楽劇『ジークフリート』昭和の名盤と創作の背景

リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ジークフリート』は、長大な楽劇『ニーベルングの指環』四部作の三作目、「第二夜」として作曲されました。
この『指輪』の長大な物語も、始まりは「ジークフリートの死」であったのは有名な話です。

なぜ、ジークフリートは死なねばならなかったのか?

それを掘り下げるうちに、ジークフリートを憎むハーゲン、ハーゲンの父親で地底の王(ニーベルング族)でもあるアルベリヒ、アルベリヒと神々の長ヴォーダンとの確執、指輪にかけられた呪い……等々、どんどん話が膨らみ、シンプルな一幕ものが、27時間に及ぶリング四部作に発展しました。

オーソドックスなコスチュームがかろうじて似合った昭和の時代はともかく、誰もがスマホやPCを使いこなす現代において、古代の神話を上演する意義は何なのか。今、改めて、その価値が見直されているような気がします。

ここでは、『ニーベルングの指輪』四部作のあらすじと創作の背景、『ジークフリート』の見どころ、昭和のオーソドックスな演出 VS 現代の奇妙キテレツな演出の比較など紹介しています。

↓ ぎりぎり許容可能だった1992年メトロポリタン歌劇場+ハリー・クプファー演出(これでも当時は革命的と言われていた)

目次 🏃

『ニーベルングの指輪』あらすじ

序夜『ラインの黄金』

神々の長ヴォータンは、ヴァルハラ城を建設する為に、二人の巨人の兄弟、ファーフナーとファーゾルトをこき使い、報酬として、美の女神フライアを与えることを約束していました。
フライアは、神々の長寿の源である黄金の林檎を管理する女神でもあり、彼女を巨人たちに差し出せば、神々の命の源も尽きてしまいます。
ヴォータンの妻で、フライアの姉でもある、女神フリッカは、夫であるヴォーダンに契約の破棄を迫り、ヴォータンも渋々ながら、これを承諾します。

一方、地底のニーベルハイムでは、醜い小人のアルベリヒが黄金の指輪を使って、仲間を支配し、地中の黄金を集めていました。
指輪は、ラインの乙女たちから奪い取った黄金で作ったもので、愛を断念した者だけが世界を支配する力を身に付けることができます。

それを知ったヴォータンは、奸智に長けた火の神ローゲを伴って、ニーベルハイムに赴きます。
ローゲは、アルベリヒを騙して、カエルの姿に変え、ヴォータンは無力になったアルベリヒから黄金の指輪を取り上げます。
憎悪したアルベリヒは、指輪に激しい呪いをかけ、それを手にした者には死がもたらされると預言します。

しかし、ヴォータンや他の神々は、アルベリヒの呪いなど気にもかけず、女神フライアと引き換えに、黄金の指輪をファーフナーとファーゾルト兄弟に与えます。

ところが、黄金の輝きに魅せられたファーフナーとファーゾルトは、さっそく指輪の所有をめぐって口論となり、ファーフナーはファーゾルトを殴り殺してしまいます。

その様を目にしたヴォータンは、アルベリヒの呪いがいつか神々を滅ぼすと予感しながら、完成したヴァルハラ城に入城します。

第一夜『ヴァルキューレ』

神々の没落を恐れるヴォータンは、指輪の呪いを解くために、神の掟からも、人間社会からも自由な英雄を探し求めます。
誇り高いヴェルズンク族の女性と交わり、双子の兄妹ジークムントとジークリンデをもうけます。
しかし、幼い兄妹は争いに巻き込まれて離ればなれになり、兄のジークムントは、豪族フンディングに追われて、森を彷徨います。

深手を負い、森の中の小屋に逃げ込んだジークムントを優しく介抱したのは、フンディングの妻ジークリンデでした。
兄や父から離ればなれになったジークリンデは、戦利品としてフンディングにもらわれ、無理矢理、花嫁にされたのです。
ジークムントとジークリンデは、兄妹ながらも、激しい恋に落ち、フンディングの追跡を逃れて、森の奥深くに駆け落ちします。

兄妹の父親でもあるヴォータンは、最愛のヴァルキューレ(ヴォーダンが人間の女性との間にもうけた8人の姉妹。戦場で死んだ英雄をヴァルハラに運ぶ)の長でもあるブリュンヒルデを呼び寄せ、ジークムントを勝利に導くよう命じます。

しかし、ヴォータンの妻フリッカは、「兄妹が結ばれるなど、とんでもない」とヴォータンを叱責し、決闘の結末を変えるよう、ヴォータンに求めます。
ヴォータンは、神々の長である立場から、フリッカの申し出に逆らうことができません。
再び、ブリュンヒルデを呼び寄せ、決闘でジークムントが死んだら、ヴァルハラに運ぶよう、要請します。

ブリュンヒルデは、森の中でしばしの休息をとるジークムントの前に現れ、「あなたは私と一緒にヴァルハラに行かねばならない」と、決闘で死ぬことを告げます。
ジークムントは、「自分一人がヴァルハラに行くことはできない。哀れな妹も一緒に連れて行きたい」と懇願しますが、ブリュンヒルデは、「ヴァルハラに行けるのは、ジークムント一人です」と冷徹に答えます。
それを知ったジークムントは、妹を一人、置き去りにすることはできないと、その場で妹の命を絶とうとします。
兄妹の深い愛に感銘を受けたブリュンヒルデは、父の命に背き、ジークムントの勝利を約束します。

しかし、ヴォータンは娘の裏切りに怒り狂い、決闘の場に現れて、ジークムントの剣を二つに折ってしまいます。
剣を失ったジークムントは、フンディングに刺し殺され、フンディングもまた、ヴォータンの手にかかって、絶命するのでした。

最愛の人の死を目の当たりにしたジークリンデは嘆き悲しみ、ブリュンヒルデは父の怒りから逃れるために、ジークリンデを連れて、逃亡を図ります。
ジークリンデの胎内には、すでにジークムントの子が宿っていたのでした。
ブリュンヒルデは、お腹の子を「ジークフリート」と名付け、ジークムントの形見の剣(二つに折れた破片)を与えて、森の向こうに逃がします。

