物理学者と詩人と占星術師 ~世界は異なる個性と能力でバランスを保つ

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なぜ物理を勉強するのですか? ~掲示板のトピより

満点の星空を見て感動した時、人間は大きく2種類に分かれると思う。

宇宙の謎を解き明かそうとする人と、神秘を詩や絵に描こうとする人。

私は後者で、カール・セーガン『COSMOS(コスモス)』や、NHKスペシャル『宇宙 未知への大紀行』的なものに憧れもしたけれど、それを物理的に解明しようとは思わなかった。

理屈は知りたいけど、高等数学を駆使してまでなぁ……というより、高等数学そのものが分からん^^;

物理そのものがアレルギーなのです。

ゆえに、以下のようなことがさらりと言える人は、ほんとに尊敬してしまう。

トピックス『物理で80点以上取れる人ってどんな人なんだ~?!』(発言小町より。このトピは既に削除されています)

物理は難しいっていうけど、私が初めて物理の教科書を読んだ時は感動したものです(もう20年も前)。
あ、世の中の事は物理学があれば全て解明出来るんだ!って。

私の半生において、この考えだけは一度も浮かびませんでした。

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しかし、彼は「物理っていうのは、自然現象を観察することなんですよ」と静かにやさしく語ってくれました。その一言で目から鱗。物理ってなんてスケールの大きい考え方なんだろうと感心しました。
同時に彼に恋してしまいました。

観察は好きだけど、それをどう数式に結びつければいいのか、全く分からない

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夫に「物理ってたのしいの?」って聞いたら
「うん、形のないものを形(ベクトルやら、数式やら)にする、
想像の世界だよね!!」
いやはや、物理の世界はファンタジーみたいですよ。
こういう人は公式をわざわざ覚えなくても、
楽しく問題を解いているうちに自然に覚えて自在に使えるようです。

ファンタジー・・そう言われてみれば、そうかもしれない・・

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私の高校時代(1972年度~1974年度)物理学はほとんど95点以上、100点も何回かありましたけれど、それはやはり

「物理学の考え方が美しい」

と感じたからです。

美しい……それこそ神の領域だわ……

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日本の教育における物理学って、数式偏重のテスト重視だから、みんな嫌いになるんですよ。
本来物理学とは、神が作りたもうた森羅万象とはいかなる物か、という宗教的、自然科学から出発した学問で大変崇高なものです。
先生方も教え方をもう少し考えるべきです。
いろんな本を読んで、広い視野で物理を見てください

なるほど。あたしゃ、食わず嫌いですね。

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まず幼い頃、家に「学研の図鑑」がセットで並んでいまして、ナゼかその中の「宇宙」の巻ばかり眺めていました。
地球はもちろん惑星や銀河・星雲などの美しさと、宇宙の現象のスケールの大きさに魅了され、天文学者を志しました。
「中性子星って角砂糖くらいの大きさで象と同じ重さ!?すげ~」みたいな感じですね。

私も「すげ~」と思った。でも私はそれをSFの翼に乗せちゃったんだな。

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当方、理論物理学の研究者で大学でも教壇に立っております。
物理学は、この宇宙で起こっているありとあらゆる現象を、数学という言葉を使って、なるべく少数の法則で書き表そうとする学問です。
例えば高校で学ぶ範囲の力学では「ニュートンの運動方程式」だけで全ての運動が説明できます。
実際に、ニュートンと同時代に生きた人々は、目の前にある物体の運動も天空で輝く天体の運動も、当時の観測技術で見えるもの全ての運動がこの方程式を使うだけで完全に予言できてしまったので、「我々は神の視座を手に入れた!」というように狂喜したそうです。
従って、力学的エネルギー保存則、運動量保存則も運動方程式から導出されます。

すいません、まったく記憶にないです・・

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物理で出てくる公式というのは、実際に起こった現象を式にしているんだと意識することです。
物理という教科を数学と同じようにと間違ったとらえ方をしてしまうことがあるのかもしれません。
数学で扱う「公式」や「定理」は覚えることに重点を置きますが、物理の「公式」には公式を見ただけではわからない「公式に隠された本当の意味」があるのです。
ですから、公式を「覚える」というよりも「身につける」ことが大事です。

「身につける」そう言われると非常に納得いきます。この方と中学時代に出会いたかった。

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人間は大きく二分されるのでしょうか?
微積分を理解出来る人間と、そうでない人間に・・・

数学や物理の問題は、明確な解答が最初に存在しており、そこに至るための解法や公式が用意されています。
暗記に頼る必要も無く、故に試験前日に勉強する必要も無いのです。
誤読や計算間違い、書損じ等に配慮すれば、満点を取るに労を要しないのが数学と物理です。

私は明らかに「後者」です

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小さい頃の
・高い橋の上から小石を落とし、川に落ちるまでの時間を計るだけで高さが分かる。
・人工衛星がいつまでも地球を回り続ける理由
・動いている電車の中でジャンプしても、同じ場所に着地する
そんな疑問が物理を勉強すると次々に解決していくことが楽しかったです。
そういう、興味を持つことが大切だと思います。

