作品の概要
ウエスト・サイド・ストーリー(2021年) ー West Side Story (金がすべて)
監督 : スティーヴン・スピルバーグ
主演 : レイチェル・セグラー(マリア)、アンセル・エルゴート(トニー)、アリアナ・デボーズ(アニータ・ベルナルドの恋人)デヴィッド・アルヴァレス(ベルナルド・シャークスのリーダー)
本作はブロードウェイ・ミュージカルの傑作『ウエスト・サイド物語』、および1961年制作の映画『ウエスト・サイド物語』のリメイクである。(リンクはWiki)
あらすじは、シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』をベースにしており、対立する二つのグループ、若い二人の許されざる恋、バルコニーの愛の囁き、決闘、運命のすれ違いなど、古典文学の世界を踏襲している。
あらすじ
都市開発の進むニューヨークのウエストサイドでは、白人の底辺層が組織する『ジェッツ(ジェット団)』とプエルトリコ移民の『シャーク団』が縄張り争いを繰り広げていた。
シャーク団のリーダー、ベルナルドは気風のいい男で、ボクサーとして活躍する一方、情熱的な恋人アニータと同棲し、妹マリアを大切に慈しんでいる。
ベルナルドはマリアに入団を希望する好青年チノを紹介し、アニータと共にダンスパーティーに参加するが、マリアはハンサムなトニーと一目で恋に落ちる。
トニーは、ジェッツのリーダー、リフの親友だ。以前、喧嘩相手に半死半生の重傷を負わせて逮捕され、仮出所中の身だが、現在はプエルトリコ移民のパレンティーナが経営するドラッグストアで真面目に働いている。リフは、もう一度、ジェッツに戻るよう説得するが、トニーはやんわり断り、マリアとの幸せな未来を望む。
しかし、ジェッツとシャーク団の決闘の最中、リフがベルナルドに刺されて絶命すると、トニーは逆上してベルナルドを刺し殺してしまう。
事実を知ったマリアは深く嘆くが、トニーを信じ、二人で遠くに逃げようと誓う。
だが、恋人ベルナルドを失ったアニータは、ジェッツ団に辱められたことで考えを変え、マリアがチノに射殺されたという『嘘』をトニーに伝える。
マリアが死んだと勘違いしたトニーは、チノに「オレも殺せ!」と呼びかけ、拳銃を手にしたチノと向かい合う……。
見どころ
なぜ今頃になって、スティーブン・スピルバーグは往年の名作『ウェストサイド物語』を手がけたのか。
それは「移民問題」が根底にあり、いつ明けるとも知れない不安と対立を描いているからだ。
プエルトリコの若者は希望を抱いてアメリカに移り住み、現地で生まれ育った底辺の白人青年は、一大勢力となったプエルトリコ人に押されて、社会的にも、精神的にも、居場所を失いつつある。
こうした背景は、CINRA『60年前の作品を今なぜ?『ウエスト・サイド・ストーリー』が孕む社会問題、スピルバーグの挑戦』でも詳しく紹介されているので、興味のある方は一読されたい。
1950年代のアメリカは経済的にも、文化的にもひとつの黄金期を迎える一方で、50年代半ばから60年代にかけて公民権運動が巻き起こり、人種差別の撤廃に向けて揺れ動く激動の時代だった。もともとスペインの植民地であったプエルトリコがアメリカの自由連合州となり、内政自治権を獲得して半独立状態となったのは1952年のこと。なお、構想段階では、対立するのはユダヤ教徒とカトリック教徒という設定であったことも知られている。
初演は1957年(原案・ジェローム・ロビンズ、脚本・アーサー・ローレンツ)とはいえ、問題の本質は全く変わっておらず、むしろ、プエルトリコ以外の人種も多様に入り乱れ、事態をいっそう複雑にしている。
本作の肝は、誰もが幸福な未来を夢見ているが、それぞれが立場にこだわり、最後は銃(暴力)によって悲劇的な結末を迎える……という点だろう。
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』では、息子・娘の悲劇を目の当たりにしたモンタギュー家とキャピュレット家が、ヴェローナ太守の仲裁のもと、互いに手を取りあう。
だが、『ウエスト・サイド・ストーリー』にあるのは、どうしようもない現実だけだ。
本作では、ヴェローナ太守の役回りをクラプキ巡査とシュランク警部補が演じているが、ジェッツ(=白人社会)とシャーク団(=プエルトリコ移民)が手を取りあうことはなく、いずれ法によって裁かれるのが明白である。
