人生とは霧の中を走るが如く 映画『ミスト』(スティーヴン・キング原作)

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映画『ミスト』 あらすじと見どころ

ミスト(2007年) - The Mist 

原作 : スティーヴン・キング 『霧(The Mist)』
監督 : フランク・ダラボン
主演 : トーマス・ジェーン(デヴィッド)、ネイサン・ギャンブル(息子ビリー)、ローリー・ホールデン(教師アマンダ)

あらすじ

激しい嵐の後、町は深い霧に包まれ、スーパーに買い出しに出掛けたデヴィッドと息子ビリー、隣人の女性教師アマンダは、異常事態に巻き込まれる。町中でサイレンが鳴り響き、負傷した一人の男性が「霧の中に、何かがいる」とスーパーに逃げ込んだのだ。
その後、一人、また一人と、「何か」に襲われ、店員と買い物客らはパニックに陥る。
霧の中に奇怪な生物が大量に存在することを知った人々は、脱出を試みるが、巨大な生物に阻まれ、困難を極める。
デヴィッドとビリー、アマンダ、老夫婦の五人は車に乗り、命からがら逃げ出すが、霧の向こうに見たものは絶望的な光景だった……。

見どころ

エンディングが衝撃的なホラー映画の傑作。
「結末は決して人に話さないで下さい」系の、不条理な展開で、トラウマになる人も多いはず。
ナイト・シャラマン監督の『シックス・センス』と同様、結末を知ってしまうと、面白さも半減する作品だが、スティーヴン・キングの映画らしく、登場人物はどこか変わった人ばかり。(狂信者とか、頑固者とか)
異次元の生物より、お前の方が怖いやろ!! と突っ込みたくなるような怪奇ドラマだ。

クリーチャーに関しては、安っぽいB級ホラーの作りだが、ドラマが素晴らしいので、ほとんど気にならないはず。

本作に関しては、下調べせず、頭を空っぽにして鑑賞しよう。

ここからネタバレします。未見の方はご注意下さい

【コラム】 人生とは霧の中を走るが如く

精一杯、生きるということ

2007年に公開された、フランク・ダラボン監督の映画『ミスト』(The Mist)は、「ラストが悲惨」という噂以外、何の予備知識も持たず、鑑賞し始めました。

どうやら「霧の中から何かがやって来る」、モンスター系ホラーらしいので、てっきりジョン・カーペンター監督の『ザ・フォッグ』のリメイク版と思っていたら、スーパーマーケットn閉じ込められた人々がお互いに疑心暗鬼になるわ、映画『キャリー』のオカンみたいに、「神の怒りだ、黙示録だ」と騒ぎ出すオバハンは登場するわ……どうも、ジョン・カーペンターのおちゃらけホラーとは様相が違う。

このノリはもしかして……と視聴中に制作者をネットで調べてみたら、原作=スティーヴン・キング

また、お前か (-.-)y-~~

B級パニック映画の様相を呈しながらも、本質は、人間心理の暗部を描いた陰鬱なドラマで、金髪の半ケツ姉ちゃんに襲いかかる人喰いザメより、聖書片手に狂いまくるオバハンの方がよっぽどコワイ。

地獄というなら、店内で繰り広げられる、鬱々とした人間関係そのもの。

デヴィッドが「脱出しよう」と決意するのは、霧の中の怪物のみならず、あの場に居合わせた人々の人間模様でもあります。

疑心と恐怖に煽られながらも、自ら動く勇気は持てず、その場に囚われて、自滅を待つだけの現実です。

そうして、デヴィッドと息子ビリー、隣人のアマンドと、途中で親しくなった老夫婦の五人は、どうにかTOYOTAのランドクルーザーに乗り込み、行ける所まで走り続けますが、霧の中でついにガソリンが尽き、希望は絶望に一変します。

そんな彼らに追い打ちをかけるように、巨大な怪物が彼らの頭上をのっそり横切り、もはや逃げ道はありません。

彼等の手の中には、一丁の拳銃と四発の弾丸が残され、もはや話し合いは不要でした。

おじいさんとおばあさんが言います。

仕方ない。
できる限り努力した。
誰も否定できない。

そうね。誰も否定などできないわ。

この場面、英語では次のように語られています。

Well.. we gave it a good shot.
Nobody can say we didn’t.

