自己無価値観のある子供に教育は響かない

看護でも、根底に自己無価値感のある患者さんへの療養指導は響かないことが多いです。「煙草は止めましょう」「一日一回は筋力トレーニングをしましょう」とすすめめても、生きる気力のない人はウンウンと頷くだけで、TVドラマのヒロインみたいに必死にリハビリしたり、食事に気を付けるようなことはありません。病気であろうと、なかろうと、未来に希望もないので、好きな煙草を止めたり、うんうん唸りながら筋力トレーニングをするなど、面倒でしかないんですね。

子供もそれと同じで、根底に自己無価値感があると、将来に備えて勉強しろ、等々、説いて聞かせても、心に響きません。こちらの言っている言葉の意味すら分かってないと思います。

人が努力できるのは、未来に希望があるからで、希望も潰えたら、生きる意味もなくなります。目標もなければ、愛する家族や友人もない、そもそも何の為に生きているのか分からない、生きるだけ無駄……みたいに自棄になっている子供に励ましや説教は苦痛なだけでしょう。

看護でも、生きる意欲のある人はともかく、会社にも家族にも見放され、もういつ死んでもいい……みたいな気分になっている人に、筋トレや食事療法について、くどくど言って聞かせることはしません。まずは医療スタッフとの間に信頼関係を築いて、生きてもらうことが最優先です。「毎週火曜日の診察日にドクターと看護師さんに会うのが楽しみ」というだけでも、十分に生きる理由になります。それを欠いて、努力や忍耐を求めても、相手を苦しめるだけで、決して上手くいかないんですね。

子供が死にたいとか、何の為に生きているのか分からない、とか言い出した時、あれこれ励ましたり、「あの子はもっと苦労している」とか比較論を持ち出したり、なんとか考えを変えようとする人も少なくないですが、今自分が必要とされている実感が第一でしょう。会社員でも、仕事で落ち込んでいる時に、「こんな時、スティーブ・ジョブズは……」みたいな話をこんこんと言い聞かされるより、「でも、他部署では、○○さんは気が利くと評価が高いですよ」という一言の方がよほど支えになるでしょう。

周りに愛され、必要とされている実感は、一度や二度の親切で身に付くものではありません。

毎日ハグする、「すごいね」「可愛いね」「大好きだよ」といっぱい声かけする、週に一度は大好きなご馳走が食卓に並ぶ、一緒に映画を観たり、プールで泳いだりする、等々、日々の積み重ねによって育まれるものだと思います。

外国の家庭を見ていると、八十歳を過ぎた親が五十代の子供をハグしたり、高校生の息子がママの頬にキスしたり、ホームパーティーで娘のピアノ演奏を褒め合ったり、まさにハリウッド映画の世界ですが、こんな環境に育っていれば、死にたいとか、何の為に生きているか分からない、みたいな感情とは無縁だろうなと、つくづく思います。

誰かにこっそり教えたい 👂
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