親子関係– tag –
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『仮面親子』 本当の自分を見せるのが怖い親と本当の自分を見せられない子供
「自然体になれない」「普通が、どういうことか分からない」という親は、本当の自分を見せたら子供に嫌われるという気持ちが人一倍強いのかもしれません。それは裏返せば、自分がそういう親を蔑んで、今も許してないからではないですか? 本物の親子とは何なのでしょう。 -
「大人になる」ということ ~親もまた”人間”と気付く時~
子どもはある年齢に達したら「大人になる」わけではありません。経済的に自立しても心の自立に失敗する人はたくさんいます。心の中にいつまでも「幼い自分」を残したまま親への恨み辛みに固まっていると、考え方も偏屈になり、人間関係や仕事にも影響するようになります。 -
なぜ子供は親を舐めるのか ~親が自分の欠点を知ることは愛し方を学ぶ第一歩
親が自分の欠点をひた隠しにすると子供に「いつも立派でなければならない」という誤ったメッセージを送ってしまう。親のやせ我慢や空威張りが分かる時、子供は親を卑小に感じ、舐めるようになります。 -
途中で何度も崩れていいから、頑丈な積木の家庭を作ろう
摩擦が多いのは、関係が深い証。家庭も親子関係もみっともないものでいいと思います。途中何度も崩れてもいいから、「一見きれいだけれど線の細ーい不安定な積み木」ではなく「マグマのように不揃いだけれど頑丈な積み木」を築きたいものです。 -
子供はなぜ親の財布からお金を盗むのか?
いい親子関係とは子供がお金を盗まないことではなく、子供が何でも相談できることです。その信頼関係をなくして、どれほど正論を説いても、役には立ちません。 -
親子の間にも距離は必要 ~ヤマアラシのジレンマから学ぶ
ドイツの哲学者、ショーペンハウワーのたとえ話に、「ヤマアラシのジレンマ」というものがある。 これは、二匹のヤマアラシがお互いを温め合おうとして、近く寄り添うのだけれど、お互いの針で傷つけ合って、上手く抱き合うことができない。そうして、くっついたり、離れたりしながら、やがてお互いに適切な距離を見出す――という、たとえ話だ... -
子供に対する最大の贈り物は『時間』です ~スーパーナニーの言葉
私の居住国では、昨年から始まった『Super Niania』という番組が人気を集めています。 『Super Niania』とは「スーパーナニー」の意味で、イギリス国営放送BBCで歴史的高視聴率を記録した『Super Nanny』のローカル版です。 BBCの『Super Nanny』は、Jo Frost(ジョー・フロスト)という保育の達人が、問題児を抱える家庭を訪問し、実際に育... -
オイディプス王と精神的な親殺しについて
心理学者にして文人でもある河合隼雄氏の名著『家族関係を考える』とギリシャ悲劇『オイディプス』をベースに、思春期の子供の自立と内面的な親殺しについて綴るコラム。同氏の「竜退治と自立と内的な母親殺し」に関する記述と併せて。 -
子供の自立と親の心構えに関する覚え書き
まず第一に、一つ屋根の下で暮らすのが無理だと感じたら、物理的・精神的に距離をおくこと。 親が憎い、親から離れたいという気持ちに罪悪感をもたないこと。 また、離れようとする子どもに対して、裏切られたとか、自分を否定されたとか思わないこと。 親から離れた子どもは自分の人生にフォーカスし、親の呪いに囚われないこと。 また親自... -
親とは『プロの子供』である
『親になる』ということは、子供の気持ちと、親の気持ちと、両方わかることなんだ。ピクサーのアニメ映画『ファインディング・ニモ』の制作者インタビューでアンドリュー・スタントン監督の言葉から子育てにまつわるコラム。 -
愛を実践して、人生を説く
親の教えが子どもの心に響くのは、そこに愛があるから。 たとえ、その時は意味が分からなくても、 生涯、実感できなくても、 子どもは何かを掴もうと努力する。 親の愛と教えに報いたいから。 そして、その願いは、死も超えて続く。 なぜなら、子は親の愛に報いるために、全力で生きていくから。 親にとって最大の幸福は、子どもが自分自身と... -