そして、その恨み辛みは未来に持ち越され、大勢の夢と犠牲を土台として、都市だけが大きく発展していく。
ロマンティックな歌唱とは裏腹に、これほど苦い思いのする作品もまたとないのではないか。(映画の出来映えは上々でも)
だが、スピルバーグはそこで終ってない。
結末とは別に希望の余地を残している。
果たして、トニーとマリアが愛を込めて歌う『トゥナイト(今夜)』に幸福な朝は訪れるのか。
それは、スピルバーグ版のエンディングを見れば、一目瞭然ではないだろうか。
永久に訪れない朝と今宵の愛を歌う『トゥナイト』
『トゥナイト』の魅力と日本語歌詞
本作で一番印象的なのは、戯曲『ロミオとジュリエット』の有名なバルコニーの場面を模した二重唱『トゥナイト』だろう。
映画では、貧しい集合住宅の非常階段で逢瀬を楽しむが、恋する二人が歌うと、みずぼらしいスチール製の階段も天使の梯子のようにロマンティックに見える。
一方で、安普請に暮らす庶民の現実を映し出し、抜け出す先がないのは、プエルトリコ移民も底辺の白人青年も同じだ。
そんな不幸な境遇にあっても、恋する二人は、いつか訪れる幸せな日々を夢見て、高らかに二重唱(デュエット)を歌う。
アマゾン・プライム動画の日本語歌詞は次の通り。
トゥナイト
あなただけ 私の瞳に映る
永遠に
何を見ても言っても
何をしても
すべては あなただけ僕には君しかいない
見えるのはマリアだけ心に想うのは君だけ
どこへ行こうとも世界は あなたと私
トゥナイト 今夜
すべてが始まる
あなたと出逢い 世界が変わるトゥナイト 今夜
すべては あなただけ
その姿 その仕草 その言葉今日は予感がしてた
奇跡が起きると
今 その通りになった
出会えた今
この世界は光る星に変わった今夜
トゥナイト 今夜
気づけば まばゆい世界
太陽と月の光に包まれたトゥナイト
今夜 なんて いとしい世界
狂おしく巡り
空に火花が散る今日まで世界は ただの場所
住むだけのもの ただ平凡にでも出会えた今
二人の光る星に変わった
トゥナイト(今夜)
こちらは1961年版の『Tonight』。
アングルなどが、舞台劇『ロミオとジュリエット』の世界観を踏襲しており、目と目を見交わす恋の演技も素晴らしい。
主演のナタリー・ウッドは、上品なお嬢様風で、よりジュリエットに近いイメージ。
永久に明けない夜と希望のエンディング
若い二人は繰り返し『トゥナイト(今夜)』と歌うが、今夜は全ての始まりに過ぎない。
若い二人が見つめているのは、その次に訪れる幸福な朝である。
だが、二人の『今夜』は永久に明けることなく、悲しみの中で幕を閉じる。
だから、余計で二人の歌う『トゥナイト』が切なく胸に響くのだろう。
トニーは、マリアと幸福な未来に向かって歩きだそうとするが、銃(暴力)がその機会を永久に奪った。
下手人はチノであり、理性をなくしたベルナルドとリフだが、原因を作ったのは、彼らに無責任に銃を与えた飲み屋のオヤジ(大人)である。
見た目は大人でも、中身は子供な彼等に銃を与えればどうなるか、常識人なら容易に想像がつくだろう。
だが、オヤジたちは、むしろけしかけるように銃を与え、悲劇の引き金を引いた。
凶器は真面目なチノを豹変させ、一発で二人の夢を奪い去る。
このあたりの描写は、戦争映画『シンドラーのリスト』のスピルバーグらしく、武力の虚しさを感じさせる内容に仕上がっている。
ラスト、「あと何発の銃弾が残っているの?」と問いかけるマリアの台詞も、スピルバーグの手にかかると、まるで『ミュンヘン』のようだ。(イスラエル諜報特務庁とテロリストの攻防を描いたスパイ映画の傑作)
実際、移民問題を激化させているのは銃社会に他ならない。
隣人が、学生が、警官が、怒りにかられて引き金を引くことで、どれほど多くの人命が失われたことか。
今や移民問題は社会を二分し、内戦が勃発するのではないかというところまで来ている。
スピルバーグ監督が、今更のように、往年の名作をリメイクした所以であり、トニーとマリアの恋はさながら米国の未来のようでもある。
物語は悲劇的な結末を迎え、二人が夢見た朝も永久に訪れることはないが、人間もそこで終わりではない。
スピルバーグ監督が本当に伝えたかったことは、このエンディングに凝縮されている。
陽が昇り、二人が生きた街角を明るく照らし出す映像を見ていると、それでも諦めない米国民の願いと希望を思わずにいられないのである。
