ジェローム・ロビンスのバレエ『牧神の午後』
真澄とレオン ~パートナーの絆
ルシィの『ボレロ』を通して、モダンバレエの入り口が見えてきた聖真澄は、振付師ジョージ・バランシンのテスト演技で、レオンと『スコッチ・シンフォニー』を公演し、その可能性を十二分に見せつけますが、レオンの相手役はマージに決定してしまいます。
しかし、その場でレオンが「真澄が相手でなければ、踊りません」と公言したことから、レオンまでチャンスを失い、これからどうすればいいのか、不安に駆られた時、もう一人の名振付家、ジェローム・ロビンズから「君たちのペアの大きな可能性を見た。よければ、『牧神の午後』を踊ってみないか」とオファーを受けます。
二人は快諾したものの、モダンバレエという新たな踊りをめぐって、真澄とレオンの心はすれ違うばかり。
迷う真澄に手を差し伸べようとしないレオンに対し、友人のルシィは優しい気持で彼女に寄り添います。
真澄とルシィは恋に落ち、真澄はレオンから離れて、ルシィとパートナーを組もうとします。
しかし、ダンサーとして相性がいいのは、やはりレオンであり、真澄の心は、恋のパートナーであるルシィとレオンの狭間で激しく揺れ動きます。
そんな真澄の葛藤に気づいたルシィは、ダンサーとしての真澄を大切に想う気持から、ついには真澄を諦め、もう一度、レオンと踊るよう勧めます。
レオンとパートナーを組み直した真澄は、それまでの遅れを取り戻すように稽古に打ち込み、ついにニューヨークの晴れ舞台で成功を収めます。
「そうしてふと横を見ると、いつもかたわらに、あなたの姿を見つけるだろう……」
その時、語られるレオンへの気持ちが、物語の最終章、『永遠のパートナー』の巻でリフレインされます。
今はまだ、その愛と信頼に気づいてないけど、ダンサーとして、また人生の伴侶として、いつも傍らにいるのはレオンであることを真澄が予感する場面です。
SWANでは、レオンが真澄をリフトする場面が2ページ見開きで描かれ、迫力のある絵に仕上がっています。
動画は、ジェローム・ロビンズ振付の『牧神の午後』。
パリ・オペラ座バレエのアマンディーヌ・アルビッソンとユーゴ・マルシャンのダイジェスト版です。
激しい愛の表現ではないですが、魂の奥で結びつくようなパートナーシップが感じられます。
真澄とレオンの演技もこんな感じだったのでしょうね。
『牧神の午後』について
バレエ『牧神の午後』( L’Après-midi d’un faune / Afternoon of a Faun)は、マルラメの詩に触発されたニジンスキー初の振付作品です。
ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』にインスパイアされて、創作されました。
あるけだるい午後。
牧神は笛を吹いて、倦怠感をまぎらわせようとしています。
そこに沐浴に向かうニンフたちが通りかかります。
牧神は中の一人に関心を抱き、岩の上から降りて近寄りますが、ニンフは怖がって去っていきます。
牧神はニンフの残していったヴェールをかき抱きます。
1912年の初演の夜、シャトレ劇場は騒然となりました。古代ギリシャの絵を元にした逆さ歩行とポーズだけで構成された振付と、ヴェールを抱くニジンスキーの行為があまりにエロティックに映ったからです。
劇場の外でも否定的な批評と、それにタイする彫刻家ロダンの署名入りの反論(実際に原稿を書いたのは別人)など、激しい論争が始まり、一躍センセーションを巻き起こしました。
ニジンスキー振付『牧神の午後』
ニジンスキー振付の『牧神の午後』は、モダンバレエのロビンス版と異なり、ギリシャ神話の世界を忠実に再現しています。
『白鳥の湖』や『眠りの森の美女』のようなクラシックバレエに馴染みのある観客には衝撃的ですね。
こちらは、ロンドンのRamberのプロモーション動画。
バレエドラマのような演出で、牧神の動きや心象がより分かりやすいです。
ジェローム・ロビンズについて
SWANで、真澄とレオンに助け船を出す、ジェローム・ロビンスに関するプロフィールです。
