『愛』が欲しい ~飯島愛の「プラトニック・セックス」より

父の躾は厳しかった。

例えば、食事中はお茶わん、箸の持ち方に始まり、テーブルにひじをつくと、容赦なく手が飛んできた。

もちろん、食事中にテレビを見せてもらったことなんかない。

「今日の夕食は何かな」なんて、楽しい想像をしたことすらない――。

飯島愛ちゃんの自伝『プラトニック・セックス』から抜粋を紹介。

淋しい少女時代から最後の日まで愛を求め続けた愛ちゃんの切実な気持ちが伝わってくる良書。突然の死に寄せた哀悼記事です。

目次 🏃

飯島愛ちゃんという女性

2000年、一大ブームとなった、飯島愛ちゃんの『プラトニック・セックス PLATONIC SEX (小学館文庫)』は、あまたのタレント本とは一線を画したものでした。

少女時代のコンプレックス、両親との不和、家出、AV出演、異性関係などが赤裸々に綴られ、ティーンの心を鷲掴みしました。

思えば、当時はギャルの時代。

バブル期のOLブームから女子大生ブーム、90年代の女子高生ブーム(アムラーやガングロ)を経て、本書で一応の帰結を見たような気もします。

それまで、いろんな女性タレントが登場しましたが、キャラクター性において、性産業出身の愛ちゃんに勝る存在はなく(今では当たり前のように表に登場しますが、当時はまだまだ日陰の存在であり、タブーでした)、非行少女とも、ポルノ女優とも違う、不思議な輝きがあったからです。

ひと言で言うなら、怖い物知らずとでも言うのでしょうか。

有名な男性文化人も、ひと言でぶった切るような迫力があり、それも格好を付けてやっているのではなく、元々、頭のいい女の子が家庭内に居場所を無くして、裏街道を放浪していたところ、たまたま運命の矢が当たって、世に出てきたという感じ。

馬鹿でもなく、作られたアイドルでもなく、ありのままに生きていたら、突然スターになって、なおかつ、そんな自分を遠い目で見ているクールさが、かえって、一般女性の共感を呼んだのではないでしょうか。

今でこそ「セクシー女優」という呼称で、市民権も得ていますけど、愛ちゃんの時代はとんでもない話だったし、まして、お茶の間のアイドルなど天地がひっくり返るような話。にもかかわらず、決して卑屈にならず、トーク番組でも堂々と自分の意見を述べて、本当に潔い人だったなとつくづく思います。

*

そんな愛ちゃんの『プラトニック・セックス』を手に取ったのは、ワイドショーでの発言がきっかけでした。

とある新興宗教の教祖が逮捕された時、信者から巻き上げたお金で豪遊したり、ブランド物を買い漁っていたことが、けっこうセンセーショナルに報じられたのですが、ある男性コメンテーターが「教祖なのに、ブランドものとか、信じられないですよね~」と揶揄した時、愛ちゃんがひと言、「ブランドものは、いいんじゃないの」とばっさり。

それまでブーブー批判していた人たちも、一斉に口をつぐんで、これは脚本ではなく、本当に言ってるんだなと痛感した次第です。

確かに、信者から不当にお金を巻き上げ、教義とは真逆に豪遊する生き方は、決して褒められたものではないですが、金持ちがブランド物を身に付ける事自体は、そこまで責められるものではない、そんな事まで、庶民感情で非難していたら、かえって、妬み僻みと取られて、みっともないというのはあると思います。

愛ちゃんの真意がどうあれ、ひと言で周りを「はっ」とさせる鋭さは彼女ならではだし、あまたのアイドルとはひと味違う、というのを感じました。

ビジネス誌に連載していたコラムも面白かったですし、もう二度と、あれほど多彩な能力とカリスマ性を備えたセクシー女優は出てこないでしょう。

でも、一番のポイントは、業界の闇の部分を知った上で、(愛ちゃんみたいになりたい、という女の子に対し)、「みんな、私みたいになっちゃダメだよ」と呼びかけていた事でしょう。

汚れた部分は覆い隠して、「あなたもやれる、大丈夫」なんて、決して無責任に言わなかった。

それだけでも、彼女は元々、常識人であり、バランスの取れた人だったと分かるんですね。

自叙伝『プラトニック・セックス』

以下、『プラトニック・セックス』の一部を紹介します。

興味のある方は、ぜひご一読ください。

父の躾は厳しかった。

例えば、食事中はお茶わん、箸の持ち方に始まり、テーブルにひじをつくと、容赦なく手が飛んできた。もちろん、食事中にテレビを見せてもらったことなんかない。「今日の夕食は何かな」なんて、楽しい想像をしたことすらない。

