この本を読んで、彼女が男に弄ばれたのも、AVの世界に染まったのも、全て自業自得という見方をする人もあるでしょう。
しかし、少女の頃から、男に遊ばれたい、性を売り物にしたいと望んで生まれてくる女の子があるでしょうか。
援助交際をやっている子が、「身体を売ったところで、減るものじゃない。何が悪いの」とうそぶく事もありますが、彼女たちはお金と引き換えに、自尊心を磨り減らしていることに気付いていません。
自分で自分を愛せないから、いくらでも自分を汚すことができるし、自分を汚せば汚すほど、自己嫌悪に陥り、ますますどうでもよくなってしまうのではないでしょうか。
自分で自分を愛せないのは、自分に愛されるだけの価値があると思っていないからです。
幼い頃から、親に無視され、否定され、自分を抑え続けた結果ですね。
ところが、親の方は、こうした子供の「見せかけの従順」や「反抗する気力もなくした抜け殻」に気付かず、ますます子供を締め付けていきます。
そんな中で、子供はどうやって愛と幸福の実感を得るのでしょう。
『愛』という芸名は、十六歳の時、「みんなに愛される子になるように」とお店のママが付けてくれた源氏名だそうです。
『愛が欲しい』――それが愛ちゃんの求めた全てでした。
お金でも、人気でも買えないものを、ずっと探し求めて、三十六歳の若さで亡くなりました。
そんな年齢になっても、まだ親に「生きるのが辛い、家に帰ってゆっくりしたい」と打ち明けることができなかった事を思うと、居たたまれない気持ちです。(死因には諸説ありますが、最悪の結果になる前に、実家に帰る選択肢もあったでしょう)
世の中には、愛を嗤う人もありますが、愛なくして、人は生きていけません。
大人になってから、何を得ようと、どんな素晴らしい人と出会おうと、愛の原型は、子供時代、親との間にしか作れませんし、よほど努力して、人間関係の能力を磨かない限り、一生、虚しく終わってしまうのではないかと思います。
繰り返しになりますが、好んで、こんな生き方、死に方を選んで生まれてくる女の子はないですし、女の子にとって『愛』がどれほど大切か、理解していている人も少数という気がします。
もし、あなたの周りに女の子がいるならば、たくさん愛を与えて、安心させてあげましょう。
どんな時も、愛に飢えて、愛にさまよう、淋しい女にならないように。
(若い女の子は、それを彼氏に求めて、恋愛にも失敗するのです)