色彩が美しい 圧巻の群舞『アメリカ』
本作の最大の見どころは、アカデミー助演女優賞に輝いたアリアナ・デボーズ(アニータ)がリードを務める群舞『アメリカ』だろう。
マリアの兄・ベルナルドの恋人で、希望に満ちたプエルトリコ移民を演じるデボーズの踊りは、真夏の太陽みたいに溌剌としている。
画面全体の色彩も素晴らしく、60年代のレトロな町並みに、現代的な踊りが生き生きと映えて、アンディ・ウォーホルのポスターみたいだ。
デボーズは鮮やかな黄色のドレスに身を包んでいるが、内側に真紅のチュールを重ね、足を上げる度にちらちら見えるのがいい。
これぞラテン系という振付で、衣装、音楽、美術、全てがパーフェクトだ。
歌詞は、自由で豊かな国・アメリカに暮らすアニータの心意気を歌っており、何だかんだで故郷プエルトリコに帰りたがっている恋人ベルナルドとは対照的である。
だからこそ、夢を裏切られ、「私はプエルトリコ人だ! 好きでアメリカに暮らしていると思ってるの?!」と言う台詞が胸を打つのだろう。
ちなみに、1961年版はスタジオでの群舞だが、スピルバーグ版は町並みを大胆に使って、プエルトリコ移民の希望と喜びをダイナミックに表現している。
群舞の後の出演者の歓喜も本物だろう。
会心の作の手応えが観客にも伝わってくる。
ベルナルドを演じたデヴィッド・アルヴァレスも知名度は今一つだが、優しさと激しさを備えたラテン系の伊達男をクールに演じている。踊りも安定感があって、アニータの溌剌とした踊りを引き立たせている。
1961年版の動画はこちら。
スピルバーグ版に比べたら、地味で、舞台も質素だが、アニータを踊るリタ・モレノは、ちょっとハスッパな中にもクラシックの素養があり、激しく踊っても、どこかエレガントを感じさせる。ヒールを履いた足首の美しさや、基本に忠実なステップも素晴らしい。
Wikiによると、『史上16人しかいないアカデミー賞、トニー賞、グラミー賞、エミー賞の4賞受賞者』とのこと。
アマゾン・プライムの日本語歌詞はこちら。
プエルトリコ すてきな島
南国の風が そよと吹く
一年中 パイナップルが有る
コーヒーの花が甘く香るでも借金まみれ
赤ん坊は泣き叫び
人々は汗水ここが最高 マンハッタン
だよね
つべこべ言ってもムダ
ここが好き アメリカ
不満はない アメリカ
自由の国 アメリカ
金がかかる アメリカカードで買い物
移民をボッタクリ一家に一台 洗濯機
洗う服 ないのに?摩天楼 アメリカ
キャデラック アメリカ
産業発展 アメリカ
12人 ひと部屋 アメリカ”立ち退き 反対”
新築の広い家
移民にはドア 閉ざすテラス付きが望みよ
まず訛りを直せ輝く人生 アメリカ
戦えれば アメリカいい暮らし アメリカ
白人だけさ アメリカ自由と誇りが持てる
立場を越えなきゃな
何だってできる
ウェイトレスと靴磨き公害だらけ アメリカ
組織犯罪 アメリカひどい所さ アメリカ
でも住んでる アメリカ故国へ帰ろうか
船を手配してあげる
バイバイ
きっと大歓迎
みんな こっちにいる
『アメリカ』が好きな人は、こちらの動画も楽しんで欲しい。
1961年版とスピルバーグ版をミックスしたファン動画。それぞれの特徴が一目で分かる編集になっている。
スピルバーグ版のメイキングはこちら。1分35秒のショートビデオです。
West Side Story – Cast 2021 – Making of America (From “West Side Story”)
恋する気持ちを謳う 『マリア』
私のお気に入りは、恋に落ちたトニーが恋情たっぷりに歌う『マリア』。
歌詞も美しく、恋する者にしか表現できない歌の世界がある。
マリア
何て美しい響きだろう
マリア マリア マリア宝石のように美しい ひと言
マリア マリア マリア
たった今 出逢ったマリア
その名の意味は永遠に変わった
マリア
たった今キスした
マリア不意に気づいた そのすばらしい響き
大きく叫べば音楽のよう
ささやけば祈りのようマリア 呼び続けていたい
マリア 何て美しい響きだろう
スピルバーグ版では、『たった今キスしたマリア』で、清掃員のオジサンとすれ違うが、これは決して「若さ VS 老い」の現実を突きつけるものではない。「こんなオジサンにも、君のように輝く青春があったんだよ」という優しい眼差しである。
どんな美しい若者も、いつか老いて、オジサンになるのだから、若いうちに人生を楽しめ、というエールでもありますね。