夕食中は、父と母に向かって、今日一日を報告するのが決まりだった。

父、母、弟二人と私の五人でテーブルを囲み、今日の学校での出来事、勉強のことや先生のこと、友達のことなどを、両親と話をする。傍目から見れば、よくできた家族。一家団欒の風景。でも、何を喋っても怒られるような気がしていた。学校で縮こまっていた私に、特別に報告するような出来事なんてない。

「今日、学校どうだった」
「別に……」
「何か変わったことはなかったの」
「別に……」

私のいつもの台詞。それだけ口にすると、父と目を合わさないように無言で箸を動かす。

私は食事中に楽しく笑った記憶が少ない。ただ、好きなテレビ番組が見たい一心で、食事はさっさと済ませようと心がけていた。

笑わない父の隣で、口数の少ない母はいつも目を吊り上げていた。母からすれば子供たちが叱られるということは、遠回しに「お前の教育がなっていない」といわれているようなものだった。

「あなたのためだから、あなたのためだから」

ほんとうにそうだろうか。でも、それが母の口癖だった。

あれは小学四年生の頃だった。
その頃、どうしても友達と見に行きたい映画があった。たしか、アニメ映画の『白鳥の湖』。どうしても行きたいけど、親にお願いしても絶対に許してもらえない。友達とだけで街に遊びに行くなんてもっての他だった。そんなことはいわゆる不良のすることだった。

でもどうしても行きたい。その衝動を抑えきれずに、内緒で見に行ってしまった。
結局親にばれて、家に戻るなり母からはさんざん説教。
父が会社から帰ってくると、父からもこっぴどく叱られて、引っぱたかれた。頬を叩かれる。
一回、二回、三回。

「なんで行っちゃいけないの」

泣き叫んで抗議するが、応える代わりにまた、手が飛んでくる。涙のおかげで、父の形相も私がいる世界も見えなくなった。叩かれている音だけが聞こえる。

なんで叩かれてるんだろう。そればかり考えていた。

夜、枕に顔を埋めて泣いた。

「絶対、中学生になったら家出する」

心の中で声にならない叫び声をあげた。

あるとき、数学で九十点を取った。私にとって数学は昔から苦手科目。先生から答案用紙を受け取った瞬間、「やったー」と心の中でガッツポーズした。私はそのテストを大切に折りたたんでカバンにしまうと、小躍りするように家に買った。今度はきっと、ほめてもらえる。

「お母さん、聞いて、聞いて。数学で九十点とったよ」
「山口さんは何点だったの?」
「……」
「四問も間違えているじゃない。どうしてできなかったの」
「山口さんはどうせ百点だったんでしょ」
「……」

できないのは自分が一番わかっている。
「あなたの努力が足りない」
母はいつもそう私に言い続けた。
精一杯努力したのに……。

私は、ただほめてもらいたかった。
父に、母に、一言「がんばったね」といってもらいたかった。

家に帰るのは、どこかで警察に捕まったときだ。署まで連行され、「私の記録」という始末書を書かされる。ウサギのように真っ赤な目をした母親が、私を引き取りに訪れ、私は家に連れ戻される。

「あんたって子はどうして、どうしてなの? 私の育て方は間違ってないのに、なんでこうなるの? なんでなの。ねえ、どうしてなの?」

実家に連れ戻されると、涙を流し続ける母から、何度も頬を叩かれる。
母はそのたびに友達の名前を出してきてはなじった。
「智絵ちゃんみたいな、水商売やってるお家の子と遊ぶからこうなるのよ。あんな子と遊ぶからあなたがおかしくなる。もう智絵ちゃんと友達をやめなさい。いいわね!」

一番腹の立つ説教だった。片親で淋しい日々を送る智絵の心の叫びを知っている。
母子家庭で母親が水商売だからと、いじめられた友達の涙を知っている。
親がどんな商売をしていようと、親がいなかろうと、どんな家庭だろうと、そんなことを言われたくない。みんな大切な私の仲間だ。

母にはそれがわからない。わかろうとも思ってはいない。わかっているのは世間体と体裁を繕うことだけだ。
父が帰ってくると、また殴られる。

母は二十三歳でこの家に嫁ぎ、今の私と同じ二十四歳で私を産んだ。
まったく友達も知り合いもない東京に、四国の田舎から一人嫁ぎ、歯を食いしばってきたのだ。
右も左もわからない。エリート揃いの親戚に囲まれ、亭主関白の父は、母が自分に従って当然と思っている。

