昨年9月に、家人と一緒にフランスを旅行した時の話です。
フランスといえば『ベルサイユのばら』。
観光するとしたら、ベルサイユ宮殿しか思いつかないほど、「ベルばら」への思い入れは強く、
「君は、宮殿だの、宝石だの、ドレスだのって、本当にお姫様チックなのが好きだなあ」
と、彼に呆れられても、好きなものは好きだし、ベルサイユを訪れずして私の人生は終わらないのです。
ともかく長年の夢が叶って、憧れのベルサイユ宮殿を訪れたのはいいですが、豪華なシャンデリアや調度品、目もくらむような鏡の間や王妃の間を見るにつけ、マリー・アントワネットの哀しみが心に流れ込んでくるようで、とうとう階段の踊り場で、人目もはばからず、ぼろぼろ泣き出してしまいました。
由緒あるハプスブルグ家、オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘に生まれ、美しい宮殿で蝶よ花よと育てられてきた王妃マリー・アントワネット。
政略結婚で、フランス国王ルイ16世の元に嫁いでからも、大勢の取り巻きに囲まれて、朝から晩まで、踊り、歌い、着飾り、優雅で美しい『ベルサイユのばら』として君臨してきました。
しかし、彼女の贅沢ぶりは重税や貧困にあえぐ国民の怒りを買い、王制の悪の象徴として追放され、裁かれ、やがては断頭台の露と消えて行きます。
それまで大輪のバラのように咲き誇ってきた王妃マリーが、まるで別世界のものでしかなかった貧しい平民によって豪華なベルサイユ宮殿から引きずり出され、王位も財産も家族も全て奪われたあげく、カビくさいコンシェルジェリーの牢獄に閉じこめられ、最後は罪人として市内を引きずり回された後、大勢の市民の前で処刑された事を思うと、あまりにも哀れで、切なく思うんですね。
私も王族の生活や価値観などよく分かりませんが、子供の時から宮殿という特殊な場所で生きてきたマリーにしてみたら、好きなだけドレスや宝石を買うのも、朝から晩まで踊り、歌うのも当たり前のことで、罪悪とは思ってなかったのではないでしょうか。
彼女にしてみたら、
「どうして国民は私を憎むの?」
「あの人達は何を苦しんでいるの?」
という感じで、根底から価値観や生活感覚が第三身分の平民とはかけ離れていたのでは、と思います。
彼女が、国民の生活の実態、王族と平民との感覚のズレ、革命の意味を本当に理解したのが、何もかも失い、罪人として投獄されてからであるなら、訳も分からないままベルサイユを追放された彼女の思いというのは、ただもう茫然たるものではなかったかという気がします。
もし彼女が何もかも理解した上で、国民や革命に反抗的であったなら、反政治的な思想や運動を禁じたり、抵抗分子を虐殺したり、もっと早くに革命の芽を摘んでいたと思うのですが。
「私が一体どんな悪いことをしたというの?」
シャンデリアの輝くベルサイユ宮殿には、そんなマリーの戸惑いや哀れさが漂っています。
目を見張るほど豪華だけれど、どこか淋しい感じがするのは、落陽のぼんやりとした光を思わせるからかもしれません。
ところで、このタイトル、どうして「海を渡ったベルサイユのばら」かと言いますと、嫁入り道具(?)の一つとしてポーランドに全巻持参したからです。
男性など興味の無い方にはなかなか分からないと思いますが、一度でも「ベルばら」を読みふけり、オスカル様に憧れ、宝塚の舞台に心湧いた人なら、いつまでも手元に持っておきたい気持ちが分かるのではないでしょうか。
家事の合間に、ポーランドのキッチンの片隅でこっそり「ベルばら」を読み返すのは、また格別の趣があります。
日本ほど「漫画」という文化が浸透していないポーランドの人にとっては、お目目キラキラのマリー・アントワネットや、バックにバラを山ほど背負ったオスカル様とアンドレのラブシーンは、異様なものでしかないみたいです・・・(;_;)
記:03/02/22(土)