映画『タクシードライバー』について
作品の概要
監督 : マーチン・スコセッシ
主演 : ロバート・デ・ニーロ(トラヴィス・ヴィックル)、シビル・シェパード(ベッツィ)、ジョディ・フォスター(娼婦アイリス)、ハーヴェイ・カルテル(ポン引き・スポーツ)
あらすじ
ベトナム帰りの元海兵隊員トラヴィス・ビックルは、不眠症を理由に、タクシー会社に就職する。貧困地区や夜の歓楽街も厭わず、一晩中、タクシーで走り続けるが、「雨は人間のクズどもを歩道から洗い流してくれる」と社会の退廃ぶりを嫌悪していた。ある晩、トラヴィスのタクシーに、少女娼婦アイリスが乗り込んでくる。彼女はすぐにポン引きのスポーツに連れ去られたが、後日、再会。家に帰るよう説得するも、幼いアイリスは聞き入れず、スポーツを信頼しきっていた。
一方、トラビスは、次期大統領候補である、パランタイン上院議員の選挙事務所で働くベッツィに一目惚れし、デートに誘うが、ポルノ映画館に連れて行ったことでベッツィは腹を立て、あっさり振られてしまう。
いよいよ怒りと嫌悪をつのらせたトラヴィスは、売人から拳銃を手に入れ、パランタイン上院議員の射殺を試みる――。
見どころ
モヒカン姿のトラヴィス・ビックルと、映画終盤の銃撃戦、そして、「You Talkin to Me ?」と独り言を口にしながら、射撃の特訓をする場面は、今なお、様々な分野でパロディ化され、サブカル界のアイコンと化している。近年では、映画『ジョーカー』で、ホアキン・フェニックスがこの場面を真似て話題になった(共演者ロバート・デ・ニーロに対するオマージュでもある)
勝者の語る正義に説得力なし 映画『ジョーカー』とホアキン・フェニックスの魅力
ロバート・デ・ニーロの出世作。
デ・ニーロの代表作は数あるが、デ・ニーロといえば、『タクシー・ドライバー』というくらい、本作の印象は強烈である。
多分、この先も、デ・ニーロの代表作といえば、 『タクシードライバー』と言われ続けるだろう。
「上手い」とか「凄い」とかいう形容詞で表せるものではない。
存在そのものが伝説となるような、映画史上最大のアイコンである。(マーロン・ブランドのゴッドファーザーと並んで)
ブルーレイと動画
タクシードライバー [Blu-ray] タクシードライバーとして働くベトナム帰還兵のトラビス。戦争で心に深い傷を負った彼は次第に孤独な人間へと変貌していく。汚れきった都会、ひとりの女への叶わぬ想い – そんな日々のフラストレーションが少女との出逢いをきっかけに、トラビスを過激な行動へと駆り立てる! ! amazonプライムビデオでも視聴できます |
トラヴィス・ビックルは都会を彷徨う私たちの影
おそらく近年の映画ファンの中には、なぜマーチン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』が名画と呼ばれるのか、疑問に感じる人も少なくないと思う。
映像は古いし、話は淡々と進むし、登場人物はみな冴えないルーザーか血も涙も無いDQNばかり。
一応、銃撃戦はあるが、近年nアクション映画みたいに、特殊部隊が活躍することもなければ、ヘリや戦車が吹っ飛ぶわけでもない。
突然、売春宿に乗り込んで、バンバンと撃って、終わり。
「アクション」というカテゴライズに釣られて、ジェームズ・ボンドのような華麗な銃撃戦を期待して見れば、必ず裏切られる。
トラヴィス・ビックルのやっていることは社会正義でもなければ、人道でもない。行き場のない怒りや苛立ちを、「社会を正す」という手前勝手な理屈で、銃をぶっ放したに過ぎないからだ。
次期大統領候補である、パランタイン上院議員の暗殺も同様。政治的主張もなければ、計画性もなく、行き当たりばったりに出掛けていって、シークレット・サービスに追われるという、間抜けな展開だ。
にもかかわらず、トラヴィス・ビックルは、なぜ永遠のアイコンとなり得たのか。
それはきっと、誰もが一度は経験する孤独と寂寥を体現しているからだろう。
映画『ジョーカー』が底辺の怒りの代弁者なら、トラヴィス・ビックルは独り者の代表だ。
孤独な部屋で、破壊と復讐を妄想し、心をこじらせていく。
結果的に、少女娼婦を救うことになったので、市民の英雄となり得たが、パランタイン上院議員の暗殺に成功していたら、ただの犯罪者である。
そうした人間的な歪みが、かえってリアルで、等身大に映るのだろう。
映画『ジョーカー』がそうであるように、誰もが心の奥底に抱える暗部にチクりと刺さるのが、本作の魅力ではないだろうか。