ヴォータンは、裏切りの罰として、ブリュンヒルデを高い山の頂で眠りにつかせ、一番に目覚めさせた男のものになることを定めます。
その男が臆病者ではなく、英雄であるようにとの願いから、ヴォータンはブリュンヒルデの周りに火をかけ、遠くから見守るのでした。

※ 有名な『ヴァルキューレの騎行』は、ワルキューレの姉妹が嬉々として英雄をヴァルハラ城に運びながら歌うパートです。歌唱がクライマックスになった時、姉妹の一人が、愛馬グラーネにまたがり、遠くから駆けてくる姉のブリュンヒルデと、彼女に保護されたジークリンデの姿を見つけ、「一体、どうしたのかしら」とざわつき始める筋書きです。その後、怒り心頭のヴォータンが追いかけて、父娘の喧嘩になるわけですね。

第二夜『ジークフリート』

森の奥深くで鍛冶屋を営むミーメは、アルベリヒの弟であり、全ての経緯を知っている小人です。
森の中で行き倒れになったジークリンデを助け出し、息子ジークフリートの出産に手を貸すと、そのまま我が子としてジークフリートを育て始めます。

しかし、ジークフリートは、だんだん粗野な若者に育ち、ミーメの手に負えません。
ミーメでさえ直せなかったジークムントの剣『ノートゥンク』も、軽々と鍛え直し、出生の秘密を探し求めて、森の向こうに旅立ちます。
大蛇に姿を変えたファーフナーを打ち倒し、返り血を浴びたジークフリートは、無敵の人となり、小鳥の声が理解できるようになります。

花嫁の目を覚ますことも、ブリュンヒルデを娶ることも
臆病者には出来ません。
出来る者は恐れを知らない者だけ!

という声に導かれ、炎の山を登ってみると、そこには甲冑を身につけた、美しい女性が眠っていました。
初めての口付けで、目覚めた女性こそ、ブリュンヒルデでした。
ジークフリートとブリュンヒルデは幸せに結ばれ、永遠の愛を誓います。

第三夜『神々の黄昏』

同じ頃、ライン川のほとりに住むギーヒビ家の当主グンターは、さらなる栄誉を求めて、神の娘であるブリュンヒルデとの結婚を望んでいました。
しかし、ブリュンヒルデは炎の山に閉ざされ、近づくことはできません。
グンターの異父弟で、奸智に長けたハーゲンは、ジークフリートを利用して、ブリュンヒルデを手に入れることを策略します。

そうとも知らずに、ギーヒビ家を訪れたジークフリートは、ハーゲンによって「忘れ薬」を飲まされ、ブリュンヒルデのことも、何もかも忘れ去ってしまいます。
そして、ハーゲンとグンターのすすめるままに、グンターの美しい妻グートルーネを妻にすることを約束します。

ジークフリートは、隠れ頭巾をかぶって、ブリュンヒルデの寝所に近付き、指輪とブリュンヒルデの両方を手に入れます。
ギービヒ家では、グンターとブリュンヒルデ、ジークフリートとグートルーネの婚礼を祝う宴が開かれますが、その場でブリュンヒルデはジークフリートの不実を詰り、呪いをかけます。
忘れ薬のことを知らないブリュンヒルデには、ジークフリートの心変わりに映ったからです。

その後、ハーゲンはジークフリートを狩りに誘い、ジークフリートを背中から刺し殺します。
無敵のジークフリートにも一つだけ弱点がありました。ファーフナーを倒した時、背中だけは返り血を浴びなかったのです。
ジークフリートは、死の間際、ようやく最愛の妻ブリュンヒルデのことを思い出し、ブリュンヒルデも、これがハーゲンの奸計と気付きます。
ブリュンヒルデは指輪の呪いを解くために、愛馬グラーネにまたがり、ジークフリートの亡骸を包む、薪の炎の中に飛び込みます。
やがてライン川から水が溢れ、大洪水となって、世界を押し流します。
ヴァルハラ城も炎に包まれ、神々の世界も燃え尽きます。

――しかし、世界は再び、明るく照らされ、新たな歴史を始める。その繰り返しです。

見どころ

『ジークフリート』は、「人間界」「天上界」と二部に渡ってドラマが繰り広げられる『ワルキューレ』、モブシーン(合唱)の多い『ラインの黄金』や『神々の黄昏』に比べれば、登場人物も少なく、物語も平坦として、割とシンプルな作りです。

確かに、ヴォーダンによって真っ二つにされた神剣ノートゥンクを鍛える場面や、大蛇ファーフナーとの戦いの場面は、スペクタクルに違いありませんが、オペラでいい年した歌手が演じるとなると、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のようにはいきません。

明らかに作り物と分かるハリボテ・ファーフナーに挑むおじさんジークフリートはコスプレ感が否めませんし、ブリュンヒルデを眠りから醒ます場面も、『眠りの森の美女』のフィリップ王子のように決まらないのが実状です。

それでも、音楽は活気があふれ、最大の見せ場である第一幕第三場『鍛冶の歌』は、18世紀版映画音楽としても最高ですし、森の中で「臆病者にブリュンヒルデを娶ることはできません」と囁く小鳥の歌も白眉のもの。

血統上は祖父にあたる大神ヴォーダンとの闘いも、マーク・ハミルが演じれば、ルーク・スカイウォーカー VS ダース・ベイダーみたいで、めちゃ恰好いいんだろうと思いますが、まあ、音楽だけ聴いても、迫力はありますね。

ある意味、20世紀・映画音楽の原点とも言える作りで、じっくり聞き込めば、本当はワーグナーが一番愛したのは「ジークフリート」ということが分かるのではないでしょうか。

鍛冶の歌

こちらは非常に稀少な映像です。
後述の、ニコラウス・レーンホフ版でジークフリートを演じるルネ・コロです。ブリュンヒルデ役は、エヴァ・マルトン。
1985年にサンフランシスコで録画された映像で、このバージョンは商品化されていません。