1961年版の『Maria』はこちら。
スピルバーグ版に比べて、歌唱がオペラチックです。
トニーとマリアの出会い 『Love At First Sight』
トニーとマリアが出会う場面も、『ロミオとジュリエット』の世界観を踏襲している。
シェイクスピアの戯曲では、ジュリエットが婚約者パリスとダンスを踊った後、仮面を付けたロミオに誘われて、スローモーションのように恋に落ちるが、映画では、目と目が合って、群舞の中で静かに向かい合う。
1961年版は、全体的にクラシック・バレエの趣があるのも、アメリカン・バレエ・シアターやニューヨーク・シティ・バレエ団でバレエダンサーとして活躍した振付家ジェローム・ロビンズの趣向だろう。
ちなみに、クラシックバレエの『ロミオとジュリエット』の出会いの場面も、こんな感じである。
スピルバーグ版は、下記『マンボ』の動画を参照のこと。
ラテン系のエネルギーが爆発する 『マンボ』
体育館でのダンスパーティー。
プエルトリコのシャーク団はラテン系の暖色、白人グループ・ジェッツはエメラルドグリーンと黒のコンビネーションで、色彩の対比が見事。
クラシックなサークルダンスから一点、マンボのリズムに乗って、情熱的な群舞が繰り広げられる。
白熱する中、トニーとマリアは目を見交わし、二人だけの空間に移動する。
スピルバーグ版のトニーも最初見た時は少し違和感あったけど、改めて見直すと、現代的な映像にマッチしている。
ここでもアリアナ・デボーズのアニータが圧巻だ。
1961年版。
ダンスの決闘みたいな演出がよい。
プエルトリコ移民チームは闘牛士のように。白人チームはゴーゴーダンスのように。
アニータを演じるリタ・モレノは、とにかく足が綺麗だ。
ダンサーの良し悪しは、つま先を見れば分かる。
恋と憎しみが交錯する 運命の『トゥナイト』(四重唱)
本作で『アメリカ』に次いで心に残るのが、決闘の前、それぞれの立場から歌われる四重唱(Quartet)の『トゥナイト』だろう。
トニーとマリアの願いも空しく、ジェッツとシャーク団はそれぞれの勝利を信じて決闘の場に向かう。
一方、アニータは愛によってベルナルドの心を和ませようとし、トニーとマリアは『トゥナイト(今夜)』の次に訪れる幸せな朝を願う。
さすがクラシック音楽の大家、レナード・バーンスタインが作曲を手がけただけあって、それぞれの思いが四重唱になって交錯する様は圧巻だ。
運命の夜に向かうそれぞれの立場と気持ちが、壮大なシンフォニーとなって胸に迫る。
こういうスコアは、がちでクラシック音楽を勉強した人にしか書けない。
ワーグナーにも、こういうのよくある。
この場面は、それぞれのカットも素晴らしい。
動画は、1961年版とスピルバーグ版を掛け合わせたファン動画。クオリティの高さに目を見はる。
都会のギャングをスリリングに描く『クール -Cool』
トニーが銃を手にしたリフを説得する場面で歌われる『クール -Cool』もスリリングな名曲。
スピルバーグ版は、都会のジャングルで争う二匹の野獣という趣だが、1961年版はよりミュージカルらしい演出になっている。
音楽のアレンジも、スピルバーグ版は、よりブラスが響いて、都会的なサウンドに仕上がっている。
動画は著作権の都合か、エスパニョールの字幕入りしか出ていません。見づらいですが、概要は分かると思います。
1961年版。
地下駐車場での群舞に触発されて、マイケル・ジャクソンが音楽史に残るMusic Clip、『Beat It !』を制作したのは有名な話。YouTubeで視聴 https://youtu.be/oRdxUFDoQe0
その他の動画
その他の楽曲については、リンクを参照のこと。
● Jet Song (冒頭の男性群舞)
スピルバーグ版 https://youtu.be/yQSikOX7whs
1961年版 https://youtu.be/c9z33lasnkU
● Something’s Coming (トニーが「何かいいことがありそう」と歌う)
スピルバーグ版 https://youtu.be/eolLcLbkZTQ
1961年版 https://youtu.be/FOQPMjKLQQU
● Gee, Officer Krupke (警察署に呼び出されたシャーク団の群舞)
● I Feel Pretty (トニーと結ばれたマリアが幸せな気持ちを歌う)