トラヴィスの行為が正しいか、そうでないかは、二の次だ。
動機や生き様を追求するのも、野暮というものだろう。
トラヴィスは都会を彷徨い歩く、青春の影そのものだ。
若い心に一度は訪れる、甘い傷みにも似ている。
若者が幸福から見放され、汚い奴らが闊歩する限り、トラヴィス・ビックルはいつまでもアイコンであり続けるだろう。
都会のやるせなさの影として。
『タクシードライバー』の名台詞
ここからネタバレ
Anytime, Anywhere
Anytime, Anywhere
タクシー会社の面接に訪れたトラヴィスが、「夜でも走れるか? 危険な場所でも?」と人事に質問された時、「いつでも、どこでも(Anytime, Anywhere)」と答える、どこか自棄的な物言いが印象的。普通は己が可愛い。いくら金の為とはいえ、物騒な下町を走るのは避けたい。だが、トラヴィスは Anytime, Anywhere と答える。己の人生など、いつ、どうなっても構わないからだ。守るべきものなければ、将来の展望もない。
雨は人間のクズどもを歩道から洗い流してくれる
雨は人間のクズどもを歩道から洗い流してくれる
オレは常勤になった
勤務は夜6時から朝6時 たまに8時まで 週に6日 七日のときもある忙しいとぶっ通しで働く
週休350ドル メーターを切れば、もっとになる夜の街は 娼婦 ごろつき げい 麻薬売人であふれている
吐き気がする
奴らを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだおきゃくに言われれば オレはどんな所へでもゆく
気にならない
黒人を乗せない奴もいる オレは平気だ12時間働いてもまだ眠れない
毎日がすぎていくが終わり無い
『Thank God for the rain to wash the trash off the sidewalk.(雨は人間のクズどもを歩道から洗い流してくれる)』も有名な台詞。
夜の街を横目で見ながら、社会のクズども、と毒づく。
その苛立ちは、自分自身への苛立ちでもある。彼らと同じように、何を生産するでもなく、誰かと分かち合うわけでもない。その日暮らしのゴミみたいな存在で、先には何も無い。それを打ち明けたところで、誰が同情してくれるのだろうか。
オレの人生に必要なのはきっかけだ
オレの人生に必要なのはきっかけだ
自分の殻だけに閉じこもり 一生過ごすのはバカげてる
人並みに生きるべきだ
ひなびたアパートで、ベッドに寝そべりながら、悶々とするトラヴィス。
何かを志そうにも、きっかけもなければ、当てもない。
愛する人もなければ、構ってくれる人もなく、まるでゴミ箱の残飯みたいに、怒りと焦りが発酵する。
君には何かが必要だ 多分それは友達だよ
そんな彼が出会ったのは、選挙事務所に務める『白いドレスのベッツィ』だ。無機質な雑踏で、彼女の歩く姿は天使のように気品に満ちている。
さっそく口説きに出掛け、デートに漕ぎ着ける。ここだけ妙に滑舌(^-^)
君は独りぼっちだ。
ここを通る度に見てると 君の周りに人は大勢いて 電話や書類でいっぱいだが何の意味もない
ここに来て 君に会い その目や動作を見ても 君は幸せな人じゃない
君には何かが必要だ 多分それは友達だよ
どうせ俺たちは負け犬さ。どうにもならん
ところが、初めてのデートで誘ったのはポルノ映画。当然、ベッツィは機嫌を損ね、何度電話しても、無視されるようになる(当たり前ダ)。
再び張り合いをなくし、タクシー仲間に鬱屈とした気持ちを打ち明ける。だが、そこで返ってきたのは、世間並みな回答だった。
トラヴィス 「ここから飛び出して、何かをやりたいと思ってる」
ウィザード 「商売替えか?」
トラヴィス 「でも……よく分からん。飛び出して、何かを……やってみたい。いろんな考えはあるんだが」
ウィザード 「男が仕事を選ぶ。彼はやがて仕事を身につけ、その仕事しか考えない。俺のタクシー家業は17年。10年間夜勤だが、いまだに自分の車がない。 いらないし、買う必要もない。夜勤では他人の車に乗る。人間なんてなるようにしかならんよ。貧しい者、金持ち、弁護士、医者も同じだ。死ぬ奴、病気が治る奴、生まれてくる奴もだ。お前は若い。女を抱き、好きなことをやるんだ。どうせ俺たちは負け犬さ。どうにもならん」
こんな事を言われても、若い魂は納得しないだろう。彼らの前途には、計り知れない時間があり、何かを成す可能性があり、気力も体力も有り余っているのだから。
少女娼婦のアイリス
