「副業するサラリーマン」というブログに下記のような言葉があります。
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個人的には「幸福」とは「成長している、成長できそう」に尽きると思っています。「不幸」とは「成長できない、成長できそうにもない」です。
例えば、給料がドンドン減っていく、GDPも右肩下がり、経済は停滞するどころか衰退していれば、成長していないので不幸に感じます。
一方で2010年度の中国のGDPはまだ発表前ですが、日本を抜かしています。でも、1人あたりのGDPはまだまだ日本のほうが上です。それでも中国人のほうが日本人よりも「幸せそう」だと感じます。おそらく中国人も「幸せ」を実感しています。
それらは成長しているからです。過去よりも現在が豊かであり、未来はもっと成長できると信じているから幸せです。過去よりも現在は貧しく、未来に希望が持てないと考えていれば不幸です。
個人ブログ 『副業するサラリーマン』
経済のみならず、人生全般においても、「明日に進展がない」という絶望的な気持ちは、人から活気を奪い、意欲を減退させます。
「たとえ100しかなくても、明日には101になり、もっと頑張れば120になる」というのと、「1000もってるけど、10年がんばっても1001にはならない」では、後者の方がはるかに不幸な気持ちがするでしょう。
それに追い打ちをかけるのが、「あって当たり前」の感覚です。
家電、化粧品、スマホ、バッグといった製品はもちろん、保障や手当、権利など、あれもこれも「あって当たり前」。
社会情勢が変わっても、「あって当たり前」と思い続けていると、無いことがますます不幸に感じられます。
現代人が閉塞感や空しさを感じるのも、「あって当たり前」の部分だけが親の代から続いているからかもしれません。
このあたりが「無くて当たり前」の他国との違いでしょう。
どんどん減っていくのを目の当たりにしながら、幸福を見出すのは誰にとっても難しいものです。
かといって、「あって当たり前」の気持ちを、不幸の源にしないで欲しい。
「あって当たり前」の気持ちがあるからこそ、邁進できる部分も大きいと思います。
進む方向が正しければ、野心は必ずしも罪悪ではないし、むしろ社会を動かす大きなモチベーションになります。
「無くて当たり前」と思えば、ウォシュレットという発想も生まれないでしょう。
人間はどこか貪欲で、粘着質なところがないと、前には進めないものです。
本当の問題は、疑問も欲望もなくして、現状に満足してしまうことではないでしょうか。
今から宇宙飛行士を目指すような、非現実的な目標ではなく、ちょっと手を伸ばせば出来そうなことは、とりあえずチャレンジしてみる。
昨日よりは今日、今日よりは明日、一つ利口になる気持ちで、何かを勉強してみる。
そのうちに花開くこともあるでしょう。
不幸は必ずしも「終わり」ではなく、創造的な生き方のスタートラインです。