ポーランドは2004年5月にEUに加盟しましたが、こちらの人に意外と知られていないのが、「EU生みの母は日本女性である」という話です。
(そう言うと、皆に笑われるのですが……)
EUの基本理念となった『汎ヨーロッパ思想』を著したリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵の母親は旧名「青山ミツコ」。日本で初めて外国人貴族と正式に結婚した女性として知られています。
1893年、平凡な庶民の娘だった青山光子は、オーストリア=ハンガリー帝国の外交官として東京に赴任してきた青年貴族ハインリヒに見初められ、日本で結婚生活を始めます。2人の男児(次男がリヒャルト)に恵まれ、夫婦は幸せに暮らしていましたが、1896年に夫の帰国が決まり、ミツコは今の西ボヘミア地方へと渡ります。
そこでも夫婦は仲睦まじく暮らしていましたが、夫ハインリヒは結婚10年目に心臓発作で急逝し、ミツコはクーデンホーフ家の当主として広大な伯爵領を継承します。
その後、 言葉や作法の違い、貴族社会の偏見にもめげず、努力に努力を重ね、「黒い瞳の伯爵夫人」としてボヘミア社交界に大輪の花を咲かせました。
当時としては非常に珍しい、日本女性を母にもち、異なる文化の中で懸命に努力する姿を間近に見て育ったリヒャルトが、汎ヨーロッパ思想を持つに至ったのも頷ける話です。
ポーランドがEUに加盟した時、TV番組で、リヒャルト・カーネギーは紹介されましたが、彼の母親が日本女性であることは一切触れられませんでした(知らない人も多い)。
しかし、ミツコという一人の日本女性の生き様が、それまで国家間の争いに明け暮れていたヨーロッパ諸国の在り方に一石を投じたといっても過言ではありません。
国際結婚と言えば、マリー・アントワネットも同様ですが、ミツコが異国人の夫に献身し、立派な伯爵夫人たらんと努力したのに対し、アントワネットの方は、「フランス王妃」よりも、まず「自分自身」であろうとした印象があります。
たとえば、オーストリア皇女のプライドと母から受け継いだ価値観から、ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人を無視したり、国政に背を向けて、プチ・トリアノンで自分だけの楽しみに耽ったり。
その点、クーデンホーフ家の当主として、広大な伯爵領を治めたミツコは、日本女性らしく、「一度、嫁いだからには、ここが死に場所」と腹を据え、他国の流儀に合わせて生き抜きました。
死ぬまで「オーストリア女」と罵られたマリー・アントワネットがフランス革命の引き金となり、再び欧州を戦火に巻き込んだのに対し、ミツコの国際結婚は汎ヨーロッパ思想を生み出し、現在のEUに繋がったことを思うと、なかなか感慨深いものがあります。
さて、日本女性の国際結婚も、ますます増えつつありますが、第二、第三のミツコは現れるのでしょうか。
ミツコにまつわる小話
1)名画「カサブランカ」に登場するラズロ(イングリット・バーグマンの夫役)はナチス・ドイツに敵視され、アメリカに亡命したリヒャルトをモデルにしていると言われています。
2)ゲランの香水「Mitsouko」はミツコをイメージしていると思っている人も多いようですが、実際には、調香師ジャック・ゲランが、クロード・ファレルの小説「ラ・バタイユ」のヒロインで、日本人妻のミツ子というキャラクターに感銘を受けて創りだしたものだそうです。しかしながら、ファレルが「ミツコ」の名前を知ったのは、ミツコ・クーデンホーフがきっかけかもしれませんし、そう考えると、やはり「Mitsouko」のモデルは彼女なのかもしれないですね。
こちらは写真で綴る、Mitsuko Coudenhove のトリビュート。動画の最後に、日本国旗とEU国旗が重なるのが意味深ですね。
こちらはミュージカル『MITSUKO』のCMですが、ミツコの生涯についても簡単に紹介しています。
在外邦人女性の鏡
追記:2018/05/16
初めて大和和紀の漫画『レディミツコ』を読んだ時は、まさか自分も国際結婚するとは思わなかったので、ミツコの生き様にただただ圧倒されるばかりでしたが、今なら、海を渡ったミツコの気持ちもちょっとばかり分かります。傍目には大胆かつ無謀に見えても、彼女にとっては自然な選択だったのだろう、ということ。
もちろん、IT全盛期で、日本の家族とも無料でビデオチャットができる現代とは比較になりません。
当時、オーストリアの伯爵家に嫁ぐなど、火星に移住するほどの大事だったでしょう。
それでも、若い女性の情熱で、軽く跳躍できた部分もあっただろうし、お相手も、十字軍の時代から続いている名家の伯爵さま。そんじょの男性とは比べものにならないほどの知見や胆力をお持ちだったと推察します。
そんなミツコの生き様が、遠い将来、EUとして結実するなど、当時、誰が想像し得たでしょうか。
『レディミツコ』では、日本の着物姿で舞踏会に出席したミツコが、胸元に短剣を挿している理由を招待客に問われた時、「日本人は誇り高い民族です。屈辱よりは死を選びます」(うろ覚え)と即答し、彼女に否定的だった義父を驚かせる場面があります。
そのように、海外で生きる私たちも誇り高くありたいものです。
参考文献
大和和紀(『はいからさんが通る』で一世を風靡した頃の)は、時代物を描かせたら最高に上手い。
ヒロイン像も、ヒラリー・クリントンみたいな強さではなく、大和撫子のしなやかさで、恋も人生もひたむきなキャラ作りが魅力的でした。
レディミツコを初めて読んだ時の感動は今も忘れません。
今では想像もつかない、IT以前の国際結婚。
口述筆記による回想録です。