欧州諸国を旅行していると、無名戦士の墓や戦争記念碑を随所に目にします。
ポーランドでは首都ワルシャワの中心に位置するサスキ公園に、国を代表する無名戦士の墓があり、2メートル四方ほどの慰霊碑にはいつも多くの花が手向けられ、その両サイドをポーランド軍の兵士が見守るように立っています。また、慰霊碑を囲むアーチ型の壁には、これまでにポーランドが経験した戦争の記録が刻まれ、絶えず他国からの支配や侵略に脅かされてきた、哀しい歴史をしのばせます。
こうした無名戦士の墓、特に第二次大戦にまつわる慰霊碑は、首都のみならずポーランド各地、森の奥にちょっと開けたような小さな村にも見ることがあります。わけても印象的なのが、各地の公共墓地に併設されている無名戦士の墓です。
その地で亡くなった兵士の亡骸(なきがら)を、国や人種の分け隔てなく、一人一人、丁重に埋葬した墓の上には、60センチ四方ほどの小さな墓碑が置かれ、ドイツ兵なら十字架、ソ連兵なら旧ソ連のシンボルである赤い星、ユダヤ人ならダビデの星と呼ばれる六芒星(イスラエル国旗のシンボル)が刻まれています。
ポーランドも今でこそ平和な町の風景がありますが、こんな片田舎でも戦闘があり、地元住民はもちろん、多くの異国の兵士も命を落としたのかと思うと、改めてヨーロッパにおける第二次大戦の凄まじさを想像せずにはいられません。
その時は誰もが「正義」と信じて戦ったのでしょうけど、銃に撃たれ、爆弾に吹き飛ばされ、誰に看取られることなく異国で死んでいった兵士たちの気持ちを思うと、切なく、哀れです。
こうした無名戦士の墓は、戦争が終わってみれば敵も味方もなく、ただ多くの人命が失われただけだということを今に伝えています。
「ベルばら」では、民衆の側について戦うことを決意したオスカルが、「我らは名もなき祖国の英雄になろう」と兵士たちを奮い立たせる場面があります。
オスカルは架空の人物ですが、実際、オスカルと同じように、それが正義と信じて、命がけで戦った人もたくさんあったことでしょう。
「武器をとれ、市民しょくん。パリを守ろう」というベルナールの呼びかけは、当時の市民にとっては、理想社会の到来を予感させる輝かしいスローガンだったのかもしれません。
しかし、ベルばらの続編とも言うべき『栄光のナポレオン-エロイカ』を読むと、「自由・平等・博愛」の理想を掲げて革命を起こし、身分制のシンボルである王と王妃を処刑したものの、結局はそれに代わる権力が台頭しただけで、民衆の思い描くような世の中が実現した訳ではないことがよく分かります。
まだ歴史というものを実感する機会に乏しく、戦争もどこか絵空事のように捉えていた頃の私は、オスカルをはじめ、理想の為に血を流した名も無き人々の死にどれほどの意味があったのか――と空しさを覚えることもありました。嫌な言い方ですが、「犬死に」という言葉がしばしば脳裏をよぎったものです。
でも、ポーランドに来て、あちこちで無名戦士の墓を目にするようになってから、この「名も無き人々」こそが歴史の主役であり、無言の教師であり、時を超えて生き続ける命であると思うようになりました。
この世に意味なく生きた人もなければ、意味なく死んでいった人もないのです。
歴史というと、一握りの名前だけが書物に刻まれ、名だたる政治家や偉人だけが好きに世の中を動かしてきたような印象がありますが、その足元には、いっさい名前は残らないけれども、命がけで世界を支えてきた何十億もの人々が存在します。一人一人の名前は、もはや誰に語られることもありませんが、現代を生きる私たちは、確かにその人たちの命の続きにあるのです。
第二次大戦はもちろん、バスティーユ襲撃で命を落とした名も無き人々も、その一人一人の存在がつぶさに語られることはありません。これから先もないでしょう。だからといって、彼らの死は無駄ではありません。名も無き人々の墓碑は、未来に向かって、誰が語るよりも確かな平和のメッセージを送り続けているのです。そして、それこそが、「英雄」と呼ぶにふさわしいものではないでしょうか。
我が家の近くの無名戦士の墓には、その一つ一つに野バラが植えられています。多額のお金をかけて立派な慰霊碑を建立するより、死者を悼む気持ちにあふれていると感じます。