スピルバーグ版 https://youtu.be/Fpdw3K9mD2s
1961年版 https://youtu.be/RgHtBxOs4qw
● Somewhere(決闘の後、トニーとマリアの二重唱)
スピルバーグ版 https://youtu.be/5StI6q0TP0Y
1961年版 https://youtu.be/_SQ4ogstDVE
● Mike Faist as Riff (リフを演じたマイク・フェイストのトリビュート)
スピルバーグ版 https://youtu.be/oln-MdkOcy8
● David Alvare - Scene Pack (ベルナルドを演じたデヴィッド・アルヴァレスのトリビュート)
● Ariana DeBose -Scene Pack (アニータを演じたアリアナ・デボーズのトリビュート)
● West Side Story Movie Behind The Scenes
(映画全体の舞台裏。スピルバーグのコメント、練習風景など。約8分のショートビデオ)
【コラム】 それでも人生は美しい
スピルバーグ監督も、若い世代にトップの座を譲り、後は悠々自適、生きながらにレジェンドになるかと思われたが、『激突(逆上した大型トラック運転手に執拗に追っかけられる話)』『ジョーズ(人食い鮫との死闘)』『E.T(異星人と少年の交流を描いた感動ドラマ』『インディ・ジョーンズ』『シンドラーのリスト(第二次大戦時ナチス・ドイツからユダヤ人を救った話)』等々、1970年代よりスピルバーグ作品に親しんできたファンにとっては久々の嬉しいヒット作だった。
2010年代になってからは、『リンカーン』『ブリッジ・オブ・スパイ』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』など、重めの政治ドラマが続き、『レディ・プレイヤー1』で、多少、原点回帰したものの、その後しばらくは音沙汰なかっただけに、『ウエスト・サイド・ストーリー』は素晴らしいサプライズとなった。
まさかスピルバーグが昭和のミュージカルをリメイクするとは夢にも思わなかったし、やるとすれば、バズ・ラーマンあたり……というイメージがあったからだ。
それに、今さらこの名作をリメイクする意義も分からず、『ロミオとジュリエット』みたいな古典的な恋愛ドラマが今時の若者に受け入れられるのかという懸念もある。
しかし、色彩感あふれる群舞と象徴的なエンドロールを見るうち、スピルバーグ監督が、今、この時代にリメイクを手がけた意味も分かったような気がする。
世界中で深刻化する移民問題はもちろん、社会全体を覆う閉塞感、救いようのない貧困と絶望、人の心を蝕む銃(暴力)など、我々が直面する問題は、元祖『ウェストサイド物語』が公開された1961年と、根本的なところで何も変わらないからだ。
むしろ、問題は過激さを増し、庶民をいっそう孤独と絶望に追いやっている。
そんな中、トニーとマリアは古典的に出会い、古典的に恋に落ち、古典的に結ばれる。
また、その最後も古典的だが、昨今の、お寒い恋愛事情とは大違いだ。
貧しいながらも、星は二人のために輝き、世界中が二人の明日を祝福している。
パートナーはおろか、異性をデートに誘うことさえ難しい現状において、トニーとマリアの恋はさながら聖画像(イコン)のようだ。
どこまでもピュアで、突き抜けるような熱情が、若者世代にも好感をもって受け入れられたのだろう。
amazonレビューでも、イヤミより賞讃の方が圧倒多数を見るにつけ、この世もまだまだ捨てたものではないと痛感する。
銃を手に意気がるリフと同じ、クールを気取っても、心の底では、まだ愛を諦めてはないし、真の美しさも知っていると。
トニーとマリアの恋は、夜明け前に潰えてしまう、儚い夢とはいえ、スピルバーグは決して世界を否定してないし、現実社会を諦めてもない。
むしろ、トニーとマリアのように、『今宵(トゥナイト)』を全力で生きろと励ましているように感じる。
そうした主張を、主人公に声高々に語らせるのではなく、エンドロールにそっと織り込むのがスピルバーグらしさではないだろうか。
現代は、愛も希望も信じがたい世の中だが、古典的なラブロマンスがヒットするということは、人心もそこまで腐れてない証しだろう。
『それでも、人生は美しい』。
それがスピルバーグ監督の最終回答ではないだろうか(まだ死んでないけど(^_^;)