恐れを知らない者だけが鍛えることができる神剣ノートゥンク。

それは元々、ヴォーダンがトネリコの幹に突き刺し、逞しく成長した息子ジークムント(神々と世界を救済する為に、人間との間に作った子)が、双子の妹ジークリンデの愛を得て、見事に抜き取ったものです。

ところが、「兄と妹が夫婦として結ばれるなど、忌々しい」とヴォーダンの妻フリッカが訴えた為、ヴォーダンは、豪族フンディングとの戦いに挑むジークムントを見殺しにします。ヴォーダンの眼力によって、ノートゥンクは真っ二つに割れ、ジークムントは命を落としますが、ジークリンデの胎内には既に未来の英雄となるジークフリートが宿っており、ジークリンデは、戦乙女ブリュンヒルデの助力を得て、森に逃れ、ジークフリートを産み落とします。

いわば、ジークフリートにとっては、父ジークムントの仇の剣であり、それを見事に鍛え上げるところに少年の成長と英雄の血筋を感じるわけですね。

こちらはハンマー片手に熱演する、珍しいコンサート形式の映像です。
歌っているのは、アンドレアス・シェイガー Andreas Schager公式サイトを見る)。今もっとも期待されるヘルデン・テノールの一人です。オフィシャルサイトでも斧を持ってます

最近のジークフリートは、ニューヨークの分子ガストロノミーのレストランみたいですね。

見た目も素敵で、歌も良いとは思いますが、それでもやっぱり昭和の三羽ガラスに色気と迫力で負ける・・・

ルネ・コロても、ジークフリート・イェルザレムも、もっと腹の底から湧き出すような迫力があったような。

ミーメもあっさりして、「醜く卑しい侏儒」のイメージとは程遠い。

私が最初に昭和版を見たから、そう感じるのかもしれませんが

大蛇ファフナーとの戦い

ノートゥンクを鍛え、武力を得たジークフリートは、ミーメに連れられて森に出かけます。大蛇ファーフナーが隠し持つ黄金の指環を手に入れるため、ジークフリートをファーフナーと戦わせ、二人が共倒れになってから、指輪を独り占めにしようという魂胆です。

これもハリウッドが手掛ければ、さぞかし手に汗握るスペクタクルになるのでしょうが、舞台では出来ることも限られますし、ディズニー・オン・アイスのような訳にもいきません。

ここは演出家が様々に工夫をこらし、「どうするのかな~」と一番楽しみに感じる場面です。

こちらはビジュアル的にもジークフリートのイメージそのものだったジークフリート・イェルザレムの戦いの場面。
メトロポリタン歌劇場、オットー・シェンクの演出です。

こちらの動画は演者が分からないのですが、よく頑張ってると思います。

これは・・ちょっと凝り過ぎでは。稲荷神社の進化形という感じ。

ヴォーダンとの一騎打ち、ブリュンヒルデの目覚め

これはバレンボイム指揮、パトリス・シェロー演出、バイロイト歌劇場の定番。
ジークフリート=マンフレート・ユング、ブリュンヒルデ=ギネス・ジョーンズの組み合わせも悪くはないが、やはり『ワルキューレ』のジークムント=ペーター・ホフマン、ジークリンデ=ジャニーヌ・マイアーが最高ではないかと。

今世紀においては、パトリス・シェローあたりが、最後のコンサバティブという感じですね。

90年代、レーンホフ演出あたりから、じわじわとジークフリートのサラリーマン化が進む。

ヴォーダンとの一騎打ちも、昭和の頃は、スターウォーズのように差しで勝負していたのですが、21世紀になると、どんどん抽象化され、以前のような時代劇テイストは薄まっています。

『ジークフリート』創作の背景

四部構成からなる『ニーベルングの指環』が「ジークフリートの死」から書き始められたのは有名なエピソードです。

凝り性のワーグナーは、ジークフリートが死に至る経緯から父神ヴォーダンの背負った業まで、とことん突き詰めなければ気が済まなかったのでしょう。

話はどんどん遡り、ついには、神々の黄昏の発端となる「ヴァルハラの築城と黄金の指環」に至ります。

こうした深掘りの経緯を、CD『ニーベルングの指環』のライナーノートでは次のように解説しています。(マレク・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団の情報は後述)

この『指環』は、英雄ジークフリートの死をメイン・テーマとして構成され、『ジークフリートの死』をメイン・テーマとして構成され、『ジークフリートの死』が出来てから、前史が必要となったため、『若きジークフリート』、そして『ワルキューレ』『ラインの黄金』へと逆行して、四つの作品にまで構想がふくらんでいったのである。そして、主人公もジークフリートから、神々の主神であるヴォータンへとと変更されて行かざるをえなかった。

だが、そのヴォータンも、象徴的というか、世界の支配者としての権力のシンボルとなっていった槍(それは天上のトネリコの樹皮で作られた堅牢無比な槍なのだった)を、ジークフリートの剣ノートゥンクにより、一撃のもとに打ち砕かれて、さすらい人(旅人)としての姿のまま消えていくのがこの『ジークフリート』の中で描かれる。

その場面を分岐点として、『指環』は完全に人間の世界が全ての中心となりはじめ、しかも、黄金や財宝をふくめて指環までが、ここにおいて、その由来はおろか、秘められた無限の力も、また所有者にふりかかってくるおそるべき呪いも何ひとつ知らず、理解せぬ持主の手に渡ったことに注意をひかれるのである。

指環をうかがってヴォータン、ミーメ、アルベリヒらは顔をならべるが、無欲で恐れを知らぬ無垢の人ジークフリートには、この作品中では呪いの魔力も効力をみせようとしない。

なお、この作品では、若いジークフリートが、つぎつぎと身に降りかかる体験をとおし心身両面ともに成長をとげていく過程がえがかれていく。あらためて述べるまでもなく、ジークフリートは、『ワルキューレ』での悲劇の双生児の兄妹、ジークムントとジークリンデの結婚によって生まれたヴェルズンク族の英雄。したがって彼はヴォータン直系の孫にあたる純血の人間である。