今も無言で訴えかける無名戦士の墓と、誰が植えたか分からない野バラを見る度に、世界の平和を祈らずにはいられないのです。
オスカルが死んだら、私も死ぬ ! ~第8巻より
本編のクライマックスですね。「自由・平等・博愛」という言葉をベルばらで覚えた小学生女子も多いのでは。他に「アンシャン・レジーム」とか「アッサンブレ・ナシオナル」とか。当時の社会科の教師が、”なんでそんなにフランス革命史に詳しいんだ”と目を丸くしたのも頷ける。みな、必死で読んで覚えたと思う。ああ、それ、カミーユ・デムーランがモデルでしょ、ネッケルが王室の赤字財政を暴露したんだよね、みたいな(笑)
そして、身分を捨て、特権を捨て、愛する人と共に「自由・平等・博愛」の為に戦う……というところで、ベルばら熱もクライマックス。
オスカルが死んだショックで、一週間も学校を休んだ小学生女子の気持ちも分かります。
そりゃ、リアルタイムで読んでいたら、心臓を貫かれるような衝撃でしょうよ。
私も『北斗の拳』の南斗六星~ラオウ篇をリアルタイムで読んでいた世代ですが、最後、ケンシロウとラオウの一騎打ちになる回なんて、少年ジャンプ発売日の三日ぐらい前からコーフンして寝られなかったぐらいだもん。
『オスカルさま、フランス革命に死す』とか、リアルタイムで読んでたら、ショックのあまり「私も一緒に死ぬー」と障子に頭を突っ込むんじゃないの?
これも宝塚劇場に観に行きましたよ。
朝6時からチケット売り場に並んで、やっと姉の分と2枚取れたと思ったら、三階の最後列の左端で、舞台の上半分が見えないの!
改装前の大劇場だったから。
それでも、嬉しかった。
ああ、これがバスティーユの場面なんだ……って。
私は、『ベルばら妹世代』で、リアルタイム読者のお姉様に影響を受けて読み始めた世代です (高校生の従姉の紹介)。
その後、NHK教育で、汀夏子、安奈淳 榛名由梨、初風淳といった、1974~75年組の宝塚劇場中継を観て、完全に心を奪われて、1989~91年のバブル期上演で鼻血を噴いたのが私の世代ですよ。杜けあき、一路真輝、紫苑ゆう、仁科有理、きら星のごとくでした。
娘役の鮎ゆうきのロザリーも、他の誰にも真似できない愛らしさでした。
※ 動画は削除されました
こちらが、小学生の頃、TVにかじりつくようにしてみた、74~75年の劇場中継。
今ではこういう舞台も珍しくもなんともないだろうけど、そりゃもう、当時としては画期的。
ある意味、きんきらした舞台も、豪華なお姫様ドレスも、高度経済成長のシンボルみたいな演出だったと思う。
日本もずっと貧しかったけど、欧米列強と肩を並べて、こんな夢のような歌劇が作れるようになったんだ――と国民みなが自信を持ったイベントだった。
※ 動画は削除されました
こうしたサブカルチャーの洗礼を受けて、自立だ、戦いだ、と、たくましく育ったのが、我々、バブル世代の女性。
今でも精神的にこういう感じです。
ジューヌ・ドラクロワ 『民衆を導く自由の女神』
By Eugène Delacroix – This page
コミックの案内
第8巻『神にめされて』では、オスカルとアンドレが結ばれる有名なラブシーンをはじめ、バスティーユ襲撃、革命の始まり、孤立化するフランス王室など、激動の歴史が描かれています。
ベルサイユのばら 8 (マーガレットコミックスDIGITAL) Kindle版
【画像】 ポーランドの無名戦士の墓
ワルシャワの無名戦士の墓
ワルシャワの中心部にある無名戦士の墓。第二次大戦でも大勢が亡くなりました。
Grób Nieznanego Żołnierza w Warszawie
衛兵の交代。毎日行われます。
雨の日も、雪の日も。一年365日、一日も欠かさず。
戦没者を弔うことと、政治は別です。
ザモシチのロトゥンダ
ザモシチの『ロトゥンダ』は、第二次大戦中、処刑場として使われ、大勢が亡くなりました。
現在は戦争記念館として解放されています。
ポーランド人の墓には、十字架。
ソ連の兵士の墓には、赤い星。
ユダヤ人の墓には、ダビデの星。
こうして見ると、戦没者にユダヤ人もソ連人もありません。
ただただ大勢が死んで、空しいだけ。
無名戦士の墓は、時を超えて、私たちに多くのことを教えてくれます。