自分の意見や感情を大切にしよう ~自尊心の基本は意思表示

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愛を見失いそうな人へ

このページを開いたあなたは、「自分」を大切にしてください。そして愛する人との関係も大切にしてください。

いまは世間の挑戦や要求に応じるのとをいっさいやめ、自分自身をいつくしむときです。

あなたはこれまで、自分より他人を優先してきたのではありませんか?

自分より、夫や恋人を大切にしてきたのではありませんか?

もう、他人を優先するのはやめましょう。

いまこそ、自分自身を大切にするのです。

あなたは、明日でもなく、来週でもなく、いますぐに、自分をまず第一に考えなければなりません。

そのためには、心身をいたわることから始めましょう。まず、食事をきちんととり、睡眠をたっぷりとってください。それができたら、音楽を聴いたり、散歩をしたりして、日常のストレスや緊張からはなれましょう。温かいお風呂にのんびり浸かり、入浴後は全身を入念にマッサージしてもらうのもいいでしょう。とにかくリラックスするのです。

つぎに、心に栄養を与えましょう。あなたは自分の魂に何が栄養になるかを知っているはずです。しかし、いまは、そこからあまりにもかけ離れたところまで来てしまいました。

肝心なのは、自分を思いやり、同情し、やさしくいたわることです。そうすれば、いつの間にか常に自分を大切にできるようになります。

あなたはこの世でたった一人しかいない、かけがえのない貴重な存在です。だからこそ、自分を大切にしなければならないのです。

自分を大切にしていれば、あなたと愛する人の間には大輪の花が咲きます。努力は必ず報われるのです。

出典 : 不満から愛は育たない ~愛を見失いそうな人へ 『恋に揺れるあなたへ 56の処方箋』より

【コラム】 自尊心の基本は意思表示

日本女性にとって、、なかなかハードルが高いのが、「自分を大切にする(自分を愛する)」だと思います。

「個」より「場」、「わたし」より「みんな」が重んじられる日本社会において、自分を大切にすることの意味さえ分からない人も少なくないでしょう。

一番分かりやすい喩えは、「あなたのNOは、みんなのNOと同じくらい大事」ということです。

みんな、ラーメンを食べに行きたいと言う。

でも、あなたはパスタが食べたい。

そんな時、無理に周りに合わせて、「私もラーメンでいい」と言うのは、自分を大切にしていません。

「私はパスタが食べたいけど、みんな、ラーメンが食べたいなら、私もラーメンでいいよ」が正解です。

みんながラーメンを食べたいからといって、パスタを食べたいあなたの気持ちが間違っているわけでもありません。

「ランチに、何が食べたい?」と聞かれた時、「私はパスタ!」と答えることは、個人の意思表示であり、罪悪でも何でもないのです。

ただ、全体の決断においては、あなたが譲歩すべき時もあります。

みんながラーメンを食べたいと言ってる時に、あなただけが頑なに「絶対にパスタでなければイヤ!」と主張すれば、どんな人間関係も壊れてしまいますね。

でも、みんなの気持ちを考えれば、「じゃあ、今日はラーメンにしよう」という発想ができますし、あなたが譲歩すれば、周りも気遣って、「それなら明日はパスタにしよう」と言ってくれるかもしれません。

コミュニケーションは、意思と心のキャッチボールです。

誰がどんなボールを手にしていようと、それこそ、それは個人の自由であり、皆が皆、「赤いボールを持たなければならない」という決まりはありません。

要は言い方の問題で、自分だけパスタが食べたい気持ちも、上記のように、「じゃあ、今日はラーメンにしよう」と付け添えれば、周りの受け止め方もずいぶん変わってくるんですね。

ラブ・ウィズダムが重要視するのは、「私がパスタが食べたい」という気持ちの部分であり、自己主張を奨励しているわけではありません。

パスタが食べたいなら、「食べたい」と思う気持ちを大事にすればいいのです。

たとえ、多数決でラーメンに決まっても、それは「パスタが食べたい」あなたの存在を否定しているわけではありません。

「気持ち(意思表示)」と、「全体(行動や決断)」を分けて考えれば、人間関係もずいぶん楽になるはずです。

わけても大切なのは、「パスタが食べたい」と思う自分自身を大切にすることです。

たとえ、みんながラーメン大好きでも、「パスタが食べたい」と思うあなたも、尊い一人の存在なのです。

Nurture 自分を育てる

この章の原題は、Nurture です。

nurture には、「養育する」「養成する」「仕込む」といった意味があります。 [ジーニアス英和辞典第5版]

ここでは、「自分を大切に」と翻訳されていますが、「(ひな鳥のような)自分を慈しみ、育てる」と解釈してもいいですね。

この本を読み始めた時点では、ひな鳥と同じ。

これまでの殻を破って、やっと頭を出したところです。

ひな鳥が、一朝一夕には大人のニワトリにならないように、人間が育つにも時間がかかります。

また、古い自分に別れを告げて、新しく生まれ変わるには、潔さも必要だし、勇気もいります。

それは change(変化)ではなく、nurture(育てる)と呼ぶにふさわしい心の作業です。

これから良い方に向かうか、否かは、あなた次第。

「変わる」のではなく、「育てる」の気持ちで、一日一歩ずつ、前に進んでいきましょう。

ちなみに、nurture という単語は、『nature and nurture (生まれと育ち)』という形で使われます。

みにくいアヒルに生まれても、じっくり自分を育てることで、白鳥のように美しく成長することも可能です。

生まれ(nature)よりも、そこから始まる nurture (育ち)の方が、人生ではうんと大事です。

誰かにこっそり教えたい 👂
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