ホームページ『Clair de Lune』
エミール・ギレリスの『月光ソナタ』
1998年秋。
パソコン通信『Niftyフォーラム』のライティングフォーラムに飽きたのがきっかけで、自分のホームページを作ろうと思い立ち、かの有名な作成ソフト『IBM ホームページビルダー(現在はジャストシステムが運営)』をいじりながら、肝心のタイトルについて考えていた時、ふと目に入ったのが、CDラックに飾ってあった、エミール・ギレリスの『月光ソナタ』のジャケットだ。
月光── moonlight ── Clair de Lune。
これだ。
これしかない。
私というものを一語で表せば、まさにこの一言に尽きる、と思い、最初のホームページのタイトルは『Clair de Lune』。
当時、ASAHIネットというプロバイダーと契約していたので、URLアドレスは、http://asahi.ne.jp/clair/beatrix 。
beatrixは、ロセッティの名画『ベアータ・ベアトリクス』の引用。
当時、『最高に高められた理想の女性』と言えば、この絵だったからだ。
『月の光』が意味するもの
『Clair de Lune』。
それがホームページのタイトルにふさわしく感じたのは、当時、私が夜勤専従で、昼の光に当たる機会がほとんどなかったからだ。
私にとっては「夜の世界」が本物で、昼は欺瞞に満ちた世界だった。(参考→ 愛と死の世界・ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』に酔う)
昼の光の中では、私の本当の姿は見えない。
私の言葉は、月の光のように、心を映し出す鏡。
眩い光の中に生きている人には、存在すら見えない。
ならば、月の光のように、闇夜を照らそうと思った。
昼の光の中で、元気に暮らす人には必要ない。
代わりに、夜道に迷う人には、救いになるような光の言葉を投げかける。
そういう文章が書ければいいなという願いもあって、『Clair de Lune』と名付けた。
*
ところが、とうとう昼の世界に舞い戻ったので(星月夜を相手に浮世離れしていた人生を送っていたのが、昼間に働く普通人間になってしまった)、Clair de Lune
の世界観もぶち壊し。
ちょっと病んだ感じの文章の方が面白かったのに、自己啓発系の常識人になってしまった為に、Clairなものは全く書けなくなってしまった。
そりゃま、今の方が幸せといえば幸せだけど、その分、無くしたものも大きい。
この世では絶対に相容れない二つの価値観を、心の中では今も行ったり来たりしているが、時々、常識の栓を抜いて、ルナティックにならないと、どうにも落ち着かない。
みな幸せを探したがるけど、孤独や悲哀がより美味しい世界もあって、そこでは一篇の詩が宝石よりも美しく輝く。
魂の慟哭など、選ばれた人間にしか体験できない事であり、それ以外の言葉は、昼の光の下にかき消されてしまうからだ。
だから、私は、昼の光よりも、夜に映し出されるものをこよなく愛するし、『トリスタンとイゾルデ』がそうであったように、闇夜に見えるものこそ真実と思う。
本当の魂の導き手は、あの燦々と輝く太陽ではなく、『Clair de Lune』――自らは決して輝くことはないけれど、世の光を映し出し、夜道を照らすあの月の光だと今も信じているからだ。
昼の光の中では何も感じないが、夜道に迷った時、ようやく有り難みに気がつくような、静かな存在感も好き。
ああ、本当に分かってくれているんだな、という気持ちになる。
そんな訳で、いつも、何もない時でも、月を見ながら生きてきた。
月の光を見ていると、この世ではない何処かに、本当の自分の居場所があるような気がして。
*
こういうのを『月光浴』と言うらしい。
波動がどうとか、意識レベルがどうとか、スピリチュアルな効果ばかり注目されるが、そんなものを抜きにしても、気持ちが落ち着いて、魂の最も深い所に降りて行ける。
それはきっと、月の光が、反射の光だからだろう。
月の光にはエゴがない。
ただ、ありのままを映し出す。
その透明感が心に優しく響くのだろう。
今となっては、あの月の光に近づくこともできないが、あの夜に見た、清々しい美しさは、今も心の中で静かに息づいている。
あの月に懸けた願いを、今も覚えているなら、どうか、いつまでも、見守って欲しい。