≪中略≫

ワーグナーは『ワルキューレ』を完成したあと、最初の構想時につけた後の2作の題名をとりやめ、『ジークフリート』『神々の黄昏』と解題することにし、1856年9月ごろ『ジークフリート』の作曲に着手している。ところが、1857年9月にワーグナーは第二幕のなかばでそれを中断した。私生活でもいろんなことがあったのだが、『トリスタンとイゾルデ』の作曲のほうが彼にとってより重大になってきたからである。

結局、再び『ジークフリート』にワーグナーが戻るのは1865年であり、8年の空白が第二幕の途中で起きたわけだ。全曲の完成は、作曲中だった『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のためさらに遅れて1871年2月、じつに14年ぶりの完成ということになった。
小林利之 CD『ジークフリート』(ヤノフスキ&ベルリン放送響)全曲のライナーノートより

ジークフリートの勝利はワーグナーの勝利

舞台では大人が演じますが、設定は10代の少年なので、言動も子どもっぽく、とても英雄には見えません。むしろ、養父であるミーメを煩わせ、手の付けられない暴れん坊のようです。

しかし、実の母の面影を求め、遠く旅立っていったジークフリートは、大蛇ファーフナーを討ち取ると、小鳥のささやきに導かれて、火の燃えさかる山に向かいます。山の頂には、父神ヴォーダンによって眠りに就かされた美しい戦乙女ブリュンヒルデが眠っていました。

恐れを知らない少年ジークフリートは、生まれて初めて女性を目にし、「恐れ」を感じます。しかし、その美しさに心惹かれ、そっと口づけすると、ブリュンヒルデの瞼が開き、二人は強く結ばれます。

シナリオは典型的な少年の成長物語であり、特筆すべきオチはありませんが、養父ミーメに逆らい、家を飛び出して、大蛇と闘い、最後は父神ヴォーダンという最高の権威を打ち破って、絶世の美女(ヴォーダンの愛娘)を手に入れる姿は、旧態依然としたクラシック界に挑むワーグナーの現し身と言えるでしょう。

自分の書いたシナリオ通り、ワーグナーは音楽界の頂点を極め、バイエルン国王ルートヴィヒⅡ世という最高のパトロンを得て、バイロイト歌劇場を建設、念願だった『ニーベルングの指環』の上演に漕ぎ着けます。ジークフリートの勝利はワーグナーの勝利であり、唯一違いがあるとすれば、ジークフリートは背中を刺され、ワーグナーはしれっと天寿を全うした点でしょう。ジークフリートもびっくりの執念と図太さです。

ルートヴィヒⅡ世とのエピソードは現実社会と魂の居場所 映画『ルートヴィヒ』(2012年)とバイロイト祝祭劇場の旅行記に詳しく書いています。

古来より、若者が古き権威を打ち倒し、時代の価値観を塗り替え、その報酬として、美しい娘(地位)を手に入れる物語は定番中の定番です。実際、このプロセスなしに、世界も前進することはなく、成長とは破壊と創造の繰り返しと言えましょう。

そしてまた、その動機に、恋の情熱があることも忘れてはなりません。

文武に長けた英雄と言えど、一人では何も成せず、女性への愛と情熱こそが世界の完成に導く――といったところでしょうか。

楽劇『ジークフリート』はオーソドックスな英雄譚であり、青年らしいメルヘンです。伝統の脚本に則り、型通りの筋書きを、型通りに描いたのが、本作の魅力かもしれません。

→ だからこそ、現代の奇妙キテレツな演出にもマッチする。

昭和のオーソドックス VS 現代演出

80年代から90年代にかけて、経済全盛で、ベルリン・ドイツ・オペラ&三大テノールを筆頭に、世界の名だたる歌手や交響楽団がこぞって来日していた頃、日本も空前のオペラブームで、私も足繁くシンフォニーホールやクラシック専門店に通っていたものです。

当時は、今、目の前の上演している、ゲッツ・フリードリヒやジャン=ピエール・ポネルの演出こそ「現代」と思っていましたが、「昭和も遠くなりにけり」で、もはや古典の仲間入り。2020年代にもなると、舞台はさらに過激化・抽象化し、今では何が何だか分からない様相になっています^; サラリーマンのジークフリートとか、専業主婦のブリュンヒルデとか(^_^;

個人的には、ワーグナーの台本通りの、古典的な舞台が好きなので、「専業主婦と化したブリュンヒルデが都会のアパートでジークフリートで慎ましく暮らしてる」とか、もうやめて~と言いたくなるのですが、詳しい人いわく、「もはや歌劇場もお金がないので、昔のようなグランド・オペラは作れない、また、昔のやり方を踏襲すれば、古い、二番煎じと言われるので、斬新なものをやるしかない」という事情があるそうですが、それにしても、です。トネリコの樹に刺さったノートゥンクをジークリンデが抜いたらダメでしょう・・・

オリジナルの世界観に固執せず、現代風刺としての舞台を楽しみたい方には、2010年以降の現代版は非常に刺激的だし、『リング』の混沌を現代社会に重ねみたい人の気持ちもよく分かります。

また、ヴォーダンが絶対的な権力を持ち、賢い娘も父の命に従わざるをえない、男尊女卑的なリングの世界観も、家父制の崩れた現代においては、少々きつく感じるのも致し方ないかもしれません。(そういう意味で、専業主婦ブリュンヒルデにも説得力はある)

しかしながら、男たちの権力闘争が、ジークリンデやフレイヤなど、愛と平和を願う女性らを不幸のどん底に突き落とし、たった一つの希望であったジークフリートさえもハーゲンの秘術に籠絡される筋書きを思うと、やはり台本から逸脱した演出は、オペラ初心者にとって混乱の元ではないか……という気もするのですよ。

私みたいに、昭和の舞台を知っている者には、「こういう解釈もイイネ」と考える余裕もありますが、21世紀以降に生を受け、ワーグナーのオペラも初めて・・・という若い世代には、「なんでこんなものが時代を超えて支持されるのか」と違和感を抱かれないでしょうか。まるで古典のディズニーよりもパロディ映画「シュレック」(Amazonで予告編を見るを先に見て、価値観をこじらせる現代の子供のようです。

