【プロローグ】 思いを形にしよう
6月は一年の節目です。
年末年始のドタバタから、あっという間に半年が過ぎたわけですが、皆さんは何か一つでも思いを形にすることができましたか?
あるいは一歩でも前に進むことができたでしょうか。
時間なんて永遠にあるような気がするけれど、振り返ってみたら、無駄に過ごした時間のなんと多いこと。
気が付いたら、人生の半分が過ぎていて、結局、何一つまとまった事ができていなかった・・となれば、ちょっと生き方を見直した方がいいかもしれません。
もちろん、形に見える成果もあれば、見えない成果もあって、何を持って「完成」というのかは分かりませんが。
ともかく、人間には耕す時期と、実りを味わう時期と、二種類あって、年がら年中、美味しい果実を味わうわけにはいかないもの。
ある意味、味わうのは一瞬ですよね。
米粒一つでも、食べ尽くすのは一瞬だけど、育てるには一年かかりますからね。
こんな風に言ってしまうと、じゃあ何か、人間は一生畑を耕して生きていかなければならないのか!てことになりますが――
でもね、自分で耕した畑の果実は、どんな形でも極上の味がするもの。
2000年前半、自分なりに畑を耕してきた人は、秋には黄金の果実を、前半、ちょっと怠けてきた人は、これから頑張って、来春に桜色の果実を、ぜひぜひ味わってください。
【恋愛コラム】 恋はガッツで
「恋はガッツで」
私の一番好きな言葉だ。
恋に挫けそうな時、不安でたまらない時、正面から向かい合う勇気が持てない時、私はいつも心にこの言葉を繰り返す。
「恋はガッツで」
それ以外に、情熱と幸運を奮起させる言葉があるだろうか。
本当に欲しいものは、捨て身にならなければ手に入らない。
「振られたらカッコ悪い」
「友達でもいいから付き合っていたい」
「傷つくのが嫌だから、見て見ぬ振りをしよう」 etc
あれも大事、これも惜しい――と、自分だけは安全圏に身を置いて愛を手に入れようなんて、ちょっと厚かましいような気がしない?
シンデレラも、自分の足で、お城の舞踏会に出掛けていった。
泣いて待っていたって、誰もガラスの靴など履かせてくれない。
闘いの場に一人で乗り込んでいってはじめて、ガラスの靴は王子様の手に渡る。
幸せが訪れるのは、それからだ。
怖じ気づくのは、傷つくのが怖いから。
ところで、「傷」って、そんなに恐ろしいもの?
愛する人と一緒に墓場まで行かない限り、いつかは泣いて別れる日がくるのだもの。それは結婚してたって一緒。
どんな愛し合う二人にも、別れは平等にやって来る。
それが今日来るか、明日来るか、三ヶ月後に来るか、十年後に来るかの話で、いずれ分かたれる日が来るのなら、どんと自分をぶつけてみようじゃないの。
怖くて言えないこと、聞きたくないこと、いっぱいあるだろう。
もしかしたら、その一言で、全てがあっけなく終わってしまうかもしれない。
だからといって、いつまでも騙し騙しで、やり過ごすつもり?
私はいつも覚悟している。
『今日が別れの日になってもいい。思い切って、ぶつかってみよう』と。
神様は、本当の勇気には、案外理解を示されるものだ。
無神経無鉄砲は困るけど、考えに考え抜いた末の、本物の勇気には、いつの間にか女神の援軍が付くものだ。
人はみな、シンデレラの足にガラスの靴がぴったりはまった場面だけを見て、羨ましがるけれど、シンデレラも魔法使いのおばあさんに手を差し伸べられるまでは、掃除、洗濯、料理に駆けずり回り、継母と義姉たちの執拗ないじめにも必死に耐えた。
そしてガラスの靴と美しいドレスを与えられたら、勇気をもって一人でお城に出掛けていった。
もし、シンデレラが、古びた塔の一室で、毎日涙と恨み言に明け暮れていたら、王子様はおろか、魔法使いのおばあさんだって、シンデレラの前には現れなかっただろう。
棚ボタ式に幸運を手に入れた、なよなよしたお姫様と思ったら大間違い。
シンデレラほど、したたかで、勇敢で、不遇の中でも決して夢を諦めない粘り強さを持ち続けた女性はいない。
シンデレラが幸運を掴んだのではなく、幸運がシンデレラを選んだのではないか。
ならば、幸運に見初められるように、とことん心を鍛えなければ。
人が住まいを選ぶように、恋も幸運も、宿る人を選ぶ。
その重みに耐えられない人に、どうして素晴らしい恋と幸せがやって来るだろう。
悦びと悲しみは表裏一体のもの。
悦びだけの恋などあり得ないし、苦しみを知らない幸せもない。
素晴らしい恋や大きな幸せは、それに匹敵する涙と苦しみを引っ提げてやって来るのが常で、その陰に耐えうる心の器があってはじめて、恋と幸運に選んでもらえるのだ。
だから、好きな人には、どーんといく。
振られてもいいから、がーんと言う。
恋は、どれだけみっともない姿をさらけ出せるか、そして、それを受け入れてもらえるかで、幸福度も変わってくる。
いつもいつも安全圏に身を置いて、あれもこれもと保守に回っていたら、そのうち自分にとって何が一番大事で、何が一番価値あるものかも分からなくなるだろう。
怖い気持ち、傷つきたくない気持ちも分かるけれど、玉砕覚悟で相手にぶつかっていく、その気迫(開き直り)が、思いがけなく運命の扉をぶち破る事も忘れないで欲しい。
「恋はガッツで」
女だからこそ、命がけで人を好きになったり、恋一色に生きることが許される。
好きな男の為に、泣いても、わめいても、女ならばサマになる。
ならば、とことん、自分を懸けてみようじゃないの。
「命短し、恋せよ乙女」という唄もあるように、一生のうち、心から好きと思える人に巡り会える回数など、本当に知れている。
皺だらけのおばあちゃんになった時、女として心に誇れる事といったら、ブランドのバックを幾つ持っているだとか、若い時、オッパイはEカップで、ウエストは58センチだった、という事ではなく、どれだけ純粋に情熱を燃やしたか、という事ではないかと思うのだ。
何かに脅えている人も、迷いだらけの人も、情熱が死にかけている人も、どうか今一度、心を奮い立たせて欲しい。
そして、今やりたい事があるならば、躊躇せず、正面から取り組んで欲しい。
過度に恐れたり、損得勘定に走ることなく――。
今だからこそ出来る事がたくさんある。
「明日になったら」では、もう遅いのだ。
初稿: 2002年4月9日