いつの日か、そこに帰るために。
私たち、全てが、真実に導かれるように。
私の、永遠の、Clair。
月光浴とバルサミックムーン
月光浴の効果
日光浴とは対称的に、月の光を浴びることを『月光浴』と言います。
特別なことは何も必要ありません。
夜、月を見上げて、光を浴びるだけ。
日光浴を「健康」「日焼け」といった活動エネルギーの源するなら、月光浴は「浄化」「沈静」「創造」といった作用があります。
感じやすい人、落ち込んでいる人には、ぎらぎらした日光浴より、月光浴がおすすめ。
ただ、『ルナティック(狂ったような)』という言葉もあるように、あまりに月の光を浴びすぎると、感受性が研ぎ澄まされ、ますます神経過敏になる怖れがあるので、気持ちが落ち着くぐらいで切り上げます。
私が読んだジュエリー系エッセーでは、石を浄化するのに、月光浴を利用する方法が紹介されていました。
疲れがたまったジュエリーを、浄水で満たしたクリスタルの器に入れて、満月の夜に一晩置くそうです。
ジュエリーを浄めることで、石が持つ力を最大限に引き出し、願いも叶いやすくなる、という話です。
月はまた処女神アルテミスの象徴であり、女性の真摯な願いが叶いやすいとされます。
ただし、アルテミスは美神ヴィーナスと違い、官能愛とは無縁の女神なので、「彼氏にもっと愛されますように」みたいな、欲望に満ちた願いはNG。
それよりも、「アルテミスのように、気高く、清純な乙女になれますように」みたいな、志の高い願いが聞き入れやすいそうです。
月暦と月齢の意味
また、欧州では「月暦み(カレンダー)」がポピュラーなように、月齢によって、様々な意味があります。
物事を始める時は、新月から上弦の月の間。(満月は成就を意味するので、満月に始めても意味がない)
満月が過ぎたら、次の新月までは大きな動きを控えて、休息や内省にあてます。充電期です。新しい物事は始めない方がいい。
三日月(cresent moon) 願い事をするのに最適。私が読んだ占いの本では、左の肩越しに三日月を見つめ、願掛けすると叶いやすいそう。
上弦の月(waxing half moon) 豊穣に向かう月であり、勢いがあります。勝負に強い月。
満月(full moon) 豊穣の月。物事の成就を意味します。
下弦の月(waning half moon) 沈静に向かう月であり、リラックスや癒やしに最適。
沈静の月(balsamic moon) 誕生の前の、振り返りの時。一旦ゼロに戻して、内省するのに向いています。
ちなみに私は、『沈静の月』の生まれで、「バルサミックムーン」という言葉の響きが好きでした。
明け方、東の空の下方に、僅かな時間だけ出現するので、深夜から明け方にかけて活動する人でないと、なかなか目にする機会はありません。
三日月が青白い、若々しい光なのに対し、バルサミックムーンは、冥府の月のように赤っぽく、不気味ながらも、引き込まれるような美しさがあります。
月光浴に関する本
月光浴 新井 満 (著), 石川 賢治
写真の歴史150年目にして初めて試みられた、満月の光だけで撮影された月光写真集。ヒマラヤからバリ、サイパン、ハワイ、パラオ、そして日本の満月の夜のドラマが、今まで見たことのない清冽な写真に定着された。太陽光の46万分の1、満月の晩だけに撮れる長時間露光写真が、山、川、滝、花、キノコ、海岸、サンゴ礁を、静かに、ダイナミックに伝えます。
月の名前 高橋順子 (著), 佐藤秀明 (写真)
・月の名称、月にまつわることば 400語
・美しい月の写真とわたしたちの暮らしをきりとったどこか懐かしくあたたかい写真150点
・高橋順子の詩 5編、エッセイ 15編 ・月に思いをはせて尽きることなく詠まれた歌と句 107首 (2大付録)
“中秋の名月”を見逃さずに楽しむための 「 50年分の中秋の名月の日付早見表」と「秋の月・新暦早見表」
月 (Nature mind book) 秋月 さやか (著)
雪原の月、夕映えの山や木と三日月…美しい月の写真に、月の言い伝え、神話、月の行事、月齢の話など、月に関する項目をとり集めて編んだ一冊。
この本、持ってました。占い師の秋月さやかさんの著書です。
月齢占いや月にまつわる伝説、風習、いろんなジャンルから話題がピックアップされています。
「月好き」の方には読み応えのある本。
初稿 2011年7月5日