筆者は、ポーランドの市役所で結婚式を挙げました。ポーランド語で「slub cywilny(シュルプ・シヴィルネ)」と呼ばれる市民婚です。
ポーランドは敬虔なカトリックの国ですから、「結婚式だけ教会で挙げさせて下さい」という訳にはいきません。カトリック教徒にとって結婚は、「洗礼」「堅信」といった7つの秘蹟の中でも重要な儀式の一つであり、神に対する責任の宣誓だからです。(挙式可能な所もあるようですが)
結婚式のためだけに、にわかクリスチャンになるというのは、教徒の方々に失礼だし、私は仏の教えを尊んでいますから、皆に納得いく形として、市民婚を選んだのでした。
式のスタイルは自治体によって異なりますが、私の場合は、市役所の小さなホールで、法衣のような黒い礼服をまとった市の戸籍課長を執行者とし、新郎新婦、それぞれに証人を立てて、執り行いました。
多数の出席者が見守る中、誓いの言葉を述べ、指輪を交換する流れは日本の結婚式と変わりませんが、一つ、欧州ならではなのが、結婚証書への署名です。(地域や宗教などによって、異なる場合もあります)
私たちの場合、執行者から夫婦の宣誓がなされる前に、新郎新婦と証人による署名が行われたのですが、これまた日本と異なるのが、万事、レディファーストという点でした。
日本の場合、新郎新婦の名前を読み上げるのも、式場の案内も、引き出物の名前入れも、「太郎&花子」のように、万事、男性優先ですが、ポーランドでは、「Agata&Tomasz」のように女性を優先するのが常識です。
したがって、結婚証書の署名も新婦の名前から記入するのですが、日本人の私は当然夫の名前が上だと思い、2本線で区切られた記名欄の下側に、何の疑いもなくサインしてしまったんですね。
その瞬間、周りで見守っていた人の口から、「あっ」と声にならない声が洩れました。
何事かと顔を上げたら、夫がジェスチャーで、「上だよ、上」と教えてくれたのです。
その時、私の脳裏をよぎったのは、「カリッ、ペタッ(インクの飛び散る音)。おお、これはなんと不吉な」というマリー・アントワネットの結婚証書。
「もしかして、記入する欄を間違えたのか……?」と気付いた時には、すでに遅し。
新郎の名前が新婦の名前より上になるのはマナー違反として、執行者の指示により、夫の名前は欄外に記入されたのでした。
不細工な結婚証書を茫然と見つめる私に、「まあ、いいから、いいから」と笑いかける執行者の顔が、私にはルイ15世に見えました。(『さあさ、よいではないか。紙にペンがひっかかっただけだ』とマリーを慰める場面です。)
ヨーロッパでの結婚、特に国際カップルは、出生証明書や独身証明書、戸籍謄本の翻訳など、必要書類が多く、『書類婚』と呼びたくなるような煩雑さ。結婚式の当日は、「書類なんか見るのも嫌!」というぐらい事前の手続きに疲れ果て、執行者から晴れて夫婦の宣誓がなされた時は、「ああ、これで煩わしい手続きがやっと終わった」という解放感を覚えたほどです。
それでも、結婚証書に署名するのは、非常な緊張感を伴うもの。
いうなれば、社会に対し(カトリックなら神に対し)、相手と自分に対する一生の責任を宣誓するわけですから、「なんかイヤになっちゃった、やっぱ別れよう」とはいきません。
いくら惚れたはれたで一緒になっても、人生に一度や二度は、難しい時があるもの。
生まれも育ちも違う他人と、一つ屋根の下で50年も60年も一緒に暮らすのは、芸術的努力と言っても過言ではありません。
「病める時も、健やかな時も」という誓いの言葉は、浮気防止の為ではなく、一生の覚悟を自身に問うものなんですね。
14歳で、家族とも祖国とも訣別し、“憧れの王子”とはかけ離れたルイ16世を夫に、一生フランスで生きていく決心をしたマリーの心中はいかなるものだったでしょう。メールも電話もない時代、彼女がどれほど恐ろしく、心細い気持ちで嫁いできたか、想像して余りあります。
これで全てが確定してしまう結婚証書の署名には、指先も震えたことでしょう(そりゃあ、ペンも紙に引っ掛かって、インクも飛び散りますとも)。
それでも故国に逃げ帰ることなく、異郷のフランスで生涯をまっとうした事は立派だと思います。あれだけの不幸があったにもかかわらず、裏切りもせず、罵り合いもせず、ルイ16世とも最後まで添い遂げたのですから。
浮ついたところもあったかもしれないけれど、王妃としての強さは本物だったのではないでしょうか。
↓ 実際の署名の様子
コミックの案内
第1巻『『新しい運命のうずの中に!』では、オスカルの誕生秘話、マリー・アントワネットの輿入れ、ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人との確執が描かれています。
ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』
マリー・アントワネットの生涯は、ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』でも刻銘に描かれています。
従来の歴史物と異なり、わずか14歳でフランス王家に嫁いだマリーの生涯を青春ドラマのようにポップに描き、話題になりました。
パーティーと賭博に明け暮れる若きマリーを、歴史物のヒロインで定評のあるキルスティン・ダンストが軽妙に演じ、新しいマリー・アントワネット像を描き出しています。
婚礼の場面も、実際の場所でロケーションが行われ、こういうものだったのかと想像が膨らみます。
歴史で語り継がれる通り、輿入れの際、身に付けているオーストリア製のものは全て取り外し、フランス製に取り替えて、フランス側に引き取られます。
ベルサイユ宮殿の王室礼拝堂での挙式。
結婚証書のインクがペタっと飛んだのは、有名なエピソード。
本作は、プレッシャーや孤独感から、賭博やお洒落に走った女の子の心の軌跡を描いた作品です。
フランス王妃といっても、今の女子大生や20代OLと同じ年齢。そうなるのも仕方ないような気がします。
ソフィア・コッポラ監督の趣向が色濃く反映された作品なので、好みは分かれますが、マリーのファンなら、一度は見て損はないです。
フェルゼンとの浮気も描かれていますが、最後にはルイ16世と手を取り合う場面が印象的です。
シュテファン・ツヴァイクの伝記
マリー・アントワネットに興味をもったら、ぜひ読んでおきたい一冊。
角川文庫、河出文庫、岩波文庫と、翻訳も数種類あるので、そのあたりは好みで。
私のおすすめは、岩波文庫・関楠生訳(現在、Kindle版のグーテンベルクで読むことができます)。
クラシックな文体で、海外古典文学を読み慣れている人なら、一番しっくりくる訳文です。
ちなみに、マリー・アントワネット〈上〉 (ハヤカワ文庫NF) によると、「パンがなければ、お菓子を食べればいい」の決まり文句は、歴代、王室の女性を揶揄する為に使われた言葉だそうです。マリー・アントワネット以前から存在したプロパガンダ(○○王女が「パンがなければ……」と言ったと書き立てれば、庶民の憎悪を煽ることができる)。