育児ストレスが一番激しかった頃の我が家の様子。
こんなん序の口、カーペットに食べ物や飲み物、最悪の時は○○が落ちてないだけでもラッキー。
朝から晩まで、毎日毎日、掃除掃除掃除掃除。
洗い物洗い物洗い物。
オムツ替えオムツ替えオムツ替え。
夜泣き夜泣き夜泣き。
ハァ……。
「私の人生は何処へ行った」状態。
私の愛する精神生活とは程遠い、獣のような日々でした。
二人が幼稚園に行きだして、近所の子どもたちと一日中遊ぶようになってから、ずいぶんラクになったけども。
それでも、まだまだ手がかかる。
知り合いのママの話では、「一人で朝食の用意ができる(ポーランド風に言えば、シリアルやサンドイッチが自分で用意できる)」のが一つの目安らしい。
こういう暮らしぶりを見ると、「だから子育てなんてイヤなんだ」という声が聞こえてきそうだが、子育てというのは突き詰めれば親孝行なのだ。
育ててみて初めて分かる、我が親の苦労。
「毎日、お弁当作ってくれて、ありがとう。弁当箱ぐらい自分で洗うべきでした」
「晩ご飯に文句言って、すみません」
「夜中に飲み歩いて、すみません」
子ども時代は、到底、感じ得なかった気持ちも、今なら素直に口にできる。
*
子育てで苦しんでいる人は、大抵、自分の親が苦労したことを間接的に経験しているはずだ。
食事でさんざん親を困らせた人は、多分、我が子の偏食・小食に手を焼いているだろうし。
激しい夜泣きで親を憔悴させた人は、自分も今、寝不足と神経衰弱の苦労を味わっていると思う。
いわば子ども時代に積み上げたカルマを、今、身をもって償うという感じ。
そして、それこそが、人間として為すべきことかもしれない。
親の気持ちと子どもの気持ち(自分自身の)と、両方体験するということは、それだけで価値あることだから。
子供時代、親に何の恩返しもできなかった人も、一度でも「自分の親も同じように苦労したんだ」と気付けば、あなたの親も報われるのではないだろうか。
*
だから、自分の子供に対しても、今、分かってもらおうなんて思わない。
恩を返せ、とも思わない。
いつか、彼らも子育てするようになった時、「ああ、我が親も苦労したんだ」と気付くだろうから。
子育ては、自分に直接返ってくるものではなく、何十年と経ってから、その子の時代――すなわち自分の孫の時代に報われるものなのだ。
*
その時には感謝よりも、涙目でジュータンの染み(何の染みかは想像におまかせ)を拭いている私の肩を、そっと優しく抱いて欲しい。
それは、いつか、あなた方も行く道だから。
子から、またその子へ、果てしなく続くことが、愛の証でもあるから。
我が子に恩を返してもらおうとするからですよ。
自分だって自分の親に大して親孝行してないのに、
我が子が自分に忠実に親孝行なんかするわけないやん😅
次の世代に返してくれたらいいや・・ぐらいの気持ちで丁度いい。
子育てとは永遠の片思いです。
限りなく次代に受け継がれていく願いみたいなもの。