死を受容する必要なんか、ない 渡辺淳一の医療小説『無影灯』

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小説『無影灯』について

作品の概要

無影灯 (1972年)

作者 : 渡辺淳一

あらすじ

都内のオリエンタル病院に勤務する外科医の直江は、名門大学の講師まで務めながら、突然、辞表を出して、市立病院に転職した変わり種だ。
誰もその理由は知らず、様々な憶測が飛び交うが、直江自身は優れた医師であることから、病院長も特に問題視せず、診察を任せていた。
看護婦の典子は、人目を忍んで直江と逢瀬を重ねていたが、直江のニヒルな態度は、現場スタッフのみならず、恋人の典子まで翻弄するが、そこには誰にも打ち明けられない苦悩があった……。

無影燈 上 (集英社文庫)
無影燈 上 (集英社文庫)

見どころ

整形外科医で、豊富な臨床経験をもつ渡辺淳一らしい死生観が反映された、医療ドラマの秀作。
同じ医療ドラマに、直木賞受賞作『光と影』があるが、こちらは恋愛が主軸になっており、シリアスな中にも、随所に性的な描写が散りばめられ、曰く、「自分の遺伝子をまき散らしたい」とかいう、渡辺起源説がベースになっており、女性から見れば、なかなか呆れる作りになっている。

しかしながら、私は死生観も医療の考え方も渡辺氏とほぼ同じなので、「患者さまにご奉仕」のエピソード以外は、頷ける点も多い。
山崎豊子の傑作『白い巨塔』のように重厚な作りではなく、半分、中年男性向けのエンターテイメント小説なので(アイドル歌手のくだりとか)、気軽に読めるし、末期医療について考えるきっかけになるのではないだろうか。

参考 : 人生の『光と影』 渡辺淳一 / 医療の偶然が人生を狂わせる

がん告知 ~優しい嘘が患者を救うこともある

本作の特筆すべき点は、実際に臨床を経験した渡辺氏らしい死生観や医療観が色濃く表れている点だ。

たとえば、末期がん患者『石川のおじいちゃん』のエピソード。

石川のおじいちゃんは、もう手の着けようがないほど状態が悪化し、家族も察しているが、ニヒルな死生観をもつ直江は「手術をして、悪い部分は取り除きましたよ」とばればれの嘘をつき、見せかけの治療を施して、おじいちゃんの「もしかして、自分はガンではないか」という疑念をのらりくらりとかわし続ける。

それに対して、他のスタッフは「石川さんだって、うすうす気付いているのだから、本当のことを言うべきだ」と進言するが、直江の考えは変わらない。

後輩で、年若い小橋医師は、手術を前に直江に詰め寄る。

「あの手術、僕にはどうしても納得できないのです。転移している手遅れの胃がんを手術するのは、死期を早めるだけじゃないでしょうか」

「あれは皮膚に切開を加えるだけだ」

「皮膚を?」

「患者に切って悪いところを取ったと思わせるためだ」

「そんな嘘の手術をして、わかったらどうするのです?」

「わかるかわからないか、やってみなければわからん」

「しかし、それではあまりに患者を馬鹿にしていませんか。どんあだったと訊かれたら、なんと答えるのです」

「大きな潰瘍があったと答えればよい」

「そんなことをしても、結局は欺しおおせませんよ」

「どちらにしても癌である以上、欺さねばならん」

「わかった時、あのお爺さんは、きっと恨みますよ」

「そうかもしれん」

「手術をした割りに少しもよくならないと言われた時、僕たちはなんと答えればいいのですか」

「黙って聞いておけばいい」

「でも最後に、どうなのだ、と迫ってきたらどうするのです」

「迫ってなどはこない」

「何故です」

患者は死期が近づいたら駄目なことを自然に自分で悟る。われわれが改めて言う必要などはない。患者は黙っていても助からないのを悟る。その時、俺は助からないのではないかとか、癌なのに嘘をついた、などと怒ったりはしない。彼らはそんなことを考えたくはないのだ。自分は駄目だとは思いたくない。だから、そんな怖いことは訊いてこない。医者は嘘をついていると知りながら嘘のなかに入っていこうとする。われわれがとやかく言わなくても、向こうから入ってくる」

「……」

「お互いに嘘を付き合ったまま、嘘の中で死んでいく。それでいいのだ」

こうしたやり取りは、末期がん患者の死に立ち会った医療従事者でないと、なかなか分からないかもしれない。

患者に嘘をつくとか、欺すとか、医療に無知だと不誠実に感じるからだ。

しかし、人間というものを知れば、馬鹿正直に告知することが正義ではないと分かる。

『告知してもらった方が、残りの人生が生きやすくなる』という考え方は、第三者の傲慢であり、人の弱さを余りに知らなさ過ぎると思うからだ。

そもそも、自分が死ぬかもしれないと分かって、「私はいつ死にますか?」と正面から聞ける人間が、どれほどいるだろう。

多くは、死を予感すると、怯え、悲しみ、心を乱されるものだ。

稀に、がん告知を前向きに捉え、やるべき事をやって、充足のうちに逝く人もあるが、そういう人は特殊な精神性の持ち主か、家族や資産に恵まれた少数派である。

多くの人は、病気の前も、その後も、いつもと変わらぬ日常を生きたいし、死期を悟ったからといって、誰もが突然、強く賢い人間になるわけでもない。

最後まで家族や医療者が本当のことを口にしなかったからといって、恨む人も無いだろう。

周りも苦しみを堪え、優しい嘘をつき通してくれたと分かれば、感謝の念も湧くものだ。

石川のおじいちゃんも、最後には「先生、ありがとう」とつぶやく。

これは決して作り話ではなく、人間とはそういうものなのだ。

どうか『告知』が進んだ考え方などと思わないで欲しい。

アメリカではこうだから、自分は賛成だから、他の人も告知すればいいじゃないか、そんな簡単な問題ではない。

100人の人間がいれば、100通りの生き方があるように、100人の末期患者には、100通りの死がある。

告知に向く人もいれば、向かない人もいて、それを見極めるのが真の医療人である。

死にゆく人に、立派であることや、冷静であることを求めてはいけない。

本当のことを言わない方が、かえって好ましい死に方ができることもある。

死を受容できるなら、それにこしたことはないが、受容できなくても、決して恥ではないし、むしろできないのが当たり前。

その上で、より好ましい死を演出するのが、医療人の仕事であり、人間力である。

『無影灯』は、末期医療の在り方を説く教科書ではなく、死にゆく者の気持ちを描いた文学である。

だからこそ、読む者に深い感動と永遠の問いかけを投げかけるのではないだろうか。

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