原題は『Redemption』(償い)。
戦場の狂気から、罪なき民間人を殺害したジョゼフと、性的ハラスメントから逃れる為に体操コーチを殺めてしまったクリスティーナの、それぞれの償いを描いています。
罪を背負った人に共通するのは、『罪をおかした人間は、決して幸せになってはならない』という思い込みです。
本人がそれを自分に課しているケースもあれば、世間が幸せになることを許さないケースもあり、黒か白かで単純に割り切れる問題ではありません。
では、罪をおかした人間は、真っ当に暮らすことも、人を愛し、愛されることも、許されないのでしょうか。
私は決してそうは思いません。
そこに贖罪の気持ちがある限り、どんな罪人も、人間らしく生き直す権利があると思います。
とりわけ、キリスト教においては、「改悛」に重きを置いています。
一度も罪をおかしたことのない人間より、罪を悔いた人間の方がいっそう尊いという考え方です。
しかし、一度でも罪をおかせば、もう二度と、昔の無垢な自分には戻れないというのが、良識ある人間の感覚でしょう。
たとえ神が許しても、自分で自分が許せない。
自分みたいな人間は、決して幸せになってはならないのだ――と思い込み、激しい自責の念から、たとえ幸せになるチャンスが目の前に訪れても、わざと背を向け、再び破滅に走る人も少なくないと思います。
本作でも、クリスティーナはジョゼフと結ばれ、一人の女性として幸せに生きることも可能でした。
ジョゼフも裏社会と関わりがあったにせよ、始末を付けた後は、一人の市民として更生する機会があったはずです。
にもかかわらず、二人はそのような選択はせず、さらなる茨の道を選びました。
クリスティーナは、ロンドンよりもっと環境の厳しいアフリカに赴き、ジョゼフは逮捕や報復を覚悟で、ロンドンの町中を歩いて行きます。
愛の団居に背を向け、再び孤独と戦いの日々に身を投じるのは、やはり自分で自分を許すことができなかったからでしょう。
罪をおかした者は、一生、笑うことも、休むことも断念し、世の為、人の為に、永久に奉仕しなければならない。
そんな覚悟と諦念を感じます。
だが、そんな決意の狭間にも、癒しと幸福を求める気持ちがあり、本作はその隙間を上手に描いています。
わざと背を向けることもなければ、近付きすることもなく、まるで初恋のように切ない距離感が、本作の醍醐味ではないでしょうか。
この後、アフリカに赴任するクリスティーナには大変な苦労が待ち受けているだろうし、ジョゼフも今後は英国軍だけでなく、ギャングにも追われ、安住の地など何所にもありません。
それでも人間らしく働き、愛を交わしたひと夏の思い出に支えられ、最後まで、真っ当な人生を歩み続けるのではないでしょうか。
上空に羽ばたく監視カメラ『ハミング・バード』=神の目は、これからも彼らの為す様を見つめ、いつかそれにふさわしい結末をもたらすでしょう。
もしかしたら、本当の救いは『神』や『天国』ではなく、すぐ側にいる人の真心であり、触れ合いかもしれません。