音楽に惹かれて、劇場に足を運んでみれば、見せつけられるのは、英雄ジークフリートではなく、サラリーマン・ジークフリートとなれば、がっかりするファンも少なからず存在するのではないでしょうか。もっとも、今はYouTubeで昭和演出も視聴できますから、それも承知の上で訪れるのでしょうけど。

見方を変えれば、それだけワーグナーの台本が普遍的で、どうにでも解釈できる、奥の深い物語という証しです。

21世紀のキテレツ演出が百年後には忘れ去られても、ワーグナーのスコアは永遠に生き続けると思えば、これこそ永遠のリング・サーガと言えるのではないでしょうか。

参考記事

昭和のヘルデン・テノール 三羽ガラスに関する記事はこちら。

ジークフリート・イェルザレム & メトロポリタン歌劇場

昭和の時代は、ルネ・コロ、ペーター・ホフマン、ジークフリート・イェルザレムの三羽ガラスに加えて、バレンボイム、ジェームズ・レヴァイン、マレク・ヤノフスキなど、指揮者も綺羅星の如くでしたから、今観てもいいなと思う舞台が多いです。

ジークフリートに関しては、ルネ・コロも頑張ってましたが、やはり見た目も若々しいジークフリート・イェルザレムがベストでしょう。

クプファー版も恰好いいですが、ジェームズ・レヴァイン指揮+メトロポリタン歌劇場、オットー・シェンク演出のオーソドックな舞台がおすすめです。

私もDVDを持ってますが、「そうそう、これが観たかったのよ」というジークフリートです。

ブリュンヒルデを演じたヒルデガルド・ベーレンスも秀逸。ビルギッテ・ニルソンの強靱な歌唱と異なり、女性らしさを感じさせる美しい演技です。

他にも動画を見たい方は、「Wagner Seigfried Jersalem」で検索してみて下さい。

楽劇『ジークフリート』 ジェームズ・レヴァイン指揮
楽劇 ジークフリート
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【配役】
ジークフリート ・・ ジークフリート・イェルザレム(テノール)
ミーメ ・・ ハインツ・ツェドニク(テノール)
さすらい人 ・・ ジェイムズ・モリス(バス・バリトン)
ブリュンヒルデ ・・ ヒルデガルト・ベーレンス(ソプラノ)
アルベリヒ ・・ エッケハルト・ヴラシハ(バリトン)
ファフナー ・・ マッティ・サルミネン(バス)
エルダ ・・ ビルギッタ・スヴェンデン(アルト)
森の小鳥の声 ・・ ドーン・アップショウ(ソプラノ)/他

メトロポリタン歌劇場管弦楽団
指揮 : ジェイムズ・レヴァイン
演出 : オットー・シェンク
制作 : 1990年4月 メトロポリタン歌劇場におけるライヴ収録
252分/2枚組片面2層、1層/カラー/日本語字幕 on-off/ステレオ/リニアPCM NTSC 4:3

CD版のブリュンヒルデは、エヴァ・マルトンが演じています。

ルネ・コロ & ウォルフガング・サヴァリッシュ

こちらも昭和の時代には斬新と話題になった1989年のニコラウス・レーンホフ演出、ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮、ミュンヘン国立歌劇場でのライブ映像。

私もレーザーディスクで購入しました。

現在、日本では音源のみ購入可能のようです。

ブリュンヒルデはヒルデガルド・ベーレンス、さすらい人=ヴォーダンのロバート・ヘイル、ファフナーはクルト・モルという、なかなか渋い取り合わせ。

ちなみに、『神々の黄昏』ではハーゲン役をマッティ・サルミネンが演じ、お得意の「集え! ギービヒ家の者たちよ」を熱唱しますが、こちらもメトロポリタン版の方がより邪悪で恰好いいですよ。

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楽天市場にも出品していますが、Amazonの方が安いです。

CDでは、マレク・ヤノフスキ指揮 & ドレスデン・シュターツカペレの全曲盤でルネ・コロが歌っています。
ブリュンヒルデはジャニーヌ・アルトマイヤー。ベーレンスより声が繊細で、ヤノフスキの現代的な指揮に合っています。
こちらもハーゲンは安定のマッティ・サルミネンです。

おまけ マッティ・サルミネンの集え! ギービヒ家の者たちよ!

多分、『ニーベルングの指環』の演出家が一番力を入れてやりたいのは、「神々の黄昏」の「集え! ギービヒ家の者たちよ」ではないかと思います。

ジークフリートに忘れ薬を飲ませて、愛妻ブリュンヒルデのことを忘れさせ、まんまと黄金の指環を手に入れた上に、ジークフリートを妹のグートルーネと娶せ、ブリュンヒルデはギービヒ家の主人グンターに与えることに成功したハーゲンが、野心の達成を祝うように「集え、ギービヒ家の者たちよ!」と呼びかける勇ましい音楽です。

現代に喩えれば、ハンス・ジマーか、マーヴェルか、といった印象ですね。

どす黒い勝利の雄叫びが響き渡ります。

いまだかつて、マッティ・サルミネンを超える「ハイホ-」は観たことがありません。

こちらがメトロポリタン版

こっちがサヴァリッシュ指揮のレーンホフ版。
このあたりから、だんだん社会風刺色が色濃くなってきます。
ギービヒ家の者たちも、もろにアレですし(^_^;
でも、マッティ・サルミネンはいつ見ても恰好いいですね。

ハーゲン、ハーゲン、デンドンデンドンデンドン・・のティンパニが20世紀音楽映画の元祖という感じです。

ちなみに、レーンホフ版の映像ソフトは、要所要所に、心象風景が差し込まれて、アニメ映画っぽく仕上がっています。

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今はCDを買うより、音楽配信サービスで視聴する人の方が多いので、ライナーノートに収録された歌詞カードを目にする機会も激減しているのではないでしょうか。
そういう時代だからこそ、解説付きの対訳本は非常に参考になると思います。
機会があれば、ぜひ手に取ってみて下さい。

