人生に行き詰まっている人へ
このページを開いたあなたはいま、目に見えないもの、大いなる存在を感じ取ってください。それは、神かもしれません。
自分がただの血と肉の塊ではないことを、肉体だけの存在ではないことを思い出してください。あなたには、内なるものがあるのです。心を鎮め、もっと深く自分を掘り下げましょう。
あなたが本来果たさなければならない役割を認識してください。そして大いなる存在との結びつきを強靭なものにしましょう。
宇宙から見れば、私たちはとても小さな存在です。そして、そのちっぽけな私たち一人ひとりが、それぞれ結びついているのです。
空を見上げてごらんなさい。空の彼方には無限の宇宙と銀河が広がっています。しかし、それは私たちの身の回りにもあるのです。
たとえば一輪の花の中に。また、あなたの頬をくすぐるそよ風の中に。偉大なるものは、目に見えないものやごくごく小さなものにも宿っています。小さきものにも、大いなる存在があるのです。
私たちは、自分自身でものごとを自由に考え、選択することができます。そして、目標に向かって前進していくエネルギーを持っています。つまり、「自分」という特別な存在の中に、すべてが完璧に保たれているのです。いまあるものがあるべき姿であり、それでいいのです。そのいっぽうで、川が流れ、川面が常にその表情を変えていくように、私たちが前に歩いていき、ものごとが常に変化していくのも、また正しいことなのです。
いまは、あなたが護られており、決して一人ぼっちではないことを理解してください。大いなる存在は、いつもあなたのそばにあります。あなたを護り、助けようとしています。
ときに、自分が神であるかのようにふるまい、大いなるものの存在を否定する人がいます。それではいけません。大いなるものの存在をいつも意識し、心の中で大切に思いましょう。あなたがいま、愛する人との関係で壁にぶつかり、思い悩んでいるのなら、いまはすべてをより大きな存在の導きに委ねましょう。
感謝できるすべてのことに感謝を捧げましょう。
大いなるものの存在を認め、助けを求めれば、あなたの願いはきっとかなえられるのです。
出典 : 大いなる存在を感じよう ~人生に行き詰まっている人へ 『恋に揺れるあなたへ 56の処方箋』より
自分で解決できるという万能感を捨てよう
「大いなる存在」と言うと、宇宙神とか、スピリチュアルなものを連想しますが、この世には、「人間の努力だけでは、どうにもならないこともある」と考えるといいです。
個人がどれほど努力しても、会社全体の赤字を一人の力で改善することはできませんし、社長が有能でも、倒産するときは倒産します。紛争で原料が高騰したり、疫病で物流が麻痺したり、個人の力を超える問題は誰の上にも等しく降りかかってきます。
受験勉強みたいに、個人の力で乗り越えられる事もありますが、大地震や気候変動など、個人の努力で変えられない問題も多々あり、すべての原因を「個人の能力不足」に求めていたら、どんな人も絶望する他ありません。
「この世には、個人の能力より、はるかに高い次元で作用する何かがある」と考えることで、希望が湧くこともあります。
小説の喩え話ですが、「海洋小説 MORGENROOD -曙光」では、プロジェクト・リーダーが「最後は運で決まる」と説いて聞かせます。メンバーがどれほど努力しても、まったく予期せぬことでプロジェクトの進行が遅れたり、最後の段階で難航するのは普通にあることです。しかし、その全てを「自分たちの責任」と負っていたら、とてもじゃないけど続きません。それよりも、「やるだけやったら、あとは運」「天候不良でミッションに支障をきたすなら仕方ない」と割り切ることで、継続する力も湧くし、新たな方策を考えることもできます。
『大いなる存在』とは、生きる為の知恵であり、良い意味での諦念です。
「自分の運命を左右する、大いなるものが存在する」と考えることで、自分自身にも救いがあるし、何でも自分で解決できるという万能感(自惚れ)からも解放されるからです。
そうした『大いなる存在』は、ある人にとっては、キリストの神であったり、大自然だったり、様々です。
何にせよ、「人間の努力は万能ではない」と悟ることは、人が謙虚に生きていく上で、とても大事なのではないでしょうか。
Spiritual Connection 大いなる存在とは
この章の原題は、Spiritual Connectionです。
spiritualには「精神の」「霊的な」、connectionには、「関係」「繋がり」「接続」といった意味があります。 [ジーニアス英和辞典第5版]
「霊的に繋がる」と言うと、チャクラだの、オーラだの、霊感商法を想像しますが、「現実の繋がり(接続)」=他人の忠告やメディアの記事などから距離を置き、自分自身と向き合って、時には、雄大な大自然に思いを馳る……ぐらいの感覚でいいと思います。
季節の移り変わりを見ても、誰に命じられたわけでもないのに、桜は春になると花開き、野菜は秋になると実を結びます。人間が一から十まで手をかけなくても、荒れ地には自然に雑草が生い茂り、洪水で押し流された町にさえ、小鳥や蝶々が戻って来ます。たとえ人類が滅び去っても、宇宙は存続するし、太陽が燃え尽きた後には、新しい星が生まれ、わたしたちとはまったく異なる生物が繁殖するかもしれません。
人ひとりの存在など、ちっぽけだし、世界も、人生も、ひと言で語り尽くせるほど単純ではないです。
そう考えると、自分で何もかもコントロールできると考えるのは傲慢だと思いませんか?
宇宙の目から見れば、誰もがちっぽけな存在ですし、同じ地上に生きるものに、上等も下等もありません。
そう考えることが、思いやりの基本であり、楽に生きていく為の知恵ではないでしょうか。