作品の概要
ザ・ウォーカー(2010年) - The Book of Eli
監督 : アルバート・ヒューズ
製作 : ジョエル・シルバー(『マトリックス』シリーズでお馴染み)
主演 : デンゼル・ワシントン(イーライ)、ゲイリー・オールドマン(悪党カーネギー)、ミラ・クニス(少女ソラーラ)
あらすじ
最終戦争で、世界が荒廃した近未来。
イーライは、世界に一冊だけ残った『本』を<西>に届けるために、一人で旅をしている。
ある時、カーネギーという男が支配する町に辿り着き、彼の元で働く少女ソラーラと心を通わせるようになる。
イーライはソラーラを守り、無事に本を<西>に届けることができるのか……。
見どころ
『デンゼル・ワシントンの主演作にハズレなし』と言われるが、『ザ・ウォーカー』はマッドマックス風の近未来アクションを期待しすれば、完全に裏切られる作品だ。
ヒャッハーな悪党も出てくるが、それは演出の一部に過ぎないし、最後は悪党が一掃されて、すっきり爽快という結末でもない。
キリスト教の素養がなければ、「何が凄いの?」で終わってしまうだろう。
しかしながら、本作は、『マトリックス』シリーズのジョエル・シルバーが手がけただけあって、あまたの近未来アクションより示唆に富んだ内容だ。
タイトルを見て、「キリスト教のアレ」がぱっと頭に浮かぶ人なら、「なるほど」と大満足だし、悪の枢機卿・ゲーリー・オールドマンに対する痛烈なしっぺ返しも、「キリスト教のアレ」を知っていれば、なるほど納得の結末である。
すなわち、本作を理解するには、キリスト教圏における『聖書』の文化的・政治的意義を知っていることが大前提で、それが分からなければ、敵も味方もなぜ『一冊の本』に狂奔するのか、まったく理解できないだろう。
ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』を筆頭に、聖書とキリスト教をモチーフとした作品は数あるが、『ザ・ウォーカー』は異色の中の異色で、一見、近未来アクションだが、根底には『世界の救済と聖書』が色濃く描かれている。
繰り返すが、この作品を堪能するなら、キリスト教に関する知識は必須だし、一度見て、何のことかさっぱり分からなかった人は、これを機に、入門編などを手に取って頂きたい。
そうすれば、主人公のイーライの背負った宿命と『一冊の本』の破壊力(救済力)が胸に迫るはずだ。
*
タイトルを見るだけで、分かる人にはオチまで分かってしまう映画のオープニング。いろんな意味で異色作 (^_^;
『ザ・ウォーカー』の見どころ
物語は、核兵器で荒廃した大地を、西へ、西へ、ひたすら歩き続けるイーライの旅から始まる。
その姿は、ぼろ布のように汚れきっているが、どこか巡礼者のように清らかだ。
イーライは、カーネギー(ゲイリー・オールドマン)と名乗る支配者が牛耳る町に立ち寄る。
カーネギーは自らの権力を確かなものにする為に、『一冊の本』を探し求めていた。
その本こそ、世界を牛耳る力であり、混乱の世に必要な秩序だったからだ。
カーネギーは、イーライの並外れた剣術に惚れ込み、ぜひ町にとどまって、力を貸して欲しいと懇願するが、西に行く使命を追ったイーライはこの申し出を丁重に断る。
だが、諦めきれないカーネギーは、美しい少女ソラーラを彼の部屋に送り込み、色香で籠絡するよう仕向けるが、清廉なイーラは乱暴などせず、ソラーラを食卓に招き、両手をとって祈りを捧げる。
主よ この食事を感謝します
このような寒い夜に屋根の下で
暖かいベッドで眠れることを感謝しますつらい時代に仲間と出会えたことを
感謝します
アーメン
この場面だけでも、本作のメッセージが十分に伝わってくる。
食前の祈りは、敬虔なクリスチャンにとって欠かせないものだ。
イーライの美しい言葉に胸を打たれたソラーラは、カーネギーに「一夜を共にした」と嘘をつき、イーライを逃そうとするが、夕べの祈りを口にしたが為に、イーライが『一冊の本』を持っていることがばれてしまう。
カーネギーは、凶暴な手下を集め、「奴を殺せ」と命じる。
「たかが本の為に?」と不思議がる手下に、カーネギーは一喝する。
ただの本ではない!
あれは武器だ!
