。
聖子ちゃん
おまけの聖子ちゃん
一世を風靡した、聖子ちゃんカット。女子中高生がみなこのヘアスタイルを真似た。
無理にレイヤーを入れるので、聖子ちゃんカットで枝毛になった子も多い、とかいう話を聞いたことがあります。
私のクラスの4割ぐらい、このヘアスタイルでした。