誰かにこっそり教えたい 👂
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保留!!楽劇『ジークフリート』あらすじと創作の背景 horyuu

ニーベルングの指環と第二夜『ジークフリート』

『ニーベルングの指輪』 あらすじ

リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ジークフリート』は、長大な楽劇『ニーベルングの指輪』の四部作の三作目、「第二夜」として作曲されました。

主な構成は次の通りです。

序夜『ラインの黄金』

神々の長ヴォータンは、ヴァルハラ城を建設する為に、二人の巨人の兄弟、ファーフナーとファーゾルトをこき使い、報酬として、美の女神フライアを与えることを約束していました。
フライアは、神々の長寿の源である黄金の林檎を管理する女神でもあり、彼女を巨人たちに差し出せば、神々の命の源も尽きてしまいます。
ヴォータンの妻で、フライアの姉でもある、女神フリッカは、夫であるヴォーダンに契約の破棄を迫り、ヴォータンも渋々ながら、これを承諾します。

一方、地底のニーベルハイムでは、醜い小人のアルベリヒが黄金の指輪を使って、仲間を支配し、地中の黄金を集めていました。
指輪は、ラインの乙女たちから奪い取った黄金で作ったもので、愛を断念した者だけが世界を支配する力を身に付けることができます。

それを知ったヴォータンは、奸智に長けた火の神ローゲを伴って、ニーベルハイムに赴きます。
ローゲは、アルベリヒを騙して、カエルの姿に変え、ヴォータンは無力になったアルベリヒから黄金の指輪を取り上げます。
憎悪したアルベリヒは、指輪に激しい呪いをかけ、それを手にした者には死がもたらされると預言します。

しかし、ヴォータンや他の神々は、アルベリヒの呪いなど気にもかけず、女神フライアと引き換えに、黄金の指輪をファーフナーとファーゾルト兄弟に与えます。

ところが、黄金の輝きに魅せられたファーフナーとファーゾルトは、さっそく指輪の所有をめぐって口論となり、ファーフナーはファーゾルトを殴り殺してしまいます。

その様を目にしたヴォータンは、アルベリヒの呪いがいつか神々を滅ぼすと予感しながら、完成したヴァルハラ城に入城します。

第一夜『ヴァルキューレ』

神々の没落を恐れるヴォータンは、指輪の呪いを解くために、神の掟からも、人間社会からも自由な英雄を探し求めます。
誇り高いヴェルズンク族の女性と交わり、双子の兄妹ジークムントとジークリンデをもうけます。
しかし、幼い兄妹は争いに巻き込まれて離ればなれになり、兄のジークムントは、豪族フンディングに追われて、森を彷徨います。

深手を負い、森の中の小屋に逃げ込んだジークムントを優しく介抱したのは、フンディングの妻ジークリンデでした。
兄や父から離ればなれになったジークリンデは、戦利品としてフンディングにもらわれ、無理矢理、花嫁にされたのです。
ジークムントとジークリンデは、兄妹ながらも、激しい恋に落ち、フンディングの追跡を逃れて、森の奥深くに駆け落ちします。

兄妹の父親でもあるヴォータンは、最愛のヴァルキューレ(ヴォーダンが人間の女性との間にもうけた8人の姉妹。戦場で死んだ英雄をヴァルハラに運ぶ)の長でもあるブリュンヒルデを呼び寄せ、ジークムントを勝利に導くよう命じます。

しかし、ヴォータンの妻フリッカは、「兄妹が結ばれるなど、とんでもない」とヴォータンを叱責し、決闘の結末を変えるよう、ヴォータンに求めます。
ヴォータンは、神々の長である立場から、フリッカの申し出に逆らうことができません。
再び、ブリュンヒルデを呼び寄せ、決闘でジークムントが死んだら、ヴァルハラに運ぶよう、要請します。

ブリュンヒルデは、森の中でしばしの休息をとるジークムントの前に現れ、「あなたは私と一緒にヴァルハラに行かねばならない」と、決闘で死ぬことを告げます。
ジークムントは、「自分一人がヴァルハラに行くことはできない。哀れな妹も一緒に連れて行きたい」と懇願しますが、ブリュンヒルデは、「ヴァルハラに行けるのは、ジークムント一人です」と冷徹に答えます。
それを知ったジークムントは、妹を一人、置き去りにすることはできないと、その場で妹の命を絶とうとします。
兄妹の深い愛に感銘を受けたブリュンヒルデは、父の命に背き、ジークムントの勝利を約束します。

しかし、ヴォータンは娘の裏切りに怒り狂い、決闘の場に現れて、ジークムントの剣を二つに折ってしまいます。
剣を失ったジークムントは、フンディングに刺し殺され、フンディングもまた、ヴォータンの手にかかって、絶命するのでした。

最愛の人の死を目の当たりにしたジークリンデは嘆き悲しみ、ブリュンヒルデは父の怒りから逃れるために、ジークリンデを連れて、逃亡を図ります。
ジークリンデの胎内には、すでにジークムントの子が宿っていたのでした。
ブリュンヒルデは、お腹の子を「ジークフリート」と名付け、ジークムントの形見の剣(二つに折れた破片)を与えて、森の向こうに逃がします。

ヴォータンは、裏切りの罰として、ブリュンヒルデを高い山の頂で眠りにつかせ、一番に目覚めさせた男のものになることを定めます。
その男が臆病者ではなく、英雄であるようにとの願いから、ヴォータンはブリュンヒルデの周りに火をかけ、遠くから見守るのでした。

※ 有名な『ヴァルキューレの騎行』は、ワルキューレの姉妹が嬉々として英雄をヴァルハラ城に運びながら歌うパートです。歌唱がクライマックスになった時、姉妹の一人が、愛馬グラーネにまたがり、遠くから駆けてくる姉のブリュンヒルデと、彼女に保護されたジークリンデの姿を見つけ、「一体、どうしたのかしら」とざわつき始める筋書きです。その後、怒り心頭のヴォータンが追いかけて、父娘の喧嘩になるわけですね。