ある日、トラヴィスは、少女娼婦のアイリス(ジョディ・フォスター)と出会い、薄汚い男たちに利用されている事実を知る。
彼女を操るのは、血も涙もないポン引きの”スポーツ”だ。 まだ十三歳にすぎないアイリスに売春をさせ、売り上げはピンハネ。言葉巧みにアイリスをかどわかし、商売道具として手元に留めようとする。
ジョディ・フォスターは、商売の時と平素の時のギャップが印象的。夜の街では、ぴちぴちのホットパンツを履き、髪をカールして、大人の女性のように背伸びしているけれど、素顔はふっくらとあどけない中学生の女の子。世の中のことなど何一つ理解せず、ポン引きの”マシュー”を守護者のように信じ切っている。いつの時代も、こういうケースは後を絶たないのかもしれないが。
映画史に残る銃撃シーン
これが映画史に残る銃撃シーン。
今時のアクション映画に比べたら、地味で、淡々として、「どこが?」と思うかもしれないが、細い廊下をすーっと移動して、問答無用で撃ち抜く場面。
一瞬、凍り付くジョディ・フォスターのショット。
トラヴィスの顔に飛び散る返り血や、狂ったような男のわめき声が非常にリアルで、一切の慈悲もためらいも感じさせない描写が凄いのだ。
確かに「少女娼婦を救う」という大義名分もあるが、それなら警察に相談すればいい話。
売春宿に乗り込んで、銃をぶっ放すのは、やはり八つ当たりの延長で、どこか常軌を逸しているから、観る者の記憶に残るのだ。
女に媚びない
感動のラスト。
新聞でトラヴィスの活躍を知ったベッツィは、自らタクシーに乗り込み、愛の眼差しで見つめるが、トラヴィスはカシャっとメーターを切り、夜の街に走り去っていく。
女に媚びないクールさが万国のトラヴィス・ファンの心を掴んで離さない所以である。
なにゆえに『タクシードライバー』は名画となりしか
前述にもあるように、70年代のアクション映画とはいえ、クリント・イーストウッドやスティーブ・マックイーンのアクション映画にずいぶん地味だし、カタルシスもない。
にもかかわらず、名画として語り継がれるのは、ひたすらトラヴィスの内面にフォーカスし、不可解だが、どこか共感できる、不思議なキャラクターを描き出しているからだろう。
また、映像も非常に詩的で、スモークの中から徐々に現れる黄色い車体、フロントガラスに映る雨のニューヨーク、雑踏を一人歩くトラヴィス、掃き溜めに鶴のような白いドレスのベッツィなど、一つ一つが古びたコラージュのように繋ぎ合わされていく。
『ミッション・インポッシブル』のような種も仕掛けもないけれど、実際に都会の片隅で繰り広げられているようなドキュメンタリー・タッチの映像がかえって新鮮で、孤独なトラヴィスの心情に非常にマッチしている。
トラヴィスは夢など見ないだろうから、この地味で、退屈な映像こそ、彼の世界観そのものなのだ。
amazonのレビューで誰かが書いていたけれど、「マーティン・スコセッシ監督は、これ一作で世に出て、これ一作で終わった」というのも、決して言い過ぎではない。
『沈黙(原作・遠藤周作』『ディパーテッド』『シャッター・アイランド』も見応えのある傑作だが、『タクシードライバー』の存在感に比べたら、『傑作』の域を出ない。
その点、『タクシードライバー』は、名誉も、評判も突き抜けて、これだけが燦然と映画界の神殿に輝いている。
もう二度と、こんな作品は出てこないし、演じる役者もないだろう。
*
いまだに世界中で真似されるトラヴィスのモヒカン。怒りと反逆のアイコンでもある。
トニー・スコットの映画音楽
『タクシードライバー』は、映画音楽も秀逸だ。
私が生まれて初めて購入したCDでもある。
魂の震えるようなトニー・スコットのサックスに痺れること、数十年。
トラヴィスの心情を映し出すような哭きのサックスが素晴らしい。
メロディラインの美しさに圧倒される『タクシードライバー』のテーマ。
これぞ大人の音楽。ジャジーなサウンドに痺れること請け合い。
アップテンポな『I Work the Whole City』。ドライブのような疾走感がよい。
ジャズ・フルートの切ない響きが美しい『Betsy In a White Dress(白いドレスのベッツィ)』
ポップにアレンジした『Theme from Taxi Driver – Repair』.
終盤、曲調が変わるのが非常に綺麗です。
フルアルバムはこちらで視聴できます。
https://open.spotify.com/album/0Su23YyUD0OyafVwOP22HP?si=Hy4Vo2c7QtywwIeLYBwv8A