また「物理は神がこの世界をどのように設計したかを解明する学問だ」
と言われ、何だかかっこよく思えました。

物理で解明されたのですね・・その感性と能力が羨ましい。。

物理学者と詩人と占星術師 ~世界は異なる個性と能力でバランスを保つ

夜空にひときわ明るく輝く十五夜の月。

でも、なぜそれが地球に落ちてこないのか、物理的に解明しようとする人と、”あれこそ私の守り神、闇夜を照らすClair de Luneよ”と詩に書く人と、人の感じ方や考え方は様々だ。

そこからさらにインスピレーションを究めた占星術師という存在もある。

だから、科学でも、芸術でも、どんな分野もまんべんなく発展するし、個性も能力もそれぞれに異なるから、世の中もバランスよく保たれる。

もし、「物理学者だけ」「詩人だけ」「占星術師だけ」だったら、人は今でも薪で火をおこし、太陽の翳りで政策を決め、個性や能力を数値で測って序列化するような、偏った世の中になっていただろう。

個々の性質や能力はクロスワードパズルのピースと同じで、一つ一つ、形は違うけれど、世界全体から見れば、各個がピタリと当てはまり、一つの形を成している。
この世に、個性も能力も全く同じ人間は二人も必要なく、それぞれに異なるから、気付かぬことに気付き、足りない部分を補うことができるのだ。

物理学者も、詩人も、占星術師も、まったく異なるスタンスで世界の謎を解き明かそうとしているわけだが、意外と共通点は多いかもしれない。コンマ、000000の世界で。

90年代、某新興宗教団体の凶悪犯罪が世間を震撼させた時、「国を代表するエリートが、なぜこんなインチキまがいの宗教に易々と絡め取られたのか」と多くの識者が首をひねったが、一人の専門家がこんな風にコメントされていた。

科学も突き詰めれば、どうしてもリクツで説明のつかない部分に行き当たる。その時、人間は『神』を見るんだよ

なまじ研究熱心で、頭脳明晰だからこそ、理論で説き明かせる果てまで行った時、逆に科学に失望し、反自然や超常的なものに心を引かれるようになるのだろう。

あるいは、物理や数学に長けた人が、数式に美しさを感じるのも、それこそ神の化身だからかもしれない。

でも、寺山修司風に言えば、『月に一番近いのは詩人です』となるんだろうな。

そして、私も、そう思う。

初稿:2010年1月22日(メールマガジン eclipseのアーカイブ)

みんな知ってた地動説 コペルニクスが最初ではない?

追記(2019/08/07)

天文学といえば、コペルニクスの地動説が有名ですが、果たしてコペルニクスが一番最初かといえば、決してそうではないと思います。

また名のある科学者だけが気付いていた訳でもない。

現代人がそうであるように、「一般常識では太陽が地球の周りを回っているというが、ちょっと違うんじゃないか」「天動説だと、この現象に説明がつかない」と違和感を覚える人も多々あり、巷では「地球が太陽の周りを回ってるんとちゃうけ」と噂になっていたのではないでしょうか。特に、農業、漁業関係。

ただ、一般人には、それを科学的に証明する手立てがない。

何かおかしいと感じても、「これが、こうだから、地球が太陽の周りを回っているのです」と画像や数式で立証することができない。

だから、偉い人や権威のある人に、「これだから素人は無知で困る。本当に地球が太陽の周りを回っていると思うなら、科学的に証明しろ。(今風に言えば)エビデンスを示せ。何となく意見するな。知識がないなら、黙ってろ」と恫喝されると、押し黙るしかない。庶民の感覚の方が正しくても、証明する手立てが無ければ、この社会においては無意味であり、無力なのです。

しかし、そうした巷の声は、やがて一人の頭脳に結晶します。

「おかしい」という意見が存在するから、そこにインスピレーションを得て、研究が動き出すのです。

私もトルンの博物館を訪れるまでは、コペルニクス一人の偉業だと思っていました。そして、確かにその通りだと思います。

しかし、コペルニクスの周囲にも、それ以前にも、「何かおかしいん」と感じる人は相当数あったと思います。

あったからこそ、「証明しよう」と研究が動いたのだと。

あるいは、子供時代、近所の羊飼いのおっちゃんと夜空を見上げていたら、おっちゃんがふと、こんなことを口にしたかもしれない。

「世間では太陽が地球の周りを回ってると言うけど、逆に、地球が太陽の周りを回ってるんとちゃうか。そうでなければ、日が長くなったり、短くなったり、天動説では説明のつかんことがいろいろあるやん」と

「そう言われてみれば、そうやなぁ。いっちょ調べてみよか」と思い立つ未来の科学者もあるでしょう。

つまり、科学というのは、庶民感覚の集積であって、特別に知識をもった人だけが気付いたり、発明したりするのではない。

一つの気付き、一つの発明の裾野には、何千、何万という、「庶民の違和感や閃き」が存在し、特別な知識や技術をもった人がそれを立証する。

それが選ばれた人であれ、偶然であれ、己一人の力で成り立つものではないと思います。

ある意味、その国の科学力が発展するか否かは、もちろん学力が第一だけれども、さらに裾野を広げれば、庶民一人一人の知恵や感性によるところが大きいのではないでしょうか。