絶望した者の心をあれで狙い撃ちにすれば
自由に操れる
支配の手を広げるためには
あれが絶対に必要だ
人々は私の言いなりになる
あの本の言葉を説くだけで
昔の指導者はそうした
今度は私がやる
それにはあの本がいる
この台詞も実に素晴らしい。
聖書(宗教)の求心力と、狂信的な破壊力を見事に表現している。
また、ゲイリー・オールドマンは、こういうイカれた悪役を演じさせたらピカイチだ。
映画『LEON』の麻薬捜査官といい、フランシス・コッポラのドラキュラ伯爵といい、“鬼気迫る”とはこのこと。
狂ったように追うカーネギーと、追っ手を逃れるイーライと少女ソラーラ。
だが、銃を手にした凶悪な集団に太刀打ちできるはずもなく、イーライはカーネギーの銃弾に倒れ、本も奪い取られる。
果たして、イーライは、目的の地にたどり着けるのか。
そして、本に書かれていた内容とは……。
分かる人には、オープニングのタイトルを見た時点で分かってしまうのだが、それでもデンゼル・ワシントンは格好いいし、ゲイリー・オールドマンのキレっぷりも相変わらずで、迫力がある。(かつ、どこか間抜けでユニーク)
『マッドマックス 怒りのデスロード』みたいなド派手アクションを期待すると肩透かしを食らうが、『人類救済ストーリー + デンゼル・ワシントンの用心棒的剣術』と割り切ってみれば、物語の美しさに心を動かされると思う。
ありきたりのアクション映画に食傷気味の方は、ハリウッド的・世紀末救世主伝説を楽しむ気持ちで、ご覧になってはいかがだろうか。
神は言葉なり ~真理が世界を支配する
信仰心のない人から見れば、神も、聖書も、「人間が作り出したもの」でしかないと思う。
実際、その通りだし、創世記も、イエス・キリストの奇跡も、今に伝えられる全てが「神の手によって成された」とも思えない。
聖書を編纂したのも人間なら、イエスの教えを伝え歩いたのも人間(十二人の使途)で、そこに一片の意図も野心も存在しない、とは言い切れないからだ。
ある意味、『神』というのは、善良なインスピレーションと思う。
神のような善性は、元々、人の魂の中にあり、それを明文化したのが聖書である、と。
たとえば、
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。
一つの教えを確実に広めるなら、言葉に優るツールはない。
言葉ほど、人間の感情に強く働きかけるものはないからだ。
どんな人間も、絶え間ない思考の積み重ね、つまりは言葉によって形作られる。(言葉が人間を作る ~明るい言葉や優しい言葉はたくさんの幸福を連れてくる)
下品で凶暴な言葉は、そうした性質を加速するし、誠実で気品に満ちた言葉は、それにふさわしい物腰を作り出す。
いわば、言葉は精神そのものであり、思想や行動の根源となるものだ。
聖書が永遠の真理であり続けるのも、数ある言葉の中でも、もっとも美しい言葉、愛のある言葉で綴られているからだろう。
もし、人間の本性が善でなければ――誠実より欺瞞を、秩序より混乱を好む、性悪な獣であるなら、聖書もこれほど深く人間と結びついたりしない。
聖パウロが何を言い聞かせても、一時のブームで過ぎ去り、イエスのことも、とうの昔に忘れ去られていただろう。
そうではなく、イエスの教えが数千年を生き抜き、これからも世界を照らすのは、個々の魂にも同じ真理が存在するからで、『聖書が人間によって編纂された』とするならば、神とは、すなわち私たち自身のことなのである。
『ザ・ウォーカー』に描かれた世界は、マッドマックスや北斗の拳のように、地上から一切の文化が失われ、戦争後に生まれた人々は、字を読むことも、書くこともできず、野獣のように飲み、喰らうだけだ。
その中で、わずかに生き残った文明人が、なんとか戦争前の文化を保護し、人間社会に秩序と教育を復活させようとしている。
その要となるものが、『本』と『印刷技術』であり、イーライに託されたのは、数ある本の中でも、最強の言霊を有する聖書を後世に伝えることだ。
いわば、荒野の伝道師であり、巡礼者でもある。
西へ、西へとひた歩く姿が、どこかイエス・キリスト時代の荒野を思わせるのは、これが第二の奇跡の始まりだからだろう。
そして、彼の清らかに言葉に心を動かされたソラーラは、彼を信じて行動を共にする。
ソラーラは、恐怖や暴力よりも、愛の言葉を求める人々の象徴でもある。
この乱世において、聖書が絶大な支配力を持つと考えたカーネギーの野心も頷ける話で、ある意味、カーネギーこそが、人間の本性と支配の根源を誰よりも理解していたと言えるのではないだろうか。(ちなみに、映画の設定では、カーネギーだけが文字を理解し、本を読むことができる。手下も、町の住民も、みな文盲である)
イーライの献身により、聖書は無事に目的の地に届けられ、これから世界中に広まって、人間社会に再び愛と秩序がもたらされる……という含みで終わっている。
西暦が「イエスの生誕前」「生誕後」で二分されるとしたら、『ザ・ウォーカー』の世界では、「イーライの来訪前(聖書の絶版)」「来訪後(聖書の再版)」といったところか。
本作も、紀元前にロールバックして、西暦後の世界に重ね見ると面白い。
卓越した演技力と切れのいいアクションで定評のあるデンゼル・ワシントンが、中世の修道僧のような清貧と沈黙を身に付け、未来の伝道師になりきっているのも見応えがある。
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