第二夜『ジークフリート』

森の奥深くで鍛冶屋を営むミーメは、アルベリヒの弟であり、全ての経緯を知っている小人です。
森の中で行き倒れになったジークリンデを助け出し、息子ジークフリートの出産に手を貸すと、そのまま我が子としてジークフリートを育て始めます。

しかし、ジークフリートは、だんだん粗野な若者に育ち、ミーメの手に負えません。
ミーメでさえ直せなかったジークムントの剣『ノートゥンク』も、軽々と鍛え直し、出生の秘密を探し求めて、森の向こうに旅立ちます。
大蛇に姿を変えたファーフナーを打ち倒し、返り血を浴びたジークフリートは、無敵の人となり、小鳥の声が理解できるようになります。

花嫁の目を覚ますことも、ブリュンヒルデを娶ることも
臆病者には出来ません。
出来る者は恐れを知らない者だけ!

という声に導かれ、炎の山を登ってみると、そこには甲冑を身につけた、美しい女性が眠っていました。
初めての口付けで、目覚めた女性こそ、ブリュンヒルデでした。
ジークフリートとブリュンヒルデは幸せに結ばれ、永遠の愛を誓います。

第三夜『神々の黄昏』

同じ頃、ライン川のほとりに住むギーヒビ家の当主グンターは、さらなる栄誉を求めて、神の娘であるブリュンヒルデとの結婚を望んでいました。
しかし、ブリュンヒルデは炎の山に閉ざされ、近づくことはできません。
グンターの異父弟で、奸智に長けたハーゲンは、ジークフリートを利用して、ブリュンヒルデを手に入れることを策略します。

そうとも知らずに、ギーヒビ家を訪れたジークフリートは、ハーゲンによって「忘れ薬」を飲まされ、ブリュンヒルデのことも、何もかも忘れ去ってしまいます。
そして、ハーゲンとグンターのすすめるままに、グンターの美しい妻グートルーネを妻にすることを約束します。

ジークフリートは、隠れ頭巾をかぶって、ブリュンヒルデの寝所に近付き、指輪とブリュンヒルデの両方を手に入れます。
ギービヒ家では、グンターとブリュンヒルデ、ジークフリートとグートルーネの婚礼を祝う宴が開かれますが、その場でブリュンヒルデはジークフリートの不実を詰り、呪いをかけます。
忘れ薬のことを知らないブリュンヒルデには、ジークフリートの心変わりに映ったからです。

その後、ハーゲンはジークフリートを狩りに誘い、ジークフリートを背中から刺し殺します。
無敵のジークフリートにも一つだけ弱点がありました。ファーフナーを倒した時、背中だけは返り血を浴びなかったのです。
ジークフリートは、死の間際、ようやく最愛の妻ブリュンヒルデのことを思い出し、ブリュンヒルデも、これがハーゲンの奸計と気付きます。
ブリュンヒルデは指輪の呪いを解くために、愛馬グラーネにまたがり、ジークフリートの亡骸を包む、薪の炎の中に飛び込みます。
やがてライン川から水が溢れ、大洪水となって、世界を押し流します。
ヴァルハラ城も炎に包まれ、神々の世界も燃え尽きます。

――しかし、世界は再び、明るく照らされ、新たな歴史を始める。その繰り返しです。

創作の背景

四部構成からなる『ニーベルングの指環』が「ジークフリートの死」から書き始められたのは有名なエピソードです。

凝り性のワーグナーは、ジークフリートが死に至る経緯から父神ヴォーダンの背負った業まで、とことん突き詰めなければ気が済まなかったのでしょう。

話はどんどん遡り、ついには、神々の黄昏の発端となる「ヴァルハラの築城と黄金の指環」に至ります。

こうした深掘りの経緯を、CD『ニーベルングの指環』のライナーノートでは次のように解説しています。

この『指環』は、英雄ジークフリートの死をメイン・テーマとして構成され、『ジークフリートの死』をメイン・テーマとして構成され、『ジークフリートの死』が出来てから、前史が必要となったため、『若きジークフリート』、そして『ワルキューレ』『ラインの黄金』へと逆行して、四つの作品にまで構想がふくらんでいったのである。そして、主人公もジークフリートから、神々の主神であるヴォータンへとと変更されて行かざるをえなかった。

だが、そのヴォータンも、象徴的というか、世界の支配者としての権力のシンボルとなっていった槍(それは天上のトネリコの樹皮で作られた堅牢無比な槍なのだった)を、ジークフリートの剣ノートゥンクにより、一撃のもとに打ち砕かれて、さすらい人(旅人)としての姿のまま消えていくのがこの『ジークフリート』の中で描かれる。

その場面を分岐点として、『指環』は完全に人間の世界が全ての中心となりはじめ、しかも、黄金や財宝をふくめて指環までが、ここにおいて、その由来はおろか、秘められた無限の力も、また所有者にふりかかってくるおそるべき呪いも何ひとつ知らず、理解せぬ持主の手に渡ったことに注意をひかれるのである。

指環をうかがってヴォータン、ミーメ、アルベリヒらは顔をならべるが、無欲で恐れを知らぬ無垢の人ジークフリートには、この作品中では呪いの魔力も効力をみせようとしない。

なお、この作品では、若いジークフリートが、つぎつぎと身に降りかかる体験をとおし心身両面ともに成長をとげていく過程がえがかれていく。あらためて述べるまでもなく、ジークフリートは、『ワルキューレ』での悲劇の双生児の兄妹、ジークムントとジークリンデの結婚によって生まれたヴェルズンク族の英雄。したがって彼はヴォータン直系の孫にあたる純血の人間である。

≪中略≫

ワーグナーは『ワルキューレ』を完成したあと、最初の構想時につけた後の2作の題名をとりやめ、『ジークフリート』『神々の黄昏』と解題することにし、1856年9月ごろ『ジークフリート』の作曲に着手している。ところが、1857年9月にワーグナーは第二幕のなかばでそれを中断した。私生活でもいろんなことがあったのだが、『トリスタンとイゾルデ』の作曲のほうが彼にとってより重大になってきたからである。