その正論に愛はありますか ~正しいだけの親は要らない
正論は子供を苦しめる 子どもに教え諭す時、正論を言う人も少なくないと思います。 「嘘をついてはいけません」 「門限を破ってはいけません」 「弱い者いじめをしてはいけません」 反論する余地もない、絶対的正義――いわゆる『正論』と呼ばれるものです。 この正論を口にされたら、誰も何も言い返せません。 なぜなら、正論は常に正しいから... -
子育てとは子供時代をもう一度生き直すこと ~映画『ファインディング・ニモ』より
映画『ファインディング・ニモ』は、2003年に封切られたピクサーのアニメです。 臆病なカクレクマノミのマーリンは、妻のコーラルと珊瑚礁の新居で幸せいっぱいに暮らしていました。ところが、獰猛なバラクーダに襲われ、コーラルも、たくさんの卵も、食べられてしまいます。 マーリンは唯一生き残った子供を「ニモ」と名づけ、ニモは元気な... -
親の死を願う子供たち ~Googleのキーワード検索より
長年、子育てコラム『オイディプス王と精神的な親殺しについて』を公開していたところ、「親死ね」「親殺す」というキーワードで訪問者が殺到し、Googleアナリティクスの検索結果が恐ろしいことになったことがありました。 そのエピソードを元に書いた記事がこちらです。 親の死を願っても、人生は変わらない 2012年まで、Googleアナリティク... -
傷つけ合わない親子関係など無い ~愛とは、問題そのもの
子どもが親に腹を立てるのも、あなたが子どもの態度に傷つくのも、それだけ心が近い証拠です。誰よりも近く、愛を求める関係だから、思う通りにならなかった時の怒りや失望が大きいのです。見方を変えれば、触れ合う部分があるうちは関係修復のチャンスもあります。本当に冷め切った関係は怒りも失望も感じない、ただの無関心です。 -
親に変わることを期待してはいけない ~精神的・物理的距離を置く
憎い、嫌いと思っても、心の底では、いつか親が自分を理解してくれるのではないか、理想の仲良し親子になれるのではないかと期待するのが子ども心です。しかし、親はそう簡単に変わりません。何をどう言い聞かせても、自分の望む通りにはなりません。 -
子育てを通して、親も『二度目の子供時代』を生き直す ~親子のロールプレイが心を癒やす時
子育ては親にとって『第二の子供時代』を生き直すことです。自分が経験した親子関係を、今度は我が子との間に再現することによって、改めて自身の親子関係を振り返り、前に積み残した心の問題を、我が子との関係を通して、解決することができるのです。立場を入れ替わったロールプレイングこそが、あなたを真の意味で大人にし、いっそう心を高めてくれるのです。 -
子供の反抗は『親の否定』ではない
『親殺し』という言葉だけ見れば、非常に激しい印象を受けますが、要は、親の影響から離れて、我が道を行くだけのことです。子どもだって親を愛したい。どんな時も尊敬の気持ちで仰ぎ見たいと願っています。意見が食い違うことと、親を否定することは、まったく別物です。 -
子供の自立は罪ではない ~親子関係は『距離』が解決することもある
親から離れることが叶っても、親の影は一生ついて回ります。辛い記憶も、憎しみも、心からすっかり払拭されることはないでしょう。それでも人は光に向かって進むことができます。怒りや憎悪に生きるより、生き甲斐や悦びや友情を大事にした方が、うんと幸せだと思いませんか。 -
『自信たっぷりに育てられたら、子どもだってたまらんさ』(吉田秋生のカリフォルニア物語より)
世の中には自分の教育法を疑いもしない親が少なくないですが、自分の方針を疑うことなく、自信たっぷりな親は、子供ではなく、自分自身を愛しているのです。その自己愛は、いずれ子供にも伝わり、子供の心を深く傷つけます。自分の親から愛が感じられない子供は、自分の存在意義が感じられず、心が壊れていくのです。
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