ジェローム・ロビンズは、1918年、ニューヨーク生まれ。
1940年にアメリカン・バレエ・シアターに入団し、初めはダンサーとして活躍している。
1944年、バーンスタインの音楽に振付けた『ファンシー・フリー』で振付家としてでリュー、一躍注目を浴びる。
1949年、バランシンのいるニューヨーク・シティ・バレエ団に入団。『牧神の午後』『コンサート』『結婚』などを振付ける。
一時期、このバレエ団を離れるが、1969年に復帰し、『イン・ザ・ナイト』『ダンシズ・アット・ア・ギャザリング』『アザー・ダンシズ』などの傑作を次々と発表。
バランシンの死後、1983年から1990年まで同バレエ団の芸術監督を務めた。
ロビンズの名前は、バレエ・ファン以外の人にはミュージカル『王様と私』や『ウェストサイド物語』の振付家としてのほうが有名かもしれないが、彼が振付けたバレエ作品はすでに六十作以上におよんでいる。アメリカ・バレエ界を創設したのがバランシンなら、アメリカ的バレエを確立したのはロビンズと言えるかもしれない。
彼の作品は、第一に、エンターテインメントであるところがアメリカ的である。陽気で明るい作品も、静謐で抒情的な作品も、ともに明快な演出で親しみやすい。この点では「ブロードウェイ的」と言ったほうがよい。
第二に、フロンティア精神にあふれているところがアメリカ的である。ダンス・クラシックの技法に基礎を置きながら、伝統的なバレエから遠く離れることを恐れていない。各国の民族舞踊やモダンダンス的な動きを取り込むことに積極的である。
こちらは、ジェローム・ロビンズのバイオグラフィーです。
字幕が出るので、興味のある方は自動翻訳で楽しんで下さい。
こちらが有名な『ウェストサイド物語(1961年)』のダイジェスト版。
群舞に躍動感があって、目が釘付けになります。
ジョージ・バランシンについて
真澄を悩ませるジョージ・バランシンに関するプロフィールです。
ジョージ・バランシンは1904年、サンクトペテルブルクに生まれ、1913年、帝室バレエ学校に入学。
1924年、ディアギレフに誘われてロシア・バレエ団に入団し、振付家として活躍。
ディアギレフの死後、アメリカに渡り、1934年、スクール・オブ・アメリカン・バレエを設立。
これが発展して、1948年、ニューヨーク・シティ・バレエ団が結成される。
アメリカ・バレエ界の創設は、間違いなくバランシンの功績だった。
1983年、ニューヨークで死去。
1910年代、西欧美術界に登場した抽象絵画は、絵画から物語性(意味づけ)を排除し、色彩と形象のみによる純粋な絵画表現を目指した試みだった。これに少し遅れて活動を始め、生涯掛けてバレエにおける抽象主義を追及したのがジョージ・バランシンである。
彼はバレエから物語性を排除し、音楽とダンサーの運動のみによる純粋なバレエ表現を試み、舞踊の新しい時代を呼び覚ました。
バランシンの振付けた舞台は、物語性の欠落ゆえにしばしば幾何学的、記号的であるが、ダンス・クラシックの技法にあくまで忠実で、けっして機械的あるいは非人間的ではない。キン整備を徹底させた彼の振付は物語を超えて美しい。
代表作は、ロシア・バレエ団の時代に制作した『アポロ』『放蕩息子』、渡米後に制作した『セレナーデ』『カード遊び』『水晶宮(シンフォニー・イン・C)』『テーマとヴァリエーション』『アゴン』『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』などがある。
輝くような衣装と踊りが美しい、『Jewels (Ballett in three parts)』。
エメラルド、ルビー、ダイヤモンドの三部作です。
エメラルドはこちら https://youtu.be/9sMx4AtM8Gg
ダイヤモンドはこちら https://youtu.be/8ArLbpD38sc
バランシン振付による『くるみ割り人形』の『花のワルツ』。
お菓子の国のような愛らしさです。
こちらは幻想的な演出が美しい『セレナーデ』
動画を見る限り、真澄にも踊れそうなのですが、、、
初稿 2010年4月30日