結局、再び『ジークフリート』にワーグナーが戻るのは1865年であり、8年の空白が第二幕の途中で起きたわけだ。全曲の完成は、作曲中だった『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のためさらに遅れて1871年2月、じつに14年ぶりの完成ということになった。

小林利之 CD『ジークフリート』(ヤノフスキ&ベルリン放送響)全曲のライナーノートより

ジークフリートの見どころ

舞台では大人が演じますが、設定上は10代の少年なので、言動も子どもっぽく、とても英雄には見えません。むしろ、養父であるミーメを煩わせ、手の付けられない暴れん坊のようです。

しかしながら、実の母の面影を求め、遠く旅立っていったジークフリートは、大蛇ファーフナーを討ち取ると、小鳥のささやきに導かれて、火の燃えさかる山に向かいます。その頂には、父神ヴォーダンによって眠りに就かされた美しい戦乙女ブリュンヒルデが眠っていました。生まれて初めて女性を目にした少年ジークフリートは、その美しさに心を打たれ、そっと口づけます。するとブリュンヒルデの目が開き、二人は熱く結ばれます。

物語は、典型的な少年の成長物語であり、特筆すべきオチはありませんが、養父ミーメの教えに逆らい、最後は父神ヴォーダンという最高の権威を打ち破って、彼の愛娘を手に入れる姿は、旧態依然としたクラシック界に挑むワーグナーの現し身であり、ジークフリートの勝利は、ワーグナーの野心達成といったところでしょうか。

古来より、若者が古き権威を打ち破り、新時代を幕開けると同時に、(その報酬として)美しい娘を手に入れる物語は定番中の定番です。

あるいは、このプロセスなしに、世界も前進することはなく、成長とは破壊と創造の繰り返しなのかもしれません。

そしてまた、その動機に、恋慕の情熱があることも忘れてはなりません。

英雄と言えども、一人では弱く、また世界に対する野心だけでは、物事は成せない――といったところでしょうか。

ジークフリートは古典的な英雄譚であり、青年らしいメルヘンです。

伝統の脚本に従って、決まった物語を、決まった通りに描いたのが、本作の魅力かもしれません。

昭和の名盤

マレク・ヤノフスキ版

マレク・ヤノフスキ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン管弦楽団の『ニーベルングの指環』 全曲版はSpotifyで視聴できます。
ジークフリート=ルネ・コロ、ブリュンヒルデ=ジャニーヌ・アルトマイヤー、ヴォータン=テオ・アダム、という豪華キャスト。
ヤノフスキのオーソドックスな演奏と、ルネ・コロ&ジャニーヌ・アルトマイヤーの透明感のある高音がマッチして、現代的な演奏に仕上がっています。

Der Ring des Nibelungen

Amazonで買う(安価な日本版中古あり)
楽天ブックスで買う(輸入盤)

ジェームズ・レヴァイン版

こちらも原作に忠実なオットー・シェンク演出による舞台。
レヴァイン指揮&メトロポリタン管弦楽団の華やかな演奏と相成って、古典的ながらも、現代スペクタクルのような舞台が楽しめます。
ジークフリート=ジークフリート・イェルザレム、ブリュンヒルデ=ヒルデガルト・ベーレンスという黄金コンビも見物。
ベーレンスの演技は、ビルギッテ・ニルソン的な強硬なタイプとひと味違い、宝塚的な凜々しさと優しさを感じます。
初心者は、いきなり現代演出に挑むより、古典的な演出からアプローチした方が親しみやすいですよ。

楽劇 ジークフリート
楽劇『ジークフリート』 ジェームズ・レヴァイン指揮

【配役】
ジークフリート ・・ ジークフリート・イェルザレム(テノール)
ミーメ ・・ ハインツ・ツェドニク(テノール)
さすらい人 ・・ ジェイムズ・モリス(バス・バリトン)
ブリュンヒルデ ・・ ヒルデガルト・ベーレンス(ソプラノ)
アルベリヒ ・・ エッケハルト・ヴラシハ(バリトン)
ファフナー ・・ マッティ・サルミネン(バス)
エルダ ・・ ビルギッタ・スヴェンデン(アルト)
森の小鳥の声 ・・ ドーン・アップショウ(ソプラノ)/他

メトロポリタン歌劇場管弦楽団
指揮 : ジェイムズ・レヴァイン
演出 : オットー・シェンク
制作 : 1990年4月 メトロポリタン歌劇場におけるライヴ収録
252分/2枚組片面2層、1層/カラー/日本語字幕 on-off/ステレオ/リニアPCM NTSC 4:3

CD版のブリュンヒルデは、エヴァ・マルトンです。

オペラ対訳ライブラリー

こちらはクラシック・ファン必携のオペラ読本。
創作の背景や上演までのプロセスなど、専門的な情報も満載。
ドイツ文学研究の第一人者による、決定版新訳。
文芸読み物としても完成度の高い対訳本です。ドイツ語の勉強にもおすすめ。

ワーグナー ニーベルングの指環(下)第2日『ジークフリート』・第3日『神々の黄昏』 オペラ対訳ライブラリー
オペラ対訳ライブラリー ニーベルングの指環(下巻)

参考サイト

昭和のバイロイト祝祭劇場を彩った三羽ガラス『ルネ・コロ、ペーター・ホフマン、ジークフリート・イェルザレム』に関する話題はこちら。『ローエングリン』のあらすじと創作の背景を併せて紹介しています。
楽劇『ローエングリン』と真の英雄 ~誰かを本当に愛したら / 昭和のヘルデン・テノールと名盤紹介

狂王と呼ばれた若く美しいバイエルン国王『ルートヴィヒ』の生涯をイケメン俳優を起用して現代的に演出した伝記映画。筆者が実際にバイロイトを訪れた時の記念写真も掲載しています。
現実と魂の居場所 映画『ルートヴィヒ』とワーグナー(バイロイト祝祭劇場の写真付き)

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