一見クレイジーなナンパ娘・カサンドラには深い心の傷があった。無残な形で将来を絶たれた親友ニーナのために、男たちに復讐していたのだ。そんな中、バイト先で再会した同窓生ライアンと恋に落ち、カサンドラは幸福を掴もうとする。ところが、ライアンの意外な過去が明らかになり……。
現代の性犯罪と男女差別、女性の意識の変化などをポップに描いた話題作の見どころを解説。
コラム『女性と向き合えない男たち』『キャリーマリガンと現代女性の本音』と併せて。
作品の見どころ
性犯罪、自死、トラウマ、挑発、乱痴気騒ぎと、シリアスな内容にもかかわらず、どこか漫画ちっくで、重さを感じさせないのは、従来の 「me, too」と異なり、思想は控え目に描いているからだろう。
たとえば、ジョディ・フォスターが体当たりで被害者を演じた『告発の行方』(ジョナサン・カプラン監督 1989年)は、その暴力性と二次被害の実態が前面に強く押し出され、「全米の心臓を止めた」とまで言われたが、本作はそこまで直球ではなく、悲劇的な結末さえ、どこか滑稽である。
本格的な社会ドラマと、女性向けドラマの違いと言われたら、それまでだが、21世紀になり、視聴者、特に女性の受け止め方も大きく変わったと感じる。
『告発の行方』のような直球の内容は、あまりに重すぎて、多分、現代の若い視聴者には耐えられない。
それよりも、事件の外側から、浅く、ポップに迫る方が、訴求力もある。
裕福な若妻の異食症を描いた『SWALLOW/スワロウ』もそうだが、現代の女性に訴えるには、青筋を立てて叫ぶのではなく、感覚的にじわじわくる方が共感を呼びやすいからだろう。
『SWALLOW/スワロウ』も、『プロミシング・ヤング・ウーマン』も、Instagramのショートムービーを思わせるような、ポップで、お洒落な映像に仕上がっている。
口コミもSNSで拡散することを思えば、性的刺激の少ない、ファッショナブルな演出が好まれるのも頷ける話である。(『告発の行方』の予告編は、現代のSNSにはキツイ)
ストーリーには賛否両論あるだろうが、漫画みたいな展開にもかかわらず、重要なメッセージはしっかり伝える脚本はアカデミー賞にふさわしい出来映えだし、『告発の行方』のような社会ドラマではなく、新感覚のヤングアダルト・ムービーと思えば納得がいく。
現代の作り手は、映画館(真性映画ファン)とビジュアル系SNS(ライトな若い視聴者)の両面からアプローチする必要があることを考えると、そのまんま、InstagramのSTORYになりそうな映像美は、今後も重宝されそうだ。
女性と向き合えない男たち
傍観者も罪人
『プロミシング・ヤング・ウーマン』には、性犯罪にまつわる、典型的なキャラクターが登場する。
● 同じ女性ながら、所詮、他人事の同級生 ・・ マディソン
● 面倒を嫌う学校関係者 ・・ 大学長
● 現実主義の善人 ・・ ライアン
● 利己主義の卑怯者 ・・ アル
● 罪と知りながら、加害者をかばう実力者 ・・ 弁護士
● 自死に追い込まれる被害者 ・・ ニーナ
● 友人を救えなかった自分が許せない ・・ カサンドラ
『告発の行方』でも、罪と知りながら傍観していた酒場の客が厳しく糾弾されるが、本作でも要点は同じだ。
加害者はもちろんのこと、仲間内で笑いものにした者や罪をもみ消した者、保身から知らんふりを決め込んだ人間が復讐の対象となる。
誰か一人でも「やめろ」と止めに入れば、ニーナも死なずに済んだだろうに、「酔ったはずみ」「悪ふざけ」の範疇で処理され、被害女性に手を差しのべることはなかった。
理由は、加害者が「プロミシング・ヤング・マン」(将来有望な男性)だったから。
たかがS○X、女も酔ってたじゃん、という理由で、不問に付され、女性は泣き寝入りするしかない。
事実は誰の目に明らかでも、法的な証拠がなければ立証することもできず、被害女性の人権も踏みにじられる。
そう考えると、『傍観者』も加害者と同じくらい悪質で、共に責任を負うのは当然だろう。
昨今、メディアで取りあげられる性犯罪も、複数犯によるものが多いが、実際に加担した人間はそれ以上と思う(面白半分に被害ビデオを閲覧した人も含めて)。
性犯罪を増長する要素を、個々のキャラクターに擬人化し、かちかち山のノリで懲らしめる演出はスリラーとしても面白かった。
※ トリックが、「さすが元医学生」と唸らせる。
女性と向き合えない現代の男性
日本でも、女性をドラッグや一気飲みで泥酔させて、乱暴する事件が後を絶たないが、理由の一つは、女性と向き合えない男性が増えているからではないかと思ったりする。
たとえば、カサンドラと恋に落ちるライアンは、ある一点を除けば、いたって普通の男性である。
勇気をふるって、女性をデートに誘い、早々と手を付けるのではなく、女性の気持を汲みながら、徐々に歩みを進める。
むしろ、理想的なタイプである。
心に深い傷を負ったカサンドラも、「この人ならば」と心を開き、そのまま結婚に到りそうだったほどだ。
また、加害者であるアルも、本命に対しては、ちゃんと手順を踏んで、花嫁を口説き落としている。(医者になり、地位と高収入を得て、自信がついてから)
だが、ニーナの事件は、大学時代に起きた。
まだ青臭い、女性経験も乏しい頃の出来事である。
いったい何が起きたのか、事件の詳細は一切語られないが、酔い潰れた女性に欲情し、遊びの延長で事に及んだのは想像に難くない。
悪気がないのは、女性のことなど、まるで知らないからだ。
その無知こそが、女性とまともに向き合えない原因でもあり、望みと現実はますます乖離していくわけだ。
なぜ、彼らは正面から女性を口説こうとせず、酒がらみ、暴力がらみでしか、女性と接触できないのか。
理由の一つには、子供の頃からエリートとして育てられ、自然な興味や欲求を抑圧されてきた点が大きいと思う。
歪められた欲求は、歪んだ女性像を造り出し、自分の思い込みの中で、どんどん膨らんでいく。
その中には、自然な興味や欲求を抑え込んだ親――とりわけ母親への憎しみも込められており、間接的な弑逆として、身近な女性に乱暴を働くケースも存在するのではないだろうか。
『管理される男(息子)』は昭和の時代から存在したが、現代の管理は、素行のみならず、思想・嗜好・生き方にも及ぶので、本当にたちが悪い。
その代償として、親世代ではなく、若い女性が痛めつけられている現実を思うと、男性としての自然な興味や欲求を、「汚い」「不潔」と退ける現代の風潮は、卑劣な手段でしか女性に近づけない、歪な男性を生み出す一方に感じられてならないのである。
キャリー・マリガンと現代女性の本音
本作は、脚本の完成度も高いが、キャリー・マリガンの演技も圧巻だ。
危うい色気に、壊れたような表情。
メンヘラでありながら、恐ろしいほどの胆力と知性を備え、じわりじわりと加害者男性を追い詰めていく。
セックス依存症の兄と妹の葛藤を描いた『SHAME-シェイム』もそうだが、キャリー・マリガンが演じると、シリアスなテーマが中和され、『フォトジェニックなメンヘラ』が出来上がる。
現実社会においては敬遠されそうなメンヘラ系キャラが、まるで少女漫画の主人公のように魅力的に感じられるのだ。
『告発の行方』のジョディ・フォスターが体当たりで悲劇を演じ、意志と勇気で勝負したのに対し、映画『SWALLOW/スワロウ』に代表されるような、昨今のメンヘラ系女子は、トロン&ポカンで、自分の身に何が起きたのか、まるで分かってない印象すら受ける。
無知と無自覚のうちに、事態はどんどん悪化し、決定的な出来事を経て、ようやく問題に気がつくという、対照的な展開だ。
そうした受け身で、どこかボヤけたようなキャラクターが、本作においても「見ててイライラする。☆一つ」の評価に繋がるのだろうが、直裁的な表現を嫌がる現代の若者気質を思えば、キャリー・マリガンが演じるようなポカン系ヒロインが主流になるのも時代の変遷ではないだろうか。
一部の女性の中には、キャリー・マリガンの演じたカサンドラや、『SWALLOW/スワロウ』のハンターを、被害者意識のかたまりみたいに敬遠する向きもあるが、今まで自分たちが見ようとしなかったものが、こうした形で表に出てきたに過ぎない、あるいは、こうした問題が、口に出して言いやすくなった、という事でもあるだろう。
本作では、大学時代、イケイケ・ギャルらしかった、カサンドラの同窓生、マディソンが登場し、「二度と連絡しないで」と捨て台詞を口にして去って行くが、昨今のメンヘラ系ヒロインに厳しい意見を投げつける女性らも、もしかしたら、マディソンに近い女性たちではなかろうか。
自分たちとは異質なものに対しては、男性よりも、女性の方がむしろ冷淡なほどだ。
そんな中、キャリー・マリガン系のキャラや女優が、同年代の女性の共感を呼んで、問題提起に一役かっているとするなら、多くの女性の本音は、ジョディ・フォスターのように勇ましく戦うことではなく、「ありのままの自分を理解され、受け容れられる中で、ちょっとずつ頑張る」なのかもしれない。
ちなみに、筆者は、カサンドラとニーナには同性愛的な結びつきもあったのかな、と推測。
だからといって、本作のテーマが薄れるわけではない。
作品の概要
プロミシング・ヤング・ウーマン(2020年) ーPromising Young Woman (前途有望な女性)
監督 : エメラルド・フェネル
主演 : キャリー・マリガン(カサンドラ)、ボー・バーナム(ライアン ー カサンドラの恋人)、アリソン・ブリー(マディソン ー 大学の同窓生)、クリス・ローウェル(医学生)