漁師が川で漁りしていた。まず、流れの両側に差し渡して網を張っておき、紐にくくりつけた石で水を打った。不意をつかれて逃げる魚が、網にかかるという寸法だ。
ところが、これを見ていた近所の住民が、川を濁し、澄みきった水を飲めなくするものだ、と文句を言うので、漁師は答えて、
「しかし、こうやって川をかきまぜないと、俺さまが飢え死にせにゃならん」
このように国の場合でも、扇動政治家は祖国を内紛へと誘導する時、最も力を発揮するのだ。
ところが、これを見ていた近所の住民が、川を濁し、澄みきった水を飲めなくするものだ、と文句を言うので、漁師は答えて、
「しかし、こうやって川をかきまぜないと、俺さまが飢え死にせにゃならん」
このように国の場合でも、扇動政治家は祖国を内紛へと誘導する時、最も力を発揮するのだ。
昔、ジョン・レノンが歌っていた。「すべての人々が平和に暮らしている姿を想像してみよう」と。
でも、そんな日は永遠に来ないことを私たちは知っている。
人間が愚かだから、ではなく、平和になったら困る人たちが少なからず存在するからだ。
絶えず争いの種を蒔き、動乱の影で漁夫の利を得るものがいる。
私たちは、さながら網にかかった魚のように、バタバタと藻掻くだけ。
運悪く網に捕らえられたら死ぬしかないし、たとえ網から逃れても、川が汚れては生き延びようがない。
では、どうするか。
どんな時も、本物の敵を見抜くこと。
混乱を栄養にして肥え太るものに注意を払うこと。
慌てて、さざ波を大きくしないこと。
もともと、平和とは退屈なもの。
そんな平和に倦まないこと。