Nope.
Nobody can say that.

直訳すれば、

「我々だて、奴らに一発、お見舞いしてやった。我々が何もしなかったなど、誰が言えるのか」
「ええ、そうよ、誰にも言えないわ」。

a good shot には、反撃、忍耐、決断、勇気、様々な意味が含まれます。

ただ状況に流されるのではなく、我々だって、必死に戦ったのだと。

だから、ここで自ら死を選んでも悔いはない。

その事について、誰も、弱虫とか、愚かとか、責めることはできません。

本当にその通りです。

だから、おじいさん達の死に顔も、決して苦痛に歪んではいません。

納得した気持ちで逝けたことを表しています。

もちろん、巻き添えになった子供の身になって考えれば、デヴィッドはもう少し頑張るべきだったし、どれほど悲惨な状況であっても、死を選ぶべきではないのかもしれません。

しかし、そんな事は、結末を知っている人間だから言えることで、実際に自分がその場に居合わせれば、何が正しくて、何が間違いかなど、正しい判断を下すことはできないと思います。

ただ一つ、確かなのは、どんな状況でも、精一杯生きれば、たとえ思わぬ方向に行っても、諦めがつく、ということ。

おじいさんとおばあさんの最後の言葉は、生きることの本質を表しているような気がします。

誰も否定なんてできないわ

結果は霧の向こうにある

本作は、勧善懲悪の物語ではなく、最後まで相手は得体の知れない怪物で、主人公らは、一体、自分たちの身に何が起こっているのか、詳細を知る術もなく、霧の中を逃げ回ります。

人生もかくの如し。

不幸や災いは、得体の知れない怪物のように襲いかかり、人を恐怖のどん底に突き落とします。

怒る者、疑う者、気力をなくす者、その反応も様々で、『ミスト』は怪物そのものより、突然の災いによって理性を失い、追い詰められていく人間の負の面にフォーカスしています。

単純にストーリーだけ追えば、主人公らの行動には納得がいくし、スーパーでいがみ合い、やがて自滅していくであろう人々に比べれば、勇気を出して現状を打破し、希望のある方に走って行った彼らの方が生き上手と言えるのかもしれません。

しかし、最後には、(悪く言えば)、早とちりして、助かる機会を逸してしまいました。

その場でじっと霧が晴れるのを待てば、確実に助かったのに、もはや耐えきれなかったんですね。

でも、多くの人は、そういうものだと思います。

現在の痛み、そして、近い将来、訪れるであろう苦しみに対して、早く決着をつけようとして、事を起こしてしまう。

もはやパニックに陥った人間に、正しい判断など、出来るはずがありません。

しかし、真の救いとは、霧の晴れた向こうから訪れるもの。

霧が晴れて、向こうから戦車が現れた時、「まさに人生はかくの如し」と感じた人が圧倒多数でしょう。

そう考えると、全ての人は、霧の中をがむしゃらに走っているようなもの。

いつ、どんな形で、救いが訪れるのか、誰にも分かりません。

だからこそ、おじいさんやおばあさんのような心構えが生きてきます。

たとえ、思わぬ方向に人生が転んでも、「we gave it a good shot(一発、お見舞いしてやった)」の気持は忘れずにいたいものです。

※ ネタバレ動画です。結末が分かってもいい人だけ視聴して下さい。最後の会話からエンディングまで収録されています。

スティーヴン・キングはこちらの作品も手がけています
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初稿 2015年12月5日

誰かにこっそり教えたい 👂
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