命を大切にできないのは、根底に自己の無価値感があるから
「あなたは、あなたのまま、そこに居ていい」という親からのメッセージ
命の教育とは、命の大切さについて説くことではありません。
君たち、一人一人がかけがえのない存在だということを、子供に実感させることです。
心の根底に、
『私なんか、居ても、居なくても、一緒』
『居なくなっても、誰も気に留めないし、悲しむこともない』
という無価値感があると、自分のことなど、どうでもよくなるし、他人の命も大切にしません。
そんな空疎な心の持主に、命の大切さを100万回説いても、理解できないでしょう。
なぜなら、自分の命も、他人の命も、意味など無いからです。
他人を思いやり、愛するという行為は、自分に対する愛情があって、初めて出来ること。
自分で自分を愛せないものは、他人を愛することもできません。
こうした健全な自尊心は、最初は、親との間に育まれるものです。
「あなたが好きよ、大切よ」というメッセージを、様々な形で受け取ることで、子供は自分というものを肯定するようになります。
能力や容姿の優劣によらず、「あなたは、あなたのまま、そこに居ていい」という確信があればこそ、心も安定し、自分を大切と思うように、他人のことも大切と思えるようになるのです。
自己無価値感のある親は、子供の愛し方が分からない
ところが、親自身、自己無価値感があると、子供に手本を示すことができません。
自分で自分を守るのが精一杯で、子供がちょっと逆らっただけで、自分の全存在を否定されたような気持ちになるので、子供に「あなたが好きよ」というメッセージを出すことができないのです。
子供の愛し方が分からない親に育てられると、子供はどこで愛を確かめればいいのか分からないので、いつも不安です。
「あなたは、あなたのまま、そこに居ていい」というメッセージがもらえないので、親の気を引こうと頑張ったり、あるいは、早々に見切って、逆らったり。
どちらにしても、ありのままの自分を愛することができないので、『私なんか、居ても、居なくても、一緒』『居なくなっても、誰も気に留めないし、悲しむこともない』と思うようになります。
そうして、自己無価値感に苦しむ人が、また一人、作られて、「自分も大事にできないように、他人も大事にできない」、殺伐とした心の持主が社会にどんどん増えていくわけですね。
誰がオレを愛してくれるのか
そうした子供たちに、どれほど命の大切さを説いても、空々しいだけで、何も響きません。
命、命と言うけれど、このオレはどうなる? と思うからです。
子供が「死にたい」と言った時の覚え書き ~死ぬなと言うより、好きと言って欲しいにも書いていますが、子供たちが欲しているのは、「命を大切にする親」ではなく、「オレを愛し、大切にしてくれる親」です。
それは、教師や親族など、周りの大人も同じ。
他人の命など、どうでもいい。
まずは、オレという人間を愛して、受け止めて欲しい。
話はそこからです。
しかしながら、人が人を愛するというのは、非常に難しいものです。
親子であっても、難しい。
面倒で、難しいから、一人一人を愛するよりは、「命とはー、人生とはー」と理想を語ることを好みます。
格好いい事を言ってれば、いかにも、立派で、愛の深い人に見えるからです。
でも、子供は知っています。
理想は、何も救わない。
本当に必要なのは、自分を心から愛してくれる、誰かだと。
そういう意味で、「命が大切」と分かりきったことを説くより、一緒に遊んだり、話を聞いたり、面倒な愛の行為を積み重ねる方が、はるかに多くの命を救うのです。