私の失敗は母の失敗だったはずだ。すべての私の教育をまかされ、祖父の面倒もまかされ、息抜きをする場所もグチる友達もいないまま、嫌な思いをたくさんしてきたはずだ。
でも、とうにかお利口さんの優秀な人間に成長してほしいと思う気持ちとは裏腹に、私は育っていく。ことあるごとに母はその責任を責め立てられていたのだ。

母の眉はいつも吊り上がり、その目でいつも私を睨んでいた。私はずっと「睨まれていた」と思っていたが、彼女はいろんな周囲のプレッシャーと孤独感に、目を吊り上げずにはいられなかったんだ。私が非行に走ったことで、父からも周囲からも責められたはずだ。彼女はずっと独りでずっと戦ってきたんだ。目を吊り上げた必死の形相で。穏やかな顔などしている間もなかったんだ。それなのに私は……。

「ごめんなさい……」
自然と言葉がこぼれた。
「ごめんね、お母さん」
「どうしたの?」
「大変だったんだよね。私にはきっと耐えられない。お母さんが私を産んだ年になって、初めてわかった。それなのに、私、ずっと恨んでいた。でもね、私もつらい思い、してたんだよ。お母さんにほめてもらいたいって、ずっと思ってたんだよ」
なぜだろう、涙が止まらない。頬があたたかい。
「ごめんなさい。謝るのはお母さんの方よね。ごめんなさい。私が間違っていた……」
これまで「私の育て方は間違っていない」としかいわなかった母が、「間違った」──そう言っている。
「でもね、あの頃は本当に大変だったの。ごめんなさい、何を言っても言い訳ね」
「……」
母の嗚咽が聞こえてくる。

私はずっと母に愛されていた。二四年たって、私は初めてそのことに気付いた。

パパ、ママ、こんな娘でごめんね。

愛が欲しい ~自分で自分を愛せない少女たち

この本を読んで、彼女が男に弄ばれたのも、AVの世界に染まったのも、全て自業自得という見方をする人もあるでしょう。

しかし、少女の頃から、男に遊ばれたい、性を売り物にしたいと望んで生まれてくる女の子があるでしょうか。

援助交際をやっている子が、「身体を売ったところで、減るものじゃない。何が悪いの」とうそぶく事もありますが、彼女たちはお金と引き換えに、自尊心を磨り減らしていることに気付いていません。

自分で自分を愛せないから、いくらでも自分を汚すことができるし、自分を汚せば汚すほど、自己嫌悪に陥り、ますますどうでもよくなってしまうのではないでしょうか。

自分で自分を愛せないのは、自分に愛されるだけの価値があると思っていないからです。

幼い頃から、親に無視され、否定され、自分を抑え続けた結果ですね。

ところが、親の方は、こうした子供の「見せかけの従順」や「反抗する気力もなくした抜け殻」に気付かず、ますます子供を締め付けていきます。

そんな中で、子供はどうやって愛と幸福の実感を得るのでしょう。

『愛』という芸名は、十六歳の時、「みんなに愛される子になるように」とお店のママが付けてくれた源氏名だそうです。

『愛が欲しい』――それが愛ちゃんの求めた全てでした。

お金でも、人気でも買えないものを、ずっと探し求めて、三十六歳の若さで亡くなりました。

そんな年齢になっても、まだ親に「生きるのが辛い、家に帰ってゆっくりしたい」と打ち明けることができなかった事を思うと、居たたまれない気持ちです。(死因には諸説ありますが、最悪の結果になる前に、実家に帰る選択肢もあったでしょう)

世の中には、愛を嗤う人もありますが、愛なくして、人は生きていけません。

大人になってから、何を得ようと、どんな素晴らしい人と出会おうと、愛の原型は、子供時代、親との間にしか作れませんし、よほど努力して、人間関係の能力を磨かない限り、一生、虚しく終わってしまうのではないかと思います。

繰り返しになりますが、好んで、こんな生き方、死に方を選んで生まれてくる女の子はないですし、女の子にとって『愛』がどれほど大切か、理解していている人も少数という気がします。

もし、あなたの周りに女の子がいるならば、たくさん愛を与えて、安心させてあげましょう。

どんな時も、愛に飢えて、愛にさまよう、淋しい女にならないように。

(若い女の子は、それを彼氏に求めて、恋愛にも失敗するのです)

初稿 2010年5月15日

世界中がクリスマスで賑わう中、彼女のために泣ける人間が他にもう一人ぐらいいたっていいじゃないか……という気持ちで書きました。

誰かにこっそり教えたい 👂
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