夜空を見上げても、何の疑問も驚きもない人、圧倒多数では、何も生まれてこないですから。

あるいは、誰かが「それはおかしい」と感じた時、「エビデンスを示せ。証明できないなら、黙ってろ」というような社会であれば、科学の芽など到底育ちません。

偉大な発見は「疑問」や「違和感」から始まるからです。

ゆえに、私たちは、皆が皆、科学者にならないにしても、日々の気付きや感動を大切にしなければなりません。

あなたが子供や学生の前で、何気に口にした一言が、未来の大発見を生むかもしれないからです。

「なんでゴキブリは簡単に死なないのか」とか。

「溶けてなくなるペットボトルがあればいいのに」とか。

「永遠に焦げ付かないフライパンが欲しい」とか。

しょうもない、と思うかもしれないけども、そのしょうもないことを突き詰め、科学的に証明したり、技術的に可能にしてしまう人が、この世には本当に存在します。

そうした優れた人々にインスピレーションの橋を架ける為にも、私たちは、たとえ詳しい知識や高度な技術がなくても、「科学を愛する気持ち」を大切に育むことが大事なのです。

ちなみにコペルニクス博物館で一番感銘を受けたのは、直筆の研究ノートです。

文字も、図解も、そのまま教科書にしたいぐらい美しかったです。

コペルニクスの時代、特にポーランドは、毎夜、満点の星が輝き、天然プラネタリウム状態だったでしょう。

人々の気付きも感性も、今よりはるかに鋭く、豊かであったことは、容易に想像がつきます。

ある意味、電気は、世界を照らすと同時に、人間から夢見る力を奪ったかもしれません。

Dom Kopernika w Toruniu (3)

603104 Toruń Dom M. Kopernika i wnętrza 10

コペルニクスのように発想を変え、人生を変える

ここ三年の間に

自身の常識や固定観念を覆すような出来事が次々に起こったのだが

改めて振りかえると

『かくあるべき』 『こうでなければならない』 という凝り固まった考えが

いかに世界を閉ざし

多くの可能性を葬り去ってしまうかがよく分かる。

『それでも地球は回っている』と叫んだのはコペルニクス。

だけど、あの時代、(もしかしたら地球は自転してるんじゃないか)と考えていたのは、コペルニクスだけではなかったかもしれない。

もっと以前にも、同じことを直観していた人はたくさんあったかもしれない。

だが

天罰を恐れ

教会を恐れ

孤立を恐れ

失墜を恐れ

多くの『凝り固まった思い込み』から

自らの手で豊かな可能性を潰してしまった。

「それでも地球は回っている」と叫んで、コペルニクスは歴史に名を残した。

地動説を組み上げたその頭脳より

世界を敵に回しても、自分の直観に殉じたその精神により多くを学ぶ。

誰もが「自分を変えたい」「人生を変えたい」と望む。

だけど、多くの人は、望むほどに変える勇気を持ち合わせていないものだ。

全てを変える「一線」を目の前にしながら、結局、「自分」にしがみついている。

「新しい一歩」を踏み出すことなく、いつまでもその場 に立ちすくんでいる。

そうして時間ばかりが過ぎてゆく。

変革には犠牲がつきもの。

その犠牲を惜しむか、喜んで差し出すかで、生き方も違ってくる。

『地球は回っている』

そう気付くことより

声に出して叫び続ける方がずっと難しく、

価値あることだと知る前に

多くの人間がこの世から姿を消している。

初稿:1999年9月20日 メールマガジン 【 Clair de Lune 】 より 

おすすめ図書

朝日放送でカール・セーガン自身がナビゲイターとなり宇宙の不思議を語る『COSMOS』を放映していた時、原著も飛ぶように売れて、我が家にも二冊ともありました。

ただ、これを読み解くには、私はあまりに子供過ぎて、TV番組の方がより心に残っているのですが、もう一度、読み返してみたいですね。

★ amazonのレビューより

タイトルに書いたように私たちは宇宙のどこかで死んだ星の残骸から生まれました。ビッグバンから水素とヘリウム、そして星がそれらを核融合を通して炭素、窒素そして酸素などの色んな元素、これらは私たちの身体を構成しています。人種や国境、かつて日本に限らずほぼ全ての国が起こした戦争はこの本に描いているコスモスに比べると儚くなります。カール・セーガン博士はコスモスを探求することで核戦争のような危機を乗り越えることを希望しましたが、現在の状況を見ると残念な限りです。私は人々がこの本を読んで、宇宙の浜辺を想像しながら、地球を含むあらゆる世界について考える機会を持てばいいと思います。人間の愚かさと尊さを感じられます。

(^^)v

COSMOS 上 (朝日選書)
COSMOS 上 (朝日選書)

誰かにこっそり教えたい 👂
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