自分ばかり損をしていると思っている人へ
ときに、自分はまったく悪くないのに、他人から非難されたり、悪口を言われたりすることがあります。
ところが多くの場合、あなたは「被害者」の役をみずから選んで演じているだけなのです。そして、その習慣が自然と身についてくるのです。「被害者意識」とは、相手を「加害者」に仕立てあげ、自分は絶えず相手から危害を加えられている「被害者」であると思い込むことです。悪いのは向こうだと一方的に相手を非難し、自分ばかりが損をしていると自分で自分に同情する自己憐憫の一種なのです。
あなたは夫や恋人に対して、いつでも被害者の役を演じていませんか?
あるいは、いつまでたっても恋人ができない、できても長続きしないのを、他人や運命のせいにして、自分を被害者に仕立てあげていませんか?
「被害者」になるのはおそろしいことです。みじめで、みっともないことです。そして、それには大きな代償がともないます。被害者の役を演じていると、自分が無力であるように思えてきます。ところが、現実には自分の能力をすべて自分の中にためこんでいるだけなのです。被害者の役を演じている人は、傍目には無抵抗で言いなりのように見えるものですが、実際は違うのです。
このような人たちは、責任を負いたくないばかりに、本来自分に備わっている能力を放棄し、他人のエネルギーを奪おうとします。そして、社会に背を向けるようにして、できるだけ斜めにものごとを見よう、ひねくれたものの見方をしようとして、むだなエネルギーを消費しているのです。
「悪いのは向こうのほうよ」と他人に非をなすりつけているときや、「だって仕方なかったんだもの」と言い訳をしているとき、私たちは無意識に自分を被害者に仕立てあげているものです。「私は被害者なのだから、もう打つ手はない」と勝手に決めつけ、運命に見放されたような錯覚を起こしているのです。
しかし、それはあくまでも錯覚であり、真実ではありません。被害者でいるかぎり、選択肢は「被害者でいる」こと、たった一つだけです。ところが「被害者にはなるまい」と決心するだけで、ものすごい速さで選択肢が増えていきます。
いまの状況を打開しよう、他人の意思を尊重し、ものごとをあるがままの姿で受け入れようとすれば、その途端に選択肢が増え、積極的な第一歩を踏み出すことができるのです。いまこそ、これまでとは違った選択をしてください。いったん被害者の立場に自分を追い込むと、あとは相手の言いなりになるだけです。「私にできることなど何もない」と思い込んでしまうのです。けれど、いつのときにも代替案があることを忘れてはいけません。問題の解決を他人任せにしないこと、自分の力を信じることです。
あなたは他人をコントロールすることはできませんが、自分をコントロールすることはできます「いまの状況を打開できるのは自分だけなのだ」と考えましょう。積極的に考え、行動するようになれば、もう二度と被害者にならずにすみます。
いまのあなたには、積極的に生きていくうえで必要な力がすべて備わっています。
いますぐ、被害者意識を捨て、可能性にチャレンジしてください!
出典 : 被害者意識を捨てよう ~自分ばかり損していると思っている人へ 『恋に揺れるあなたへ 56の処方箋』より
「傷ついた」「傷つけられた」が人を不幸にする
他人にちょっと注意されたり、他人の言動で不快な思いをすると、「傷ついた」「傷つけられた」と大騒ぎする人がありますが、相手は本当に悪意をもって言ってるのでしょうか。
「あなた、食べ過ぎじゃないの?」と何気に口にした人に対し、(たとえ、相手が健康を気にして言ってくれたとしても)、「私のこと、肥ってると馬鹿にして!1」と怒る人がありますね。
しかし、どれほど善良な人でも、そこまで他人の胸の内は分かりません。
「そんなに食べたら、ブタになるわよ」みたいに、明らかに悪意をもって言うのと、「食べ過ぎじゃないの 」と目を丸くするのは大きな違いがありますし、悪意が無い場合は、そこまで相手の幸不幸に責任をもつことはできないからです。
そんなことを気にし出せば、誰も、何も言えなくなってしまいますし、相手が健康を気遣って言ったことに対しても、「傷ついた」「傷つけられた」と大騒ぎすれば、かえって親しい人を遠ざけてしまうのではないでしょうか。
些細なことまで気にし出せば、世の中の人、すべてが悪意の塊です。
「店員に無視された(別のことに気を取られて、まったく気付かなかった)」
「私のことを無知だと馬鹿にしてる(相手は上司として指摘しただけ)」
「どうせ私はブス(相手はお洒落してきただけ)」
確かに、言い方が乱暴だったり、相手の落ち度もあるかもしれませんが、自分の気に入らないことを、いちいち悪人認定していたら、周りも疲れてしまいます。
相手を悪人認定したところで、物事が改善するわけではありませんし、中には本当に大事なこともあります。(食べ過ぎとか、書類の提出の仕方とか)
自身の間違いよりも、相手の言い方ばかり気にしていたら、結局は、自分が大損するだけではないでしょうか。
些細なことで「傷ついた」「傷つけられた」と大騒ぎする人は、自分の中に大きな劣等感があり、それを自分で克服することができない弱みを、相手を悪人認定することで、現実逃避しているのだと思います。
太めが気になるなら、少し食事を控えるとか、エクササイズするとか、改善する方法はいくらでもあるのに、そうした努力は一切せず、「どうせ私は肥ってる」とうじうじしていると、他人の視線や言動が、すべて自分を責めているように感じられて、悪人認定してしまうのです。
しかし、それは自責の念を他人に転嫁しているだけで、他人の視線や言動がどうあろうと、自分で自分を責めていることに他なりません。
なぜなら、自分なりに食事を気を付け、エクササイズとか頑張っている人は、なかなか減量できなくても、頑張っている自分に自信があるので、他人の視線など気にならないからです。
「傷ついた」「傷つけられた」と大騒ぎする人は、本来、自分で解決すべき問題を、他人のせいにして、物事を都合よくコントロールしたいだけ。
たとえ一時期、周りの同情を引いても、同じことを繰り返していると、いずれあなたの我が侭な本性が透けて見えて、周りも去って行くでしょう。
「私を傷つけた」と責め立てる人間に対して、いつまでも愛情を持ち続けることなど、誰にもできないのです。
Victim ~劣等感が被害者意識を生み出す
この章の原題は、Victim です。
victim には、「被害者」「犠牲者」「生け贄」といった意味があります。 [リーダーズ英和辞典第3版]
暴力事件のように、加害 / 被害 が明白なケースと異なり、「些細な言動」「視線や態度」は、他人には窺い知れないものです。
相手はチラと見ただけなのに、「喧嘩を売ってる」「いやらしい目で見た」と受け取る人もあり、当人も、周りも、解釈が難しいです。
ただ一つ、確かなのは、「傷ついた」「傷つけられた」と被害者意識の強い人は、いずれ周りもうんざりして、人が離れていく、ということです。
明らかな悪意に対して、Noの声を上げることは大事ですが、感情に訴えるよりも、事実関係を明らかにする方が、周りの協力も得やすいでしょう。
何かと周りに敏感で、すぐ「馬鹿にされた」と心が傷ついてしまう人は、心の中に大きな劣等感を抱えていないか、またその事実から目を背けていないか、一度、じっくり